キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

下町ロケット

2012年03月28日 | Weblog
新書を読むことは、広い平野に点々と穴を掘って行くようなものだ。
一方、小説を読むということは、それら点同士をつなぎ、道にして行くことだ。
小説を読んでいる間、変わり続けるその情景を想像し、人々の気持ちを想像し、知識だけでは埋められない点と点の隙間を想像し続けているから。

そんなようなことを何処かで読んだ。

気が付くと、最近は新書の類ばかりを読んでいる。
それなら久々に小説を読んでみるか。
そんな気持ちで、『下町ロケット』を読んだ。

下町の工場がロケットの部品の製造に挑戦するという物語だ。

でも、それだけではない。
この物語には二つの魅力がある。

一つ目は、主人公である町工場の社長だけでなく、様々な立場の人の視点で書かれていること。
工場の営業、財務、技術など各部署の人たち、町工場を取り巻く競合他社や、大手重工メーカー、そしてその組織の中のマネジメント、技術部門、品質管理部門など。

僕自身は、いつも業者を技術評価し、選定し、一緒にプロジェクトを遂行していく立場にある。
この物語で言えば、大手重工メーカーの技術部門の立場だ。
それに対して、町工場のような業者の立場はとても興味深い。
なんだか、すごく身近な、他人事でない気持ちで読んでいた。


二つ目は、この物語の大きなテーマが仕事と夢であること。
以下、本文より抜粋。

「俺はな、仕事っていうのは、二階建ての家みたいなもんだと思う。一階部分は、飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ、生活していくために働く。だけど、それだけじゃあ窮屈だ。だから、仕事には夢がなきゃならないと思う。それが二階部分だ。夢だけ追っかけても飯は食っていけないし、飯だけ食えても夢がなきゃつまらない。お前だって、ウチの会社でこうしてやろうとか、そんな夢、あったはずだ。」

この物語は、現実と夢との葛藤の物語でもある。
それが上記の言葉によく表れているように思う。

「飯だけ食えても夢がなきゃつまらない」


この物語を読み終えて、ふと前にお付き合いのあった、イタリアの小さな工場を思い出した。
海に面した静かな片田舎にある、規模もそれほど大きくない工場だった。
でもその技術力の高さから、その分野では世界に名の知られた工場だった。
その工場とは、共に世界最大の○○○を造った。
彼らも、この物語の町工場と同じように、いつも夢を持ち続けているのかなとふと思った。

いつまでも夢を語れる仕事人でいたい。

兄弟の不思議

2012年03月26日 | Weblog
夕夏の友達のお宅にお邪魔した。

そこには1才のちびっこ坊主と、5才のやんちゃ坊主がいた。
5才のやんちゃ坊主は遊びたくてしょうがないようで、お父さんにボールを投げてもらったり、隣の部屋でどったんばったん飛び回ったり、まあ元気いっぱい。
かたや1才のちびっこ坊主は、お兄ちゃんのすることはなんでも真似したいらしく、お兄ちゃんが遊んでいたボールをさわってみたり、お兄ちゃんのように飛び回ってみたり。

でも、そのうちにお兄ちゃんも弟が面倒臭くなって、弟のボールを取り上げてしまった。
弟はその体格差も顧みず、叫びながら必死にボールをお兄ちゃんから取り返そうとする。
結局力及ばず、弟は泣きながらお父さんのところへ逃げ帰ってしまうのだが、そのあとに弟のとった行動が面白い。

あれほどお兄ちゃんにこてんぱんにされ、大声で泣き叫んでいたのに、暫くして泣き止むとまたお兄ちゃんのあとを追って、お兄ちゃんのすることを真似しようとするのだ。
これには驚いた。

プライドだとか、負けず嫌いだとか、すねるだとか、そんな感情のある大人では到底真似できない行動だ。
そんな余計な感情なんて簡単にすっ飛ばして、彼はまっすぐにお兄ちゃのところに向かっていく。
これはもう本能と言ってもいいくらい。

夕夏も僕も、上の兄弟を持ったことがないため、このちびっこの行動には不思議なものを感じる。
うーむ、兄弟の不思議。
おもしろくて、興味深い。

恋愛寫眞

2012年03月24日 | Weblog
なぜだか無性に瑞々しい恋愛映画を観たくなった。
そこで、昔お気に入りだった『恋愛寫眞』を観た。

松田龍平と広末涼子主演。

久々に観てみると、演技や演出の不自然さが目立ったり、音楽やノリがちぐはぐしているように思える。
昔には感じなかったのになぁ。不思議。

でも、この映画は何と言っても登場する写真の数々、そしてそれを撮る登場人物たちの生き生きした姿に尽きる。
この映画のために撮影された膨大な量の写真たち。
その中のとっておきを、これでもかというくらいに見せてくれる。
そのどれもが大好きでぐっとくる。

また、これらの写真を撮っているのが、長年写真を撮り続けて型にはまってしまった青年と、大学生で初めて一眼レフをさわった好奇心いっぱいの女の子という設定だから面白い。
カメラを触り始めたばかりの自分と、今の自分と、両方に重ねることができる。

観ているだけで、もっといろんなものを撮りたい、いろんな撮り方をしたい、つまりもっと遊びたい、というワクワクした気持ちになってくる。

エンドロールで、本篇に登場できなかった写真たちが次々に紹介されていくところなんか、相当な写真好きがこの映画に関わっているんだろうな、と思いまた嬉しくなってくる。

結婚披露宴の余興

2012年03月21日 | Weblog
2か月前、大学陸上部の友人から披露宴の余興をやってもらえないかという打診があった。
彼が結婚することは知っていたので、正直「キターーー」という感じでうれしかった。

それからは、もう一人の友人と何度も打ち合わせを重ねた。
渋谷で集まることが多く、マクドナルドや居酒屋で、アイデアを出し合い、ああでもないこうでもないという議論の中から、少しずつこれだと思えるものが形になっていった。

新婦も同じ大学陸上部出身だ。
そして今は高校教師で陸上部を教えている。
そこで、彼女の教え子たちも余興に絡んでもらうことした。

また、新郎新婦のご両親にも、余興の大切な部分を担ってもらいたいという気持ちがあった。
披露宴での新郎新婦のご両親は、一般的にはできるだけ後ろにさがり、目立たないようにしていることが多い。
スピーチは上司や恩師、友人が常で、ご両親の出る幕といえば閉会時の新郎父の短い挨拶くらい。
一番伝えたいことがあるのは、生まれてからずっと新郎新婦を育ててきたご両親のはずなのに。
そこで、ぜひご両親から新郎新婦へのメッセージをお願いしたかった。

また、新婦のお母様には新婦の似顔絵を描いていただいた。
最初は似顔絵なんて初めてで自身がないと言われていたが、いやいやどうしてとても力作を描いていただいた。
同じく新郎にも新婦の似顔絵を描いてもらい、友人が描いたものも合わせ、新婦にどれが新郎作のものかを当ててもらうのだ。

余興を企画するうえで気を付けたのは、内輪だけで盛り上がるものにはならないようにすること。
陸上部のネタで攻めれば簡単で面白いことはたくさんあるけれど、それでは陸上部以外の人は全く楽しめない。
そこで、できる限り会場の人にもわかりやすく、時には余興に参加してもらえる形式をとった。
新婦の教え子たちや、ご両親にも積極的に参加してもらったのはそのためでもある。

披露宴での余興は、成功した、と言えると思う。
新婦の教え子からの手紙を新婦の親友に読んでもらったが、この読み方がうまくて、また手紙の内容もよくて、既にこの時点で僕の涙腺はゆるみっぱなし。
ご両親からの手紙となると、もう涙で視界がおぼつかない。
手紙を読むお母様の隣で涙しているお父様の姿に、また感激。

新郎新婦の故郷と大学のある名古屋で、二日間にわたって続いた宴は、終わってみればまるで夢のような時間だった。
ちょうど、東海インカレや七大戦のときのような、ある種お祭りのような特殊な時間。
そんな時間が終わってしまった寂しさが、今は残っている。

新郎に余興を頼まれてからの2か月間。
友人との打ち合わせや、ご両親とのコンタクトなど、様々な作業が楽しかった。
そんな機会を与えてくれ、そしてみんなで夢のような楽しい時間を過ごさせてもらった新郎新婦に、ありがとう。


緒方さんの講演

2012年03月17日 | Weblog
上智大学の教会で行われた緒方貞子さんの講演を聴講した。
緒方さんを直接拝見するのは初めて。もちろん講演も。
少し前に、緒方さんが国連難民高等弁務官を退任したあたりに書かれた本を読んだため興味があった。
どんなことを語るのか、学べるのか、という以前に、どんな姿で、どんな声で、どんな雰囲気なんだろうというところから。

講演自体は幅広くこれまで緒方さんがやられてきた活動を振り返るというもので、あるテーマで深く議論する、または提言するというものではない。

でも、例えば
「いま現実にそのようなことが起きているということ」
「情報伝達手段の転換期には大きな社会変化が訪れる。
大航海時代がそうだったし、今のアラブの春もそうだ」
「若い人は大いに人のために活動をしてほしい」

など印象的な言葉もあった。

緒方さんは小柄で、声が高くて、話し方はとりとめのない感じだが、語りかけるようで心地よかった。

現在84歳だという。
復興庁長官に適任だと思うが、ご高齢すぎるか。
もうすぐJICAの理事長を退任するという。

退任後はきっとまた、これまでの活動を元にした著述を出すだろう。
たぶん、そこには世界をどういう方向に持っていけば、世界の貧困、難民、紛争をミニマムにできるかが提言されている。


原発について - 十万年後の安全 -

2012年03月11日 | Weblog
先日、原発やむなしという友人と意見を交わした。
僕自身、欠けていた視点もあり、有意義な議論だった。
そこで、原発についての今の考えをまとめてみた。
長文。



『100,000年後の安全』という映画を観た。

毎日、世界中の原発から出される大量の放射性廃棄物。
これが生物に影響を与えないようになるまでに、なんと十万年かかるという。
この事実、知っていましたか?
僕は知らなかった。

たぶん、人類の英知をもってしても100年後の未来を予想するのがせいぜいだと思う。
1000年後の未来なんて、誰も想像できない。
じゃあ、100,000年後の未来は?

実はこのどうしようもない放射性廃棄物を十万年間どうやって保管するか、まだ世界中の誰も解を持っていない。
それはそうだ。
千年後も予想できない人類に、十万年後をどうやって保障するというのか。

今世界で放射性廃棄物を保管している施設、例えば六ヶ所村にあるような施設では、材料や設備の劣化から十万年間無事とは到底保証できない。
それに、メンテナンスや24時間の監視も必要だ。
そもそも十万年後に人間は生きている?

ここでは映画の内容には触れない。
でも、なかなか斬新な映像、表現なのでぜひ一度は見てもらいたい映画だ。

これまで読んできた原発関連の本、そしてこの映画で語られる明らかに無責任で解決策の見えない放射性廃棄物の問題から、僕は原発をできる限り早くゼロにすべきだと思う。
そして、核兵器も。
今のままでは、人類が滅びる(又は危機的な状況になる)のは、間違いなく原子力技術によるものだろうから。
以下は、その主な理由。


1) 十万年もの間放射性廃棄物を安全に保管することが現実的に不可能であるとわかっていながら、毎日大量の放射性廃棄物を出し続ける原発とうシステムそのものが経済的、環境的、そして人道的に成り立っていない。
それでも推進しようとする組織があるのは、権益確保のためと言わざるを得ない。


2) そもそも原発がクリーンであると喧伝することは大きな間違いである。
喧伝している当人こそが、放射性廃棄物の処理で頭を痛めているはずである。


3) 原発はCO2を排出しないため、地球温暖化防止に貢献するという意見。
総電力量に占める原発の割合は、ヨーロッパで28%(ただし減少傾向)、日本で23%(ただし、現在はゼロ)、アメリカで20%、全世界で13%。
これを見てどう考えるかは人それぞれだが、原発をやめることで増えるCO2の量よりも放射性廃棄物の方がよっぽど未来の地球に害を及ぼすと僕は思う。
そもそも原発のために毎年莫大な補助金が地方や研究機関に使われている。
原発をやめることで浮いたその補助金を使い、中国などのCO2を大量に出している火力発電所を、最新式の高効率に改造する方がよっぽどCO2削減につながるはずである。


4) 化石燃料を使う火力発電は、資源に限りがあるので原発を使用すべきという意見もある。
しかし、原発に使うウランの埋蔵量も100年以下である。
もんじゅのような高速増殖炉が実現すれば確かにこの問題は解決するが、技術的な難しさと、危険性、そして度重なる事故のために実現性は低い。
世界各国もこの分野から撤退している。


5) 原発をやめて化石燃料を使った火力発電にすると、コストがかさみ電気料金が高くなり、経済の足を引っ張るという意見。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
僕は経済について天秤にかけて、どちらが得か判断できない。
しかし、放射性廃棄物処理システムが、どうしようもない猛毒の遺産を未来へ残し続けるような不完全なシステムならば、そもそも原発自体が社会に存在すべきでないわけで、その原発がなくなったことで経済が悪化するとしても、それは本来あるべき状態に戻ったととらえるべきだと思う。
また、原発を維持するために国は相当な額の税金を補助金として地方や研究機関へ毎年支出している。
その分が公共投資に回れば、経済には好影響だ。


以上を考えて、僕は原発をできるだけ早くゼロにすべきと思う。
ただし、それでもこれまでに出した大量の放射性廃棄物の問題は、十万年間人類の問題として残る。

アンパンマンマーチ

2012年03月11日 | Weblog
3月11日、1年前の今日、東日本大震災が起きた。

テレビでは朝から、被災地の様子や被災者の声を伝える番組が続いている。
それを見つつ午前中を過ごし、いつものように鶴見川へ走りに行った。

ラジオを聴きながら走っていた。
やはり、ラジオでも震災関連の話題が多い。
そんな中、アンパンマンマーチがリスナーからリクエストされた。

「このような日に、不適切かもしれないですが、どうしてもと思い、リクエストしました」
そんな文章から、リスナーのメッセージは始まった。

「震災から数カ月経ったころ、ラジオからこのアンパンマンマーチが流れてきました。
きっと、被災した親御さんが子供の笑顔を見たくてリクエストしたんだと思います。
子供が喜ぶのを見ることで、周りの大人たちも元気になりたかったんだと思います。
そのラジオから流れるアンパンマンマーチを聴いて、なぜだか涙が止まりませんでした。」

そんなメッセージのあと、久しぶりに聴く、昔大好きだったアンパンマンマーチのイントロが流れ出した。
「そうだ、恐れないで、みんなのために…」

子供のころ、知らない大人の曲ばかりであふれていた中で、知っているアニメの曲が流れるとうれしくてうれしくて、ぱっと気持ちが明るくなったのを覚えている。
なんだかいつも大人基準で作られている理不尽な社会の中で、その時だけは子供のための時間のようで、勇気をもらったようで嬉しかったんだと思う。

そんな嬉しかった子供のころの気持ちを思い出して、そしてぱっと顔を明るくさせただろう被災地の子供たちを想像して、涙が流れた。
走りながら、泣いた。

改めて聞けばいい曲だ、アンパンマンマーチ。




読みたい本のメモ

2012年03月03日 | Weblog
BRUTUSの『本。』という特集にあった、読んで見たい本を列挙してみる。
そのうちに読んでみたい。

さようなら、ゴジラたち
絶望の国の幸福な若者たち
ルフィの仲間力
新釈 走れメロス 他四篇
ヤバイ経済学
いま、地方で生きるということ
農村の幸せ、都会の幸せ
国盗り物語
ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹
メモリー・ウォール


子供に仕事の話をしよう

2012年03月02日 | Weblog
Facebookで『それなりにファザコンの娘を育てるコツ(になるかもしれない)』という記事を読んだ。
別に娘(と決まったわけじゃないけれど)をファザコンにしたいわけではないけど、世間一般に言われているような父親を別の生物と思われるほど嫌われたいわけでもない。
そんな思いからついそんな記事をクリックしてしまった(嫁曰く、絶対に読むと思ったとのこと)


その記事がいうところでは、娘をファザコンにするには、娘に仕事の話を積極的にするべしとのこと。


自らがファザコンを自認する著者によると、彼女の父親は、

「どんな仕事をしているか、今何をつくってるか、どんなことが大変でどんなことが楽しいか、そういうディティールを事あるごとに話してくれた」

そして、それが

「父親個人に対する理解というレベルとは別に、世の中に対する想像力、にもつながった」

とのこと。


なるほど。


八百屋さんや野球選手ならまだしも、特にサラリーマンなんて子供でなくたって他人からは何をしているのか分かりずらい。
父親の仕事がブラックボックスだと、子供としては家でいつも見ている父親が全てになって、父親の仕事への興味もなく、父親自身の深みもなくなってしまう。
だから、積極的に自分がどんな仕事をしていて、どんな達成感があって、どんな難しさがあるのかをよく話すべきなんだ。


でも、仕事の愚痴だけは言わないようにしよう。


そういえば、僕は母親に反発はしたが、なんとなく尊敬していた。
それは、母親の職業が教師だったからかもしれない。
教師だからえらいとかそういう理由ではなく、母親が実社会でどのようなことをしているのか具体的に想像しやすかったからだ。


という意味では、僕の今の仕事は本当にブラックボックス。
積極的に子供(娘でも息子でも)に仕事の話をしよう。