キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

別れの季節

2009年03月30日 | Weblog
春は別れの季節というけれど、この3月は親しい人が相次いでプロジェクトを離れ帰国していった。

その中でも、1年半一緒に仕事をしてきたフィリピン人のJunの帰国は大きい。
お互い、現場というのも、海外勤務というのも初めてのところから始まって、お互いの立場で成長して行った様に思う。
少し前にこじんまりとした歓送会を近くの町の韓国料理屋でやり、2日前には部屋で一緒にギターを弾いて歌った。

今、彼はいつもの黄色いつなぎ姿ではなく、見慣れない私服姿で晴れやかな顔をしている。
逆に僕の胸はなんだかずーんと思い。素直に笑えない。

彼がいなくなると、業務上のインパクトもさることながら、精神的にも寂しくなりそうだ。
ついつい、彼に甘えて最後までいろんなことをお願いして忙しくさせてしまった。
最後の数日間くらいはのんびりさせてあげればよかったと今になって思う。

僕の力がもっとあれば、彼をもっと成長させれただろうし多くの業務を効率よくさせられたと思う。
もし、またどこかで一緒に働くことができたら、もっといいポジションで責任のある仕事をさせたいと思う。

と、そんなことは、家族のことしか頭にない今の彼には言えない。
やっぱり、業務完了で帰国する人の顔はすがすがしくていい。
明日から彼の顔が見れないということが考えられない。

流体と交通渋滞とRoundabout

2009年03月24日 | Weblog
例えば、断面積がS1の配管を流体がv1で流れていて、その配管の断面積がだんだん変わっていってS2になり、流体の速さがv2になったとすると、S1 x v1 = S2 x v2 となるそうだ。

つまり、配管の断面積が大きければ流体の速さは小さいし、配管の断面積が小さくなればなるほど流体は速く流れる。
うーん、当たり前かな。

これを道路と交通量に当てはめてみると、道幅が大きくなるほど車はスピードを出すし、道幅が小さくなるほど車は遅く走ろうとする。
こうやって自然法則と異なるから交通渋滞がおこるのかな。

それはそれとして、Roundabout(ロータリーをぐるっと周る交差点のシステム)ってほんとに今の交通事情に向いていないと思う。
カタールはほとんどこれ。
危ない、疲れる、渋滞が起こる。
馬車を使っていた時代、交通量が少なくスピードも遅いときは止まらなくていい分信号よりもよかったんだろうけど。
一度、国の交通システムをRoundaboutで作ってしまうと、信号のシステムに戻すのが大変(もう無理かも)。
先見の明だったのかはわからないけど、結果的に日本は急がば回れで信号を選んでよかったと思う。

と、思っていたらある本に
「システムに管理された信号よりも、自分たちの判断と譲り合いのRoundaboutの方が人間的だ」
というような事が書いてあり、うーん、ものは見方だなと思った。

Roundaboutなら真夜中に誰も何も来ない交差点でじっと信号を待つということはなくなるなぁ。
確かに、あの待っている時間は自分の判断は無視されてシステムに管理されているような気がしないでもない。
流体も信号で待つことはしない。

『耳をすませば』

2009年03月23日 | Weblog
この前、ひさびさに『耳をすませば』をDVDで観た。

以降、ネタばれ含む。

不覚にも4回も涙ぐんでしまった。
最近は、映画を観ても本を読んでもなかなか泣かないのでこれには驚いた。
(ゆずのコンサートビデオには感動したけど)

泣き所を要約すると、学校の屋上、おじいさんに初めて書いた物語を読んでもらい泣き出してしまうところ、高台の朝陽、スタッフロール。

『耳をすませば』って、主人公が女の子(しかも恋愛メインの映画)だったから公開当時小学生高学年だった僕はいくらジブリ映画といっても映画館へ観に行くのがなにか気恥ずかしかった。ドラゴンボールとか幽々白書なら友達と行けたけど『耳をすませば』に一緒に行こうとは友達にも親にも何か恥ずかしくて言えなかった。だから結局映画館では観れなかった。

そんな思い出も含めて、この映画には小、中、高くらいの甘酸っぱくて悩みの多い気持ちが詰まっているのでけっこう好き。

ルワンダ~『ジェノサイドの丘』~

2009年03月18日 | Weblog
先の旅行でルワンダに行った。
一番の目的は1994年に起こった大虐殺について、またその後のルワンダについて実際に目で見てより知りたかったから。

その後日本に一時帰国をした際、とにかくルワンダの本を読もうと思いいくつか
の本屋で探した。
意外なほど、ルワンダの本は見つからなかった。
出版されている数はかなり多いはずである。
しかし、今ではもう大きな本屋でもなかなか見かけることができない。

ようやく見つけた本が『ジェノサイドの丘』。
アメリカ人である著者によるルワンダでのルポルタージュである。

今、それを読み始めた。
冒頭、数ページ目を抜粋する。

〈プラトンの『国家』に登場する若きアテネ人レオンティウスのように、おそらくあなたはよりはっきり見たいと願ってこの本を読んでいるのだろうし、そして同時に好奇心を抱いてしまうことを落ち着かなく感じているだろう。あるいはこの極限状態からなんらかの理解、なんらかの内省、なんらかの自己認識のかけら--道徳あるいは教訓、この世界でいかに振舞うべきかという手がかりといったなにがしかの情報--が得られると思っているかもしれない。可能性がないとは言わない。だがことジェノサイドに関してなら、善悪などとっくにわかっているはずだ。ルワンダの物語をじっくり見ようと思うのは、無視するのが、その存在そのもの、そして自分のそれとの関係以上に恐ろしく思われるからである。
(中略)
ニャルブイェの死者たちは、恐ろしいことだが、美しかった。嘘をついてもはじまらない。〉

上述を読んで思った。
この本をまずは読もう。
ここから何かを学ぼうとか、理解しようとか、教訓にしようとか、そういうことは考えずに、まずは読もうと思った。

やる気ムンムン

2009年03月17日 | Weblog
「やる気ムンムン」という言葉が昔流行った。

小学校から中学校くらいのときだ。
今考えれば、なんかエロい響きがあるが、当時はそんな意味はなかった(と思う)。
あのころは、何かに意欲を見せると「こいつやる気ムンムンだがー」とからかわれた。

今になって考えれば、
「そんな事にそんなにやる気を見せるなんて、それだけで人間の高が知れている」ということだったんだろう。
その心は、自分よりも他人が意欲を見せていることに対する焦りと苛立ちからだったんだと思う。
小中学生の頃は、とかくクールで冷めている事がかっこいいと思いがちだったように思う。
ラジオ体操をわざとだらしなくやったり。
講義室の前の方に座るのを避けて真ん中より後ろに座ったり(それは今も同じかも)。

それに対して、インド人の「やる気ムンムン」なこと。
とにかく、なんでもやる気をみせる。
あからさまなくらい、自己主張が強くて積極的。
講義室の座席はとにかく前へ。
講義中もとにかく意見、質問を言う。
答えがわからなくても手を挙げる(これは小学生にもありがちだが)。

つまり、「やる気があるところを見せること」がいい事という考えが根底にある。
でも、こういう考えは一般的には評価される。
奥ゆかしさを美徳とする日本人がやる気を積極的にアピールするインド人にいろんな分野で抜かれていくのではと思う。

ただ、それがインド人の並んでいる列への平気な割り込みや不必要なくらいの言い訳につながるのかもしれないが。

2009年03月15日 | Weblog
ふとした話の流れからアメリカではどれくらいの家に銃があるんだという事を聞
いた。

80~90%だそうだ。
半年間で殉職した5人の警官のうち2人は交通事故、3人は一般市民に銃で撃たれ
たとのこと。

善良そうな、やさしそうなアメリカ人だった。
彼も家に銃を持っているそうだ。

なぜ、持つのか。

隣人が持っているから。

その答えは極端な話かもしれないが、人間の心理としてその論理は正しいと思う。

アメリカが核を持つから他国も持ちたがる、と同じ論理か。
持たないと、対等の力を持てない、そういう世界。

日本は、基本的に隣人が銃を持っていないと堂々と言える。
だから、自分も持つ必要がないし、そんな発想すら普通は出てこない。

フィリピンでは、お金持ちはライセンスを取得して合法で持っているそうだ。
お金持ちはみんな机の中に隠していると。
お金持ちほど敵が多いからだそうだ。

アメリカ人はフィリピンよりも中産階級が多い。
だから、みなが銃を持てるのか。

世界が豊かになるほど、銃の所有者が増える。
銃のなくなる日は、世界から飢餓がなくなるよりも難しいと思った。

2009年03月12日 | Weblog
「蕎麦とうどんとラーメンの違いについて説明して」と言われた。
いやぁ、食べてみるのが一番だと思う。

日本人って麺類がかなり好きなんだなって思った。

子供の成長

2009年03月08日 | Weblog
僕の隣に30歳くらいのフィリピン人が座っている。

彼のPCの壁紙はフィリピンにいる彼の子供の写真で、しょっちゅう奥さんから最新の写真を送ってもらってアップデートしてる。

彼は1年半くらい前に来たんだけど、そのときの壁紙はまだ生後4ヶ月くらいの赤ちゃんだった。
それが今ではもう赤ちゃんとは言えないくらいに大きくなった。
二本足で立って走ることもできるそうだ。
お母さんの真似をしてピースをしようとしている写真もある。

1年半という期間は、僕にとっては一つのプロジェクトを終わらせるかどうかくらいの長さだけど、この赤ちゃんにとってはすごく長くて、大事なときなんだなと思った。

なんか、この子の成長を隣のPCの壁紙でずっと見てきたので、一度フィリピンに行って直接会ってみたいなと思うようになってきた。

健全な家庭

2009年03月07日 | Weblog
前回リーブ中に最近結婚した友達の新居にお邪魔してきた。
見てるだけで二人の仲の良さがにじみ出てきてて、いい家庭だなぁと思った。

こうやって友人を気軽に家庭へ呼べるというのは、夫婦仲がうまくいっている証だなと思った。
こういう家庭に憧れる。

4回目の一時帰国から戻ってきた

2009年03月03日 | Weblog
カタールに赴任してはや1年半。
昨日、4回目の一時帰国から帰ってきた。

いやいや、赴任当初は3回とか4回とか一時帰国している人を見てすごいなと思っていたけど、自分がそうなると今何回帰ったかとか忘れてしまいそうだ。

今回は休暇の前半にアフリカを旅行してきました。
その話はおいおいします。

さて、一時帰国からオフィスに戻ると、いつもどきどきする。
しばらくいない間に何が起こっているかわからないし、みんながどういう仕事をしているかもわからない。
実際には、帰国前とほとんど何も変わらないんだろうと思ってはいても、なにか自分だけ一人浮いているような、場違いのような気がしてしまう。

オフィスを歩いて不在時の情報を集めるんだけど、そのときにいろいろな人と挨拶をする。
すると、だんだんと自分が浮いた存在じゃなくてその場に溶け込んでいくような気になる。

コミュニケーション、挨拶って大切だなと思う瞬間。

今回が最後の一時帰国になるか、もう一度あるかわからないけど、とにかくプロジェクトの後半になっているのは確かなようだ。
プロジェクトがだんだん収束していく、人が減って閉じていくこの感覚を楽しみたい。