キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

週末の魔法

2012年01月31日 | Weblog
心の奥の暖かい疼き
待ち遠しい まだ見ぬ何かへの期待
そんな少しの幸せを与えてくれる 簡潔で小さな魔法
週末 フィルムを現像に出した

黄金町

2012年01月29日 | Weblog
一般に風俗街が多いと聞いていた黄金町。
しかし、そんな店が今では一掃され、若者たちがお洒落なお店を作り始めているらしい。
そんなことが雑誌で紹介されていたので、散歩してみることにした。

少し陽が傾き始めた頃、全てのモノが夕陽のオレンジと長い影に分かれる。
そんなときは、つい立ち止まって写真を撮ってしまう。
今日はおばあちゃんカメラ。

川沿いに小さなカフェがあった。
『マイノリティーズ・コーヒー』
入ってみると、カウンターが二列だけのほんとにこじんまりとしたカフェ。
そこに、面白そうな本や趣味のいい小物が並ぶ。
ヴィレヴァン風な趣味だ。

店のおじさんも気さくな人だ。
奥さんが出産した直後とのことで、いつもは二人で切り盛りしているところが、今は一人で大変なんだそう。
夕夏も妊娠中と言うと、話は盛り上がった。

コーヒーは、その日の気分次第で作られるブレンドコーヒーや、パプア産のものなど。
お客さんにゆっくりしていってもらいたいため、カップは大きめでコーヒーもたっぷり。
最初は僕ら二人だけだったのが、次第に常連さんも来店し賑やかに。
何とも居心地のいいカフェだ。
勉強をしたり、本を読んだりというよりは、コーヒーと店の雰囲気を楽しんで帰るという感じか。

「その店の人と顔なじみになりたければ、月一で一年間通い続けてもだめだ。三週連続で訪れること。そうすればすぐに店の人に顔を覚えてもらえる。その後は半年行かなくても忘れられない」
そう、ある人から聞いたことがある。

なるほどと思う。
このお店に、三週連続で通ってみようかしら。


他にもアーティストが集まるようなカフェや、興味をそそるような小さな雑貨屋が川沿いやガード下に並んでいた。
いずれも、昔は風俗店だったそうで、それらは少し前に一斉摘発、退去させられたそうだ。
今では、これまでの黄金町のイメージを払しょくして、観光の名所ともなるような新しい町を目指していくという。

ただ、少し道をそれると、まだすぐに風俗店が目に入る。
新しい若者の気概溢れるお店と、昔の風俗系なお店が水と油のように混在する、これからの黄金町が楽しみ。

お寿司

2012年01月29日 | Weblog
暫くお寿司を食べていないと、無性に食べたくなる。
まるでお寿司欠乏症のように。
これはカラオケでも同じかもしれない。

そのため、満を持してお寿司の食べ放題へ夕夏と行ってきた。

やはりお寿司はいい。
これだけ色々な種類のネタがあり、それぞれに違うおいしさがある。
また、目の前に並べられたときの、色とりどりな魚たちがなんとも美しい。

欧米にも寿司レストランが増えてきた。
きっと1週間でも欧米に滞在したら、きっと一日は我慢できずに寿司を食べに行ってしまうだろう。
たとえネタが小さくても、見た目が少し違っていても、寿司の誘惑に負けてしまいそうだ。

日本には特徴のある料理が多いが、寿司ほど特異で、バラエティーが豊富で、美しくて、おいしい料理はないんじゃないかと思っている。



千葉マリンマラソン

2012年01月22日 | Weblog
千葉マリンマラソンに出場した。

幕張メッセの横にある千葉ロッテスタジオを起点とするハーフマラソン。

生憎の雨だったが、アップダウンが少なく走りやすいコースだった。
目標は1時間半切りだったが、そこまでスピードを出せず、でも最後まで気持ちを切らす事なくゴールし、1時間31分41秒の自己ベスト(これまでは二年前の1時間32分28秒)。

雨のコンディションで自己ベストが出せたのはうれしい。
この流れでもう一度ハーフで1時間半切りを目指してみたいが、しばらく試合の予定がない。
目標がないと走れない人だから、さあ、どうしようか。

21世紀の国富論

2012年01月21日 | Weblog
原丈人の『21世紀の国富論』を読んだ。

Facebookで友人が、「新年のモチベーションを高めるために再読する」と言っているのを見て気になっていた本。

現在のアメリカ流資本主義の時代はもうすぐ終わり、新しい経済の構造が出現することを予見している。

1) 「企業は株主のもの」という現在の資本主義は、株価を上げることのみが企業の目的となってしまっている。このため、企業は自分の体力を削ってまでROEを上げ、株価を上げようとする。このため、企業はいいモノやサービスを提供し、人々の暮らしに貢献するという本来の目的を見失い、現在の株価を上げるために、将来への長期的な投資ができない状態である。

2) これまでベンチャー企業に積極的に投資をしてきたベンチャーキャピタルが、長期的なリスクのある投資を控え始めている。このままでは、新しい産業が生まれない。長期的なリスクを持つ研究開発に投資できるようなベンチャーキャピタルや国の政策が必要である。

3) 人が機械に合わせるというこれまでのパソコンのような時代は終わり、これからは機械が人に合わせる時代が来る。それは、これまで演算が目的だったパソコンから、コミュニケーションを目的とした装置で、PUC (Pervasive Ubiquitous Communications)という概念のものである。このPUCが新たな産業となり、経済の構造さえも変えていく。


本書の考えはすごく興味深いし、PUCに必要な要素技術の開発も進んでいるという。
本書ではPUCの時代は2015年ごろに到来すると言っているが、そうであるならば新しい経済構造に対応できるよう、将来への研究投資と、内部留保を高めていかないと(企業も自分も)。

子供の似顔絵

2012年01月21日 | Weblog
僕が小さいころ、母親が僕の似顔絵を定期的に描いていた。
その当時は、じっとしていないといけないその時間があまり好きではなく、いつもぶつぶつ文句を言いながら、母親の似顔絵描きに付き合っていたように思う。
別に絵が趣味であるというわけでもない母親が、なぜ僕の似顔絵だけを描きたがったのか、その頃は考えることもしなかった。

でも、今になって、ほんの少しだけ、なんとなくわかる気がする。

自分で描いた絵として、子供の成長を記録したい。
写真ではなく、親の目を通しての子供の姿として。

そこには僕も共感するので、僕も子供ができたら似顔絵を描きたいなー、と思っていた。
とはいっても、似顔絵が得意なわけでもなく、どっちかと言えば美術は好きだったけれど誉められた方ではなかった。

もうすぐ子供が産まれるし、その前に少しだけ練習をしておこう。
突如そう思い立ったので、鉛筆と練り消しゴムとスケッチブックを買ってきた。
いきなり他人を描くのも恥ずかしいので(というより下手に描いてお叱りを受けそう)、まずは自分の顔を鏡で見ながら描いてみた。
横顔はiPhoneで撮ったのを見ながら。





うーむ、なんというか、当たり前だけど、高校くらいから進歩がない…
練習すればうまくなるのかな?

まあ、いいや。
要は、自分の手で描くというのが目的なのだから。

似顔絵の腕も、子供と一緒に成長していけばいいのである。


トイレの壁に貼られた写真

2012年01月17日 | Weblog



うちのトイレがあまりに殺風景だからといって、夕夏がトイレの壁に写真を貼った。

写真は、これまでプリントはしたがアルバムに入れてもらえるでもなく所在なさげに置いてあった、フィルム写真たち。
アルバムに入れられなかったということは、プリントした当時どうも光るものがみられなかった写真ということ。

でも、トイレの便座に座って、その写真一つ一つを、ぼぅーと眺めていると、不思議と飽きないものだ。
それどころか、美術館で絵画を見ているように、なんだか味のある、いい写真に見えてくる。

写真は、どこかの国の街だったり、木だったり、海だったり。
トイカメラで撮ったものだから、どこかピントが甘い。
ふんわりとしていて、なにか強いメッセージを発するわけでもなく、静かにそこにある感じ。

あと少しで、まとめて捨てられていたかもしれない写真たちが、トイレの壁に貼られて生き返った。

どうも写真というのは、プリントした直後ではわからない不思議な力が備わっているようだ。
音楽でも、絵でも、なんでも通じることかもしれないけれど。

国際貢献のウソ

2012年01月15日 | Weblog
伊勢崎賢治の『国際貢献のウソ』を読んだ。

NGOに所属して、東ティモールやシエラレネオ、アフガニスタンで武装解除を指揮してきた、国際貢献の第一線で活動していた筆者が、日本の国際貢献の現実と問題点、そして提言を記している。

これまで、僕はどうも一部の国際貢献という活動に対してもやもやした疑問を持っていた。

日本人が発展途上国へ出かけて行って、豊かになる方法を教える。
うーん…
日本人って、そんなに豊かになる方法を知っているのか?
効率のいい生活を送る方法は教えられても、豊かな人生を送る方法を教えられるのか?

もちろん、乳児死亡率を減らすための医療活動や、食糧危機に対する支援、エイズを防ぐ啓蒙活動など、直接命に関わる活動は大切だと思う。
でも、これまで聞いてきた活動の中には、必ずしもそれなしでも途上国の人は生活していくことができ、それでも日本人が現地へ行って、手取り足取り教えている、そんなものがある。


本書は、そんなもやもやした疑問を、雲が晴れるようにクリアにしてくれた。


一つ目。
農業にせよ、教育にせよ、医療保健にせよ、開発援助に必要な専門家は現地に十分いるということ。
問題なのは、彼らがその国の発展のために必要な場所で働くことができず、職にあぶれていることなのだ。
だから、日本人(というより、世界のNGO)に求められるのは、一人の有能なマネージャーを派遣し、それらの専門家を集め、必要な場所で力が発揮できるようにマネージすることである。
日本人が何人も現場へ赴き、各地方で技術を教えて回るというのは、日本人に求められていることではない。


二つ目。
NGOの産業構造は、そのNGOの活動に賛同する先進国の寄付者からお金をもらい、そこから自分たちの取り分を引いたものを途上国に落とすことである。
またNGOは、お金をもらった見返りに、寄付者へプロジェクトの成果を情報として渡すことも必要である。
これによって、寄付者はお金と引き替えにその情報で満足感を得る。
つまり、NGOは情報を売買するサービス業とさえ言えるのである。
そして、その商品である情報の源は途上国の貧困なのだ。
よって、NGOはこの貧困という商品を情報として寄付者へ発信する中間業者とも言えるのだ。

これまでもやもやしていたNGOの構造。
まるで、国際貢献に身をささげた聖人たちの集まりのようだったNGOが、ようやく身近な地に足の着いた組織に見えてきた。
(ただし、上記のような構造で存続しているNGOは日本ではわずかで、多くが国や国連からの補助金で活動している、という問題はある)

欧米では、NGOが人気の就職先で、寄付者も大勢いる。だから立派な産業として成り立っている。
それに対して、日本ではNGOが人気の就職先とはとても言えず、また寄付者も非常に少ない。
これは、NGOという組織の産業構造が一般に理解されておらず、僕のように奇特な聖人の集まりと思っている人が大勢いるからではないだろうか。

また、「青年海外協力隊へ行く前に、青年国内協力隊として、国内の被災地復興や過疎化した村に住んで村おこしをすべき」という筆者の提言も印象に残った。


ともすれば、過激で極端な意見に聞こえる本書は、それでも国際貢献の第一線で活躍していた筆者の言葉であることに意味があると思う。
少なくとも、危機に瀕している日本のNGOが今後も存続、発展していくためにはいろいろな改革が必要であるようだ。


おばあちゃんカメラ

2012年01月15日 | Weblog
北海道のおばあちゃんにもらったオリンパスクロームシックスRIIB、略しておばあちゃんカメラで撮った写真が出来上がった。
白黒とカラーを一本ずつ。









まず驚いたのが、ちゃんと撮れていること。
ちゃんとどころか、なんだかふんわりした空気感、やさしい色合い、ほどよいピンホール効果、なんとも好感が持てる。

今から50年前のカメラが何の問題もなく機能することに感動。
今のデジカメも、50年後の孫の世代に感動を与えられるのだろうか。
うーむ疑問だ。

現像は自由が丘のポパイカメラで。
ここでは、おばあちゃんカメラの使い方も教えてもらった。

このお店がいいなと思うのは、現像に出したお客さん一人一人にかける時間が長く、その仕上がりをできるだけお客さんの思いに近づけようとしてくれること。
明るさやコントラストだけじゃなく、撮影した天候や対象、撮ったカメラまで質問をしてくれる。
そして完成した写真を渡すときは、とってもきれいな写真ですね、など声をかけてくれる。

写真屋はお客の写真に干渉しないというのが一般なご時世に、これくらいウェットな感じは珍しく、僕としてはうれしい。
ポパイカメラのおじさんに、
「このカメラはいいね。撮れば撮るほどうまくなるよ」と言われて、またうれしくなった。

赤ちゃんができました

2012年01月14日 | Weblog
夕夏に赤ちゃんができました。

妊娠がわかったのは、去年の10月。
安定期に入ったので、こうしてブログでも報告できる。
順調にいけば、6月に生まれる予定。

あかちゃんができて、どんな気持ちか?
うれしい。
楽しみ。
ちょっぴり不安。
そして一番は、これから起こるいろんなことに興味津々だ。

子供の人生。
夕夏の人生。
僕の人生。
それらを取り巻く、様々な環境の変化。

きっと、子供ができる事で、それを中心として、僕らは大きく変わっていくんだと思う。
もちろん、大変なこともあるだろうけど、でもこれをチャンスに考えて、夕夏と成長していければと思う。
子供と共に、さらに僕らの人生を豊かにしていきたいと思う。
それは、子供にしばられるということでも、ほったらかしにするということでもなく、子供と共に成長し、生きていくということ。

まっさらな状態の赤ちゃんが、僕らをどう変えていくのか楽しみだ。

経済ってそういうことだったのか会議

2012年01月11日 | Weblog
『経済ってそういうことだったのか会議』を読んだ。
元経済財政担当大臣の竹中平蔵と、ピタゴラスイッチやポリンキーのCMを作った佐藤雅彦が税や貨幣、アメリカやアジアなどの切り口から経済を対談形式でわかりやすく、面白く解説する。

これを読んで、経済学部って4年間こういうことを教えてくれるのか、面白いな。
もしそうなら、そしてこういうことをもっとよく理解しているなら、ものの考え方や世界のとらえ方が違って見えているんだろうな。
そんな風に思った。

大学生くらいまでは、「経済」という言葉でイメージするのは、なんだかとても狭い世界だった。
ある会社がどれだけ利益を上げたとか、ある業界が不景気だとか、そんなニュースは人の生き死にや世界の情勢に比べてなんだかとてもちっぽけで、俗物的で、どうでもいいことのように思えていた。
それを学ぶ経済学も、宇宙の真理を追究する物理学や、それを応用して現実の世界に生かす工学に対して、どうもそういった真理や浪漫とは少しずれた場所にある学問のように思っていた。漠然と。

でも、本書によると、エコノミクス(経済学)の語源は「共同体のあり方」なのだそうだ。
「共同体のあり方」、まさに人間社会がどうあるべきかという、人間の壮大なテーマではないか!
物理学や工学がなくたって、この学問さえ発展すればみんな幸せになれるんじゃないか。
それほどまでに、大きな学問だったとは。

なんだか、新聞の社会面でその日その日に起こった事件を追っていくよりも、経済面で経済の流れを掴んでいた方が、世界を俯瞰でき、これからを考えられるんじゃないかという気になる。
極端だが。


本書の中で特に興味深かったのが、税についての議論だった。

よい税の三原則というものがある。
それは、簡素、中立、公平、であるそうだ。
そして、その三つを満たしている究極の税が、一人ひとりに同じ額の税をかける人頭税。
竹中平蔵は、最後までこの人頭税を推していた。
ただこの人頭税は、裕福な人からはたくさん税を取るべきだという、一般的に民衆から人気の高い考えから、イギリスのサッチャーですら実現できなかったという幻の税なのだそうだ。

まあ、人頭税は極端だとしても、今の日本のような複雑すぎる税の体系を少しでもシンプルにしないと、という議論には賛成。
なんてったって、国の根幹をなす政策なのだから。



あと、投資をするというのは人間の本能からくるものだという。
これを「アニマルスピリッツ」といって、つまり面白そうだと思うことに対して、「よし、やってやろう」と思う気持ちなんだそうだ。

「よし、やってやろう」という気持ち、僕の好きな感覚で、それが人間の「アニマルスピリッツ」であるということは、なんだかうれしい。


オリンパスクロームシックスRIIB

2012年01月09日 | Weblog
正月に妻のおばあちゃんの家に遊びに行った。
その時に、昔おじいちゃんが使っていたという、古いカメラを頂いた。
OLYMPUS TOKYO というロゴの入った、蛇腹式のカメラだ。

帰って調べてみると、オリンパスクロームシックRBIIBという機種らしい。
35mmフィルムではなく、120mmフィルムを使ういわゆる中判カメラと言われるもの。
1955年に作られた、オリンパスとしては最後の中判カメラとなった作品。

蛇腹のカメラなんて初めて触る。
何から何までが新鮮だ。

電子制御は一切なしの、100%メカニカル。
その点では、LOMOのスメハチと同じだが、スメハチよりも断然作りがすごい。
そして、重い。
カメラの重さは性能だ、というのはこれまた重いCanonの7Dを買うときに決め手となった言葉だが、このクロームシックスにもぴったりその言葉が当てはまりそうだ。

大切に保管されていたようで、見たところ壊れている様子もない。
試しに、自由が丘のポパイカメラで120mmフィルムを買い、そこのおじさんに使い方を教えてもらった。

菊名神社や自由が丘を夕夏と二人でかわるがわるパシャパシャ撮り歩く。
神社では、通りかかったおじさんがカメラを見て、
「今のカメラはバカでも撮れるが、こういうカメラはそうはいかん。撮っているうちにカメラの面白さがわかってくるよ」
と、うれしそうに解説してくれた。

確かに、こういうカメラは、撮るたびに頭を使う。
今のデジカメのように、被写体にカメラを向けてシャッターを押せば、ピントも露出もホワイトバランスも感度さえも一瞬でカメラが計算してくれる、というわけには勿論いかない。

少なくとも、周りを見回して明るさはこれくらいかな?と露出を決め、距離計で距離を測ってからピントを合わせ(この距離計がついているところがこのカメラの特徴で、ひと手間かかるけど、なかなか面白い)、シャッターレバーを引いてようやく撮影準備完了。
慣れていない今は、この準備で15秒くらいかかる。
これでは、動き回る子供の写真はおろか、簡単なスナップ写真も撮れない。
一枚一枚を丁寧に、ゆっくり、いろいろなことを考えながら撮るのが、この頃の写真だったんだと思った。

今日はとりあえず、カラーと白黒のフィルムを一本ずつ撮ってみた。
ポパイカメラに出して、出来上がるのは来週末。
楽しみだ。わくわく。


2011年の振り返り - 東日本大震災-

2012年01月04日 | Weblog
2011年の振り返り。
東日本大震災について。

3月11日、その時僕は三浦半島のホテルで部署による合宿中だった。
激しい揺れのあと、とにかくホテルの外に皆で非難した。
集まった高台の広場は寒さがきつく、お年寄りの宿泊客も多い中、ホテルの従業員の方々が毛布を配ったり、一生懸命に働いている姿に心打たれた。

日が傾いてきたため、停電している真っ暗なホテルで一夜を過ごすことになった。
その時点では、携帯電話もろくにつながらず、なにが震源地で起こっているのか誰も知らなかった。
ろうそくの明かりの中、ホテルが用意してくれたおにぎりを食べた。
たまたまワンセグがつながった人がいて、携帯の小さな画面の中で、町が津波に飲み込まれていく映像を皆で衝撃とともに食い入るように見た。

それからは、毎日のように胸が苦しくなるようなニュースがテレビや新聞から流れ続けた。

4月になって、震災をニュースとして受け取るだけではなくて、自分から何かできることをしないと、という段階になった。
赤十字だけでなく、いろいろな機関や方法で寄付をしようということを夕夏と話し合った。
夕夏は、行方不明者のリストの写真を電子データ化する作業や、寄付された物品を仕分けする作業をしていた
夜行バスを使えば日帰りで被災地に行けそうだということで、夕夏と石巻へボランティアにも行った。

5月のゴールデンウィークには会社の同僚たちと気仙沼へボランティアへ行った。
ちょうどその頃、報道機関が出している震災関係の写真集が出ていたので、将来までこの記憶を忘れない、また伝えていくという気持ちで一冊買った。

6月、被災地の小学生たちが、その日について書いた作文集『つなみ』を買った。
通りでは、被災地で作ったものをよく見かけるようになり、つい買い食いしてしまうことが多くなった。

7月、縁のあった高校生2人や夕夏たちと石巻にボランティアへ行った。
このときは、これまでのボランティアセンターとは違う地元の団体で活動させてもらったり、被害の大きかった場所を案内してもらったりした。

10月には、夕夏が活動しているNPOによる、被災地での活動報告や、参加者でのディスカッションをする会に参加した。
被災地が、まだまだ復興からは程遠いこと。
被災者自身にも、希望がまだないこと。
メディアの流す、明るい復興のニュースと現実がかけ離れていること。
など、被災者の方の言葉が重くのしかかった。

11月には、会社に訪問した大学生たちに、被災地でのボランティア経験を僕から発表する機会があった。
福祉関係の勉強をしている学生も多く、僕なんかよりもずっといろんなことを考えているんだと感心した。



3月11日以降、この大震災を考えない日はない。
原発の事故や、それに伴う電力不足や原発を巡る議論、代替エネルギー。
被災者の抱える問題、住宅、仕事、放射能汚染、農産業、保証金。
全てが、2011年から2012年へ引き継がれ、ずっと考え続けなければいけない課題として残っている。
この震災は、2011年での主な出来事ではなく、人生の中での重大な出来事となるべきだと思う。