キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

最後の陸上教室

2006年02月25日 | Weblog
今日で陸上教室が終わった。
大学2年から始めた。
夏季は小学生相手の半分レクリエーションみたいなもの。
冬季は中学、高校生相手の技術中心の指導。

小学生の最初は4年生を担当した。
この子たちには、ここまでかっていうくらい苦労した。
話を聞かない、他ごとをする、ふざける。
でも2年後の今、6年生になった彼、彼女らは冬季の陸上教室に参加して、中学生達にまじって練習している。
2年前のメンバーで残っている人は少ないけど、残った彼、彼女らの目つきはだいぶ変わった。
成長したなと思う。

今回の冬季の陸上教室は中学生を担当した。
最初は、意識や技術の違いから高校生がいいと思っていたけど、
高校の陸上に行く前の基礎作りという点で中盤以降は力が入った。
ずっと生徒に言い続けたのは、陸上にはいろいろな考え方がある、ということ。
中学校の先生、陸上教室の先生、僕らコーチングスタッフ、それぞれがそれぞれの考え方を持っている。
大切なのは、それぞれの考え方を自分で考えるということ。
鵜呑みにするのではなく、自分で考えて、取捨選択をするということ。
そのことを、中学生のうちに知ってほしいと思った。

小学生にも中学生にも高校生にもいろいろ教えたけど、それ以上に僕が学んだことのほうが多いと自信を持って言える。
知識の面では、陸上を教える上でのネタの数々やスタイル。
教えるという面では、指導することは一緒にわいわいやるのではないということ。
友達感覚ではなく、あくまでも指導する側の立場を守ること。
それは、真人先輩を見て学んだ。

こうやって、子供達に陸上を教えることは多分もうない。
そう思うと、言いたいことがたくさん浮かんで、最後はちょっと長めに生徒達に話した。
今、遅い人は、体の成長が遅いだけで、必ず伸びる。
今、速い人は、体の成長が早かっただけで、これからはしっかり自分で考えて練習しないと伸び悩む。
どっちにしろ、陸上は面白い。
足が速くなることは、純粋に楽しい。
そんなことを言ったと思う。
この中で、僕らのように下の世代に陸上を教える選手が出てくるのが楽しみだ。

『街灯』の思い出

2006年02月25日 | Weblog
『街灯』という、ゆずの曲がある。
ゆず一家の収録だから初期の頃。岩沢が作った歌。
アルバムの中でも後半で、軽い感じの目立たない曲。
でも、僕には思い出深い曲。

中学を卒業するとき、友達と夜通しでお別れ会をした。
お別れ会といっても5人くらいで一晩中しゃべったりしてるだけ。
友達が持っていた、普段は使ってないマンションでやった。

朝が近くなって、さすがにみんな疲れて、静かになってきた頃、部屋にかかっていたのが『街灯』だった。
ただ、それだけ。
ただそれだけなんだけど、この曲を聴くと、いつもあの頃の気持ちになる。
みんなばらばらになって、それぞれの道を行くんだなぁっていう、
もう遊んでばっかはいられないなぁっていう寂しい気持ち。
中学生は中学生なりに将来を考えていたときだった。

その『街灯』を久々に聴いた。
やっぱり、あのときのみんないるのに静まり返ってた部屋を思い出した。
寂しい気持ちになった。
よく考えたら、もう10年も前の気持ちだ。

今、ちょうどまた別れの時期。
今度は、あの時以上に、みんながそれぞれの道を進み始めるとき。

雨が 急に降り出した
通り雨だと 誰かが言った
遠く 遠く 見えない明日を待ち
深く 深く 沈みゆく昨日を背にして ♪

トリノ五輪・バカじゃない

2006年02月23日 | Weblog
なかなかメダルが取れないトリノ。
メディアからのバッシングもどんどん厳しくなる。
某雑誌の今週の特集は、
『責任者出て来い・つまらなさ過ぎるぞトリノ五輪』
叩かれてるなぁ。

だからって、そんなメディアにこっちが乗せられなくてもいいじゃない。
「トリノなんて見てるの?バカじゃない?」
なんて言われたら、さすがに腹が立つ。
トリノ以外の興味のないスポーツに対しては上のようなことは言わないくせに、ことさらトリノに関しては辛口で評論するのはメディアに乗せられてると思う。なんでバカ?わけわからん。
思想の自由なんだから、いろいろ考えるのは自由だけど、だからって
「~選手むかつく」とか「~選手は死ねばいい」なんて、口に出すことないじゃん。
五輪で失敗したからって、メディアに利用されているからって、何でそんなふうに思うかな。
見たくないなら見なきゃいいし、つまらないと思うなら無視すればいい。
応援したくないなら黙って。

感情的になってしまった。
上のようなことを言われたときに、
「そんなことないよ」
と、一言いえればいいのになかなか言えない。
「あ、そう」
と、流してしまう。情けない。
こんなことで感情的になる時点で情けないか。

昨日の不安 忘れないように
いつかの怒り 消えぬように  [待ちぼうけ ゆず]

で、今夜は女子フィギュア・フリー。
安藤は難しい立場だけど、4回転を跳んで盛り上げて欲しい。
初のメダルとれるかな~。

東京自転車

2006年02月20日 | Weblog
大学1年の秋に、自転車に乗って東へ向かった。
始めの目的は富士山を見ることだった。
でも、雨が降り、見れなかったのでさらに東へ向かった。
横浜まで来たとき、座席と擦れてお尻から血が出た。
風呂に入れないほど痛かったので、東京タワーに着いてやめた。
帰りは電車に乗った。

5日間の旅だった。
たくさんの写真を撮った。
できるだけ、海沿いを通った。

強い向かい風にあって、ぜんぜん進まないときがあった。
お金のかかる旅だった。
暑い時期だった。

なぜこんなことを書くのかというと、こんな旅でも、だんだん忘れ始めているから。
汗まみれで、歯を食いしばって、こぎ続けたのに、その辛さを忘れてしまった。
疲れて、昼間からところ構わず寝ていた、何をしても、どこへでもいけた、自由の感覚を忘れた。
ただ、いい思い出という、味のない感覚しか残らない。
辛いことや、特別な感情はすぐに忘れる。

ただ、まだ覚えているのは、横浜についた夜、入り組んで人工的な町で、宿も見つからず、心細かった気持ち。
まさか、あの町に住むことになるとは考えもしなかった。

嫌いな写真

2006年02月16日 | Weblog
「写真が好きなら、プロにはならないほうがいい。」
中学生のときにそう言われた。

プロは好きなものばかり撮れるわけじゃない。
撮りたくないものまで撮らなきゃいけない。
だから、写真が嫌いになる。
写真が好きなら、プロにはならないほうがいい。

それを実感する。
今、僕は好きなものばかり撮っている。
道を歩いていて、撮りたいものがあればすぐに撮る。
でも、逆に言えばそれは撮りたくないものがほとんどだという事だ。
そんな撮りたくないものを撮れといわれることは、写真が好きでない人がそういわれるよりたぶん苦痛だ。

例えば記録写真。室内で影も色もない味気ない写真を撮る。
苦痛だ。太陽の下で、鮮やかなものが見たくなる。
僕は絶対にプロにはなれない。

成長する旅

2006年02月16日 | Weblog
誰かと旅行をするとき、成長しようとは思わない。
でも、一人で長めの旅行するときは、成長するだろうなと思う。
いろんなものが、もろに自分に当たって、いろんなひっかき傷を作って、成長するなと思う。
帰ってきてからも、何かほんのちょっぴり、変わった気がする。
だから、一人で旅行するのと、誰かと旅行するのでは、行く先や目的までしっかりと分けて考えなきゃいかんと思う。

今年の春はカンボジアへ行く。
2人で行く。しっかり考えなきゃいかん。

君が思い出になる前に

2006年02月13日 | Weblog
スピッツの『君が思い出になる前に』の始めのほうの歌詞。

明日の朝 僕は船に乗り はなればなれになる
夢に見た君との旅路は 叶わない
きっと僕ら 導かれるままには 
歩き続けられない 二度と これからは

この中の、「僕は船に乗り」と「夢に見た君との旅路」いうフレーズが好きだった。
この歌は別れの歌だけど、でもよく考えるとお互い嫌いになったからとか、別の人が好きになったから別れるというわけじゃない。
船に乗って、どこか遠くへ旅立つから別れなければいけないらしい。
お互いが好き合っているのに、遠距離恋愛で続けるということを諦めてしまうのは寂しい。
そんな浅い話じゃないって?大人の恋愛なのかなぁ。

県の名前

2006年02月10日 | Weblog
恥ずかしいことだけど、僕は日本の地理に弱い。
県の名前と場所が一致しないところが多い。
小学校のときに全部覚えて以来、少しずつ忘れていって、今では悲惨。
これでは不味いと思って、研究室の壁に県名入りの日本地図を貼った。
へ~、岐阜県ってでかいな~、とか思っている。

体の中心から動く

2006年02月10日 | Weblog
今の冬季シーズンは走りの感覚重視で練習している。
走っているときに、どこから動かしているのかをいつも考えている。

最近、口癖のように「体の中心から動かす」ということを言っている。
これは、2年くらい前から言っていた「横が狭い通路を走るイメージ」に通じている。
また、1年前から言っている「体や足が開かない」ということと同じである。

目指している方向が同じでも、その時々によって言葉の表現が変わる。上の3つの表現は結果としては同じことを言っているのだけれど、言葉の意味によって走りが少しずつ変わってくる。
「狭いところを走る」イメージでは、意識しすぎることで体がねじれたり、力んだりしてしまう。
「体や足が開かない」というのは、末端意識になってしまう。
そこで、今は「体の中心から動かす」という表現を使っている。

体の中心から、というのは足と腕(肩)を動かすときに腹筋もしくはおへそのあたりを中心にして動くということ。
このイメージでは末端に向かうほど力が抜け、力まない。
また、末端で地面を捉えようとしないので、地面に対して大きく乗り込める。

ただし、この意識は中心ばかりを意識しているので、速い動きや末端に近いところでの正確な動きが難しくなる。そこで、練習中にいつも中心からの体の制御を意識することで、中心からでもより速くて正確な動きができるように心がけている。ラダーを使った速くて正確な動きの練習も必要だと思う。

「体の中心から」というのは、高校のときから言われていた。雑誌を読んだり指導者が言っていたのは覚えている。でも、それが実感できなかった。腕の付け根は背中だとか、足は腹筋であげるんだとか。今はいろんな表現(意識)を経て、それが必要なんだということはわかった。

気持ちの問題で前より練習中に追い込めなくなったというのも、意識重視の練習をしている理由だ。まだ、この意識では速く走れない。
でも、100や200でベストが出たときは、確かにこの感覚を強く感じた。
そろそろ、速く走る意識を持たないと、とも思う。

言い訳

2006年02月09日 | Weblog
「どんなことがあっても言い訳だけは絶対にするな」

と、ある人に言われた。
厳しい言葉だ。

何か失敗をしたとき、それについて何を言っても言い訳にとられてしまう。
それが次に失敗しないための反省であったとしても、
原因を明らかにするための言葉であっても、
事実であっても、
全て言い訳ととられればそれまで。

それがいいのかどうか分からない。
でも、この言葉は大切にしよう。

無条件に愛せること

2006年02月08日 | Weblog
人間は無条件で愛してくれる人が必要だと思う。
失敗しても、間違っても、世間が見たら無謀で愚かなことをしていても、無条件で応援してくれる人。

最初は、両親がそうだと思う。そして、それが一番大切だと思う。

そのうちに子供が成長し、今度は子供が両親を無条件に愛する側になる。

恋人も子供も親も、理屈を超えて応援し続けられることが、家族というものなんだと思う。
そんな愛に支えられてこそ、人間らしい人間になれるんだと思う。
親を亡くし、子供も恋人も親友もいなくなって、信じられる人がいなかったら人間らしく生きていけるだろうか。
当たり前のことかもしれないけど、これまでそんなことは意識しなかった。
でも、人間の本来あるべき姿として大切だな~と思った。

今日は特にむずむずする話でした。

印度放浪 ~文中から~

2006年02月06日 | Weblog
しかし、僕は他の良いものを見た。巨大なガジュマルの樹に巣食う数々の生活を見た。その背後に湧き上がる巨大な雨雲を見た。人間どもに挑みかかる烈しい象を見た。≪象≫を征服した気高い少年を見た。象と少年を包み込む高い≪森≫を見た。
世界は良かった。
大地と風は、荒々しかった・・・・・・花と蝶は美しかった。


僕は歩んだ。
出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。出会う人々は悲惨であった。出会う人々は滑稽であった。出会う人々は軽快であった。出会う人々は、はなやかであった。出会う人々は、高貴であった。出会う人々は荒々しかった。
世界は良かった。


インドだからって聖人、善人、素朴な人ばかりってわけじゃない。悪人、俗人入り乱れて人間博覧会みたいだね。日本はその幅が平均的だけど、インドの場合聖と俗の幅が驚くほどかけ離れている。
(中略)
どのバリエーションの格でつきあうかで、自分の格が見えるんだね。
(中略)
しかし、高い人格の人間と出会う旅イコール良い旅、ということでもない。どうしようもなくくだらない奴から、次元の高いのまで、むしろどれだけのバリエーションが旅の中に展開されたかだね。それが旅の豊かさだと思う。


私の屍を、良い場所に持っていきたい。
(中略)
河の見える聖地の赤土の上で、天空を見つめ一人印を結びながら静かに死んでいったあの男は、なんてダンディな奴だ!


インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。周り三六〇度ぐるりと一回転して三十六枚押したら、一本フォトストーリーができてしまう。だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか自分の視点が出てこないのね。

印度放浪

2006年02月06日 | Weblog
前にも触れた話題である。

「なぜ、インドに行ったのか」
という質問をよくされる。そして、困る。

『印度放浪』という30年以上前に書かれた旅行記の中で、作者の藤原新也は以下のように書いている。

「20代の頃、私はこの種の設問にぶつかると、理由のない拒絶反応を覚える時期が長く続いた。というより、なぜかこの設問に関しては、反感すら覚えていた。反発の裏には、ただでも複雑な人間の行為というものが、そんなに単純明快な質問によって割り切られてたまるか、という気持ちがあったように思う。またそれは、自分の行動を冷静に客観視できないことに対する、自分自身への苛立ちからくるものでもあったろう。」

しかし、40歳になり作者は初めてインドへ向かった頃を思い出し、こう書いている。

「・・・・・・なんか知らんけど
 無茶苦茶に何でもかんでも、
 負けに行ったんじゃないかなァ。
 ・・・・・・最初の頃は。」

その言葉を見て、僕は一気にこの本と作者に興味を持った。
世の中に溢れかえる旅行記に多少うんざりしていたところを、ガツンとやられた気分だった。
この本の中に以下のような文がある。

「青年は何かに負けているようであった。
多分青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた。
青年は人に負け、熱に負けていた。青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。
青年は汚物に負け、花に負けていた。青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
青年は、自分を包み込むありとあらゆるものに負けていた。
疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽に射られて眩く白熱する、目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意志をわずかに残していた。」

もちろん、今は作者が旅した時代とは違うし、僕は作者のような死と隣り合わせの旅をしたわけではない。
それでも、この本を読んでガツンときた。
旅というか、若者が生きることというか、そんな栄養をたくさん貰った。
作者は写真家だから、興味深い写真もたくさん載っている。

僕は始め、この本を親父に借りた。
その後、自分で買った。
今では、この本には無数の線やメモ書きがある。
興味があれば読んでください。

ゆずの岩沢と北川

2006年02月04日 | Weblog
中学のときからずっとゆずが好きである。
途中、好きじゃないアルバムがあったりもしたが、それは好きの裏返し。
好きだからこそ、厳しく見てしまう。

ゆずは北川と岩沢の二人組みで、一般受けする歌は主に北川が作る。
『サヨナラバス』、『いつか』、『友達の唄』、『嗚呼、青春の日々』、『栄光の架け橋』、『また会う日まで』どれも北川が作詞作曲している。
岩沢の代表曲というと『夏色』、『からっぽ』、『超特急』くらいかな。
シングルの売り上だけ見ても北川の方が2倍以上売っている(北川の方がシングルをたくさん出すのも理由の一つだが)。
僕の周りでも北川の曲の方が好きだという人が圧倒的多数。

でも、僕は岩沢の方が好きだ。ずっとそうだった。
昔、いい曲だなと思ったのを調べたら全部岩沢作で驚いたことがある。
メロディーはキャッチーじゃないけど軽くて捻ってあって面白い。
歌詞は独特の岩沢ぶしで、生活の中のちょっとした思いを深刻にならず、ありのまますらすらと書いている。
ストレートなメロディーと重い歌詞の北川とは正反対。

歌唱力はダントツ岩沢。岩沢の声は他に聴いた事がないくらい澄んでいて伸びもいい。アコギとハーモニカが似合う声だ。
対する北川は他に聴いた事がないくらい声が悪い。本当に歌手かと思うくらい悪い。最初の頃のアルバムでは岩沢とハモっったり、うまくアレンジしてちょっとでもきれいに聴かせようという努力が見られたが、中盤以降は積極的に自分のかすれ声を押し出すようになった。サビで音が届いていないなんて、歌手として失格だと思うのだが…。この頃から、僕の中の北川<岩沢の構図が出来上がった。

ここで大事なのは、北川を悪く言っているけど、でも、ゆずは北川がいなくなってはいけないということ。
北川がいなくなると、岩沢の歌が聴けなくなるから。
岩沢がもし、ソロでデビューしていたらこんなにヒットはしなかったし、メジャーになれたかも怪しい。
北川がいることで、ゆずは成功し、岩沢の曲が世に出回ることができた。
僕にとって、北川は岩沢が曲を出せるようにするための資金源だ。

もちろん、北川の曲も好きだ。最初にも書いたように、好きだからこそ厳しくなる。
好みは人それぞれ。少数派の岩沢を多数派の北川が支えていると思えばいい。
でも、今回のアルバム『リボン』はどっちもよかったなぁ。

久々に陸上の日記

2006年02月04日 | Weblog
今日の練習は300mのレペ。
前回やっていないから、300mのレペなんて4ヶ月ぶりだ。
目標は37秒台+部内3位以内。

結局宮地と同じ組になった。
たのしそ~と思う反面、やる前から負けたときのことを考えてしまって緊張する。
負けて一番悔しい相手。

最初は200mの前半を意識。
体の中心から足も肩も動かそうと意識した。
コーナーを出るまでは並んでいた。
ラスト100mからじわじわ離された。
最後は身体もばらばら、何とか前へ前へという状態。
300mを走りきる体力がない。絶対スピードがぜんぜん足りていない。

結果は以下の通り。
1位 大場(1年) 37秒後半
2位 可知(4年) 37秒後半
3位 宮地(4年) 38秒前半
4位 谷 (4年) 38秒後半

目標はどれも達成できなかった。
土トラックといっても、シーズン中では遅すぎるタイム。
こっから36秒は出るようにしないと、100mでもいいタイムは出ない。

来週からメニューはスピード系に移っていくようだ。
4月に標準をあわせると、3月はレペばかりになる。
でも、3月ってほとんど旅行で山には行けないんだよね。
どうする?ねえ、どうするの俺?  続く…