おかげさまで、ご依頼をいただいていた案件のやまを越えて、
一段落。
やっと、一息ついている。
この間、お礼にと、お菓子をお届けいただいたり、
感想をいただいていたメールにも、もちろん、目を通している。
立て込んでいて、お返事を差し上げるタイミングを逃して
しまった方には、本当に申しわけなく思っている。
この場を借りて、
ありがとうございました。
いただいたお菓子は、お供えをさせていただきました。
みなさんが、笑顔で過ごされていることを聞き、
みなさんの周囲も笑顔で満たされていると感じ入る。
やみにあっても、光を見いだせる。
そこに、神の存在を観る体感を得る。
これは、ごく普通の意識では、気がつかない。
自分を内観して得られたり、苦労していて、つかめる。
それも、自らが求めてこそ。
求めてこそ、いただける。感じられる。
神からの恩寵なのだ。
もちろん、望んで、望まないことを願う人はいない。
けれども、自分というものが整わないうちは、おこってしまう。
そのことに気がつき、ありがたいことと、思いを変える。
そうして、神を感じる。
いつでも、それは、当たり前に存在するのだが、
その当たり前の感覚。体感は、自らを研ぎ澄ませた
からこそだ。
今在ることのありがたさを感じられることこそ、
神からの恩寵を受け取った結果なのだ。