師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

再生 あらたに生まれ変わる。

2011年10月24日 | 天意の実践

味覚ほど、生まれ育った環境により、育まれるものはない。

食べてきたものが、そのひとの感覚を作っている。

同じように、人間関係もまた、その人間環境、社会の環境が

そのひとの反応を育てる。

豊かな食味を持つ人は、豊かな反応を示し、豊かな人間関係を

持つ。

これは、五感にも通じる。

豊かな人ほど、豊かな五感を持っている。育てている。

偏りのある感覚を持つ人ほど、志向もまた、偏りがある。

存在とは、そのようにできている。

この世界の在りようの凄さであり、時に凄まじい結果を

呼び寄せる。

偏重することで、傾いた物事を正しいものだという捉え方をし、

世界を歪んだものとして

正しく認識する。

それもまた、そのひとの在りよう。

そのことの学び、フィルターのレベル。

低ければ、低いなりの生き方を。

高ければ、高いなりの生き方を、めざす。

けれども、本質体という高位の魂をを宿す存在者は、やがて、

第二の目覚め、本質体の目覚めを迎える。

自分自身で在ることの本質は、高位のものとしての在るべき姿を

軽やかに認識できる。

そして、その存在もまた、軽やかなのだ。

高位は波動が高いために軽く暖かい。

低位は、波動が荒いために重く冷たい。

あるがままとは、それ自身の意義が、至極、当たり前なのだ。

人間が思う以上に、この世界は、宇宙の法則に沿って、

ひとの頭でも少し、ひの裳裾にふれられるようにできている。

わかろうと思えば、たやすく理解ができ、

わかりたくないものは、闇にまよう。

それもまた、宇宙の真理。

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