日々の中で、あなたは思う。
「もっと、このひとが、こうであったら。」
「どうして、このひとは私が言っていることをわかってくれないの。」
「やだ、なに言ってんの、このひと。
私の言っていること、ぜんぜん、わかってないじゃない。」
だが、それは、無理からぬこと。
相手の在り様と、自分の在り様は違う。
ましてや、目的や環境が違えば、違うのは、当り前なのだ。
だから、違っていて、よいのだと、思うことだ。
違って、当り前。
違うから、その違いにより、お互いが学べ、進める。
時に、自分と違うから、応援したくなったりする。
尊敬もする。
自分と違うフィルターレベルだから、そっとその場から離れる、
も、ありなのだ。
自分の在り方を尊重するなら、相手の在り方も尊重する。
これも、『ねばならない』はない。
自分を傷つけたくないなら、こんな方法もあると言うことだ。
平和的な解決とは、こんなところだ。
仲間か、仲間でないかは、よく上から問われていた。
仲間であれば、お互いを尊重し合える。
大好きでいられる。
思いやれる。
ただ、それだけ。