師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

面白き いと面白きこの世

2012年06月12日 | 天意の実践

今期の大河ドラマ『平清盛』で主人公のよく口にする

「面白き」

ということば。

以前から、言葉は

違う使われ方や、解釈による、意味合いなどや、

その言葉が持つ感覚的な部分さえも、違うものとなりつつあることを

感じ、意図的にさえ、あえて使うことで方向すら変えてしまうのだと

言うことを感じて指摘するひとたちも出てきている。

本来の「面白き」とは文字通り「面」が「白い」。

顔が白い。晴れやかであるさま。生き生きしている様子。

誰もが晴れ晴れとして生きている世の中こそが、

「面白き世」

ということになる。

今はどうだろう。

何かに苛立ちを感じ、その苛立つひとから、ストレスを感じ

息苦しさ、閉そく感を感じているとアンケートなどの結果として

あげられるが、本当にそうだろうか。

意図的な選ばれたことばに踊らされていないだろうか。

持っているもの。今在ることに感謝する。

いろいろな本で語られているこの言葉こそが、

必要な言葉なのではないだろうか。

そして、誰もがココロの薄暗さを取り払い、ありもしない不安に

おびえることなく、それ以上に、実際は

そうそう悲観的には思っていないのだから、

晴れ晴れと毎日を生きていいのだと思う。

晴れ晴れとした顔で生きられるのだ。

憂鬱な気分は、憂鬱な気分から生まれる。

晴れ晴れとした気分でいれば、

晴れ晴れとした気分でいられる。

それを選ぶのは自分なのだ。

「面白き世」は誰かが作ってくれるのではない。

自分が作るものだ。

コメント (2)
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