~続きです。~
だから、自分にとって、善きことはすべてリストに挙げられていて、
それが届くように自分で手配まで済ませているのだから、
そのことに対して、来ないとか、遅いと思うのではなく、それらは、
時来れば届けられるのだから、なにも心配することなどないのだ。
あせったり、心配して信号を取り違えることのないように、日々を
穏やかに過ごしていれば、届けられていることを体感するだろう。
すべてを手放し、神さまにお任せすると言う行為は、神の一部を
表現する自身を忘れているから、まずは、そのことを思い出し、
そして、あとは、神の一部を体現する自分の流れにのっていく
と言うことなのだ。
あらかじめ決まっていることなのだが、それでも、この世界では、
それがおこなわれるにはあまりに奇跡的だと思うだろう。
だから、感謝する。有難いことなのだ。
いろいろに思考に晒されて、自分を思い出すことすらままならなく
なっている存在にとって、日の世界を体現することが難しいこと
のように教えられ、それを受け入れてきた。だが、宇宙の法則、
この世界の真理は正しく機能される。
そのことをただ、選ぶのだ。
日の国にあって、穏やかに体現する。
それもまた、決めていたことなのだ。
なんと、有難いことなのか。
出会えたことに、体現し合えたことに感謝あるのみ。
ありがとうございました。