師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

おおまか おおざっぱ

2010年11月15日 | 天意の実践

言い方をかえてみよう。

天の意に乗り、流れに身をまかせる。

まかせず、自分の力だけで、がむしゃらに行こうとすると、

うまくいかなかったり、(不安優位になるため、不安を引き寄せる。)

する。

だから、代償は大きいーと。

あまり、こだわらずに、時に、おおまかに決めておき、

あとは、天にまかせる

ぐらいがちょうどいい。

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網目の未来 2

2010年11月12日 | 神さま通信

          

天の意に添わぬものの 代償は大きい

      

宇宙の大きな流れに逆らって泳ぎ続けることは、困難を意味する。

自らが求め決めた事象に逆らい続けることは、大きな負担として

重くのしかかる。

大きな流れに添って泳ぐものは、流れに添い、楽々とすすむ。

大きな流れに添って泳ぐものには、恩寵があたえられる。

その流れそのものもまた、恩寵なのだ。

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網目の未来

2010年11月11日 | 天意の実践

師匠「でね、昔読んだ本に、世の中のある人達はまちがった道を

   たどる。なぜなら、彼らには、正しい道はないのだからー。

   って、一文があった。出典は忘れたけれど、この頃の自分は

   なんとなく、わかるような気がしていた。

   彼らは世間から見て、正しいとか、まちがっているなんてことは

   考えないんだ。

   自分には、この道しかないと思い込んでいる。それ以外を

   知らないし、知ろうとも思わないんだ。

   だから、何度も道をまちがえる。同じことを繰り返す。

   なぜ?と問わないから、ぐるぐると毎年毎年、同じようなことを

   同じ時期に繰り返し、し続けている。

   そして、一生を終える。それしか知りえなかったから、それ以上も

   以下もないわけだ。

   ここで、学ぶべきことはない。強いていえば、休息。

   けれども、魂のあらたな集合には、どのようなものも、

   もたらさない。

   再生された魂には、その生のかけらは、なにをあたえるのか。

   何もない。

   成長の大きな円環の休息。

   本質体への集合体と化すのは、まだずっと、先のことなのだ。

   だそうだよ。」

臣  「でも、正しい、間違っているはないのですよね。」

師匠「大局においてはね。

    ただ、本人にとって、苦しいと思うようなことは、わかっている

    なら、避けた方が賢明だ。なにも、わざわざ、苦しい道へ行く

    ことはないと、ボクは思いますよ。

    少し、自分を守ることを意識すれば、ね。」

臣  「自分を守ることを優先する。」

師匠「そう。成功哲学にしろ、自己実現にしろ、およそ、あらゆる指南

   書は、自己をよりよく生かすための智慧だ。方法だ。

   同じように、自己を守ると決め、それ以外の道はまた、この人達

   も選ばない。自己を守るだけの道しか、彼らには存在しない。

   これらの結果も、同じようなことなのにたどる網目は

   天国と地獄に同じものが置いてある話のようだね。

   同じ道具なのに、

   天国では、互いにわけあうものとなり、

   地獄では、互いに奪い合う道具となる。

   使い方で、自分を守るよい結果、自分を守らないよくない結果

   を産むのさ。」

臣 「それも、自身の結果に過ぎないのですね。」

師匠「そう。どれを選ぶかも、自分が決めている。キミが観てきた

   名前の数字に刻まれたその数字のなかの世界に生きるか、

   それ以上よい生き方へ進むか。または、それよりも災禍を

   招く数字のまま生きるか。姓名の数字は設計図、計画図。

   よくできていると、思うよ。」

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迂回路、回避

2010年11月09日 | 天意の実践

師匠「運命ってのはね、網の目なんだ。網目を想像してご覧よ。

   ひとつの線を選択して進めば、進むほど、

   その先の未来への結び目ってのは、とてつもない数字になる

   んだよ。」

ずいぶん昔に聞かされて、このブログでも話してきた内容なのだが、

この運命の網の目の進み方をひとつ、まちがえると、その先は、

右への選択と左への選択で、離れていき、右と左では、その行き先

が随分遠いものになってしまう。

選択は自由なのだが、自由度が大きいが故に、

よく考えずに選択をすると、

こんなはずではなかったと思うような網目をたどることになる。

一度間違えたなら、もとへは引き返せないから、先へ進むしかない。

その選び方も、こころを正しく扱い、選ばなければ、

さらに道からはずれてしまう。

神への道からはずれることを意味しているのが『罰』であるなら、

早くに神への道からはずれたことに気づけば、

そんなに離れていないうちに、近くのもとの道へ迂回しただけで、

戻れるかもしれないが、

大きく外れると、さらに迷い、

もとの道がたどるところへは、たどりつかない。

神から離れるとは、自分自身から離れたことだ。

自分自身を大事に扱うことも選択のひとつなのだ。

そして、自分が望まないことは考えたりせず、

そのことによって、カラダが悲鳴をあげるような選択もせず、

「イノチは一生ものなのだから大事にすれば一生使えるよ。(笑)」

                         By師匠

大切に取り扱いたいものだ。

ところで、自分の道を正しくとらえ、決意していれば、

実は道は一本しかない。

自分というものを信じた道というものは、

その道以外は存在しないのだ。

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今に在る 状態

2010年11月06日 | 在るがままの生き方

今年になって何人かのお客さまから、

心理学の勉強をしたいのですが、

という話しを受けていた。

師匠が心理学を勉強していたのは、短大の時だそうだから、

当時より研究がすすんでいて面白いでしょうね、と話していた。

もちろん、師匠、卒業後は、ほとんど独学。

必要にかられたとか、興味を持つままに乱読をしているのだが、

先日、師匠が読んでいた本からー。

今注目をされている心理学に『ポジティブ心理学』

と言うものがあるそうだ。

その心理学者バーバラ・フレドリクソンの定義する

『ポジティビティー肯定的な心の状態』

にいたくこころ惹かれたようだ。その定義は、

1  喜び

2  感謝

3  安らぎ

4  興味

5  希望

6  誇り

7  愉快

8  鼓舞

9  畏敬

10 愛

まさに、すべてがひとがなぜ動く(生きる)のかの、原動力そのものだ。

生の属性とは、なにかが動いていること。柔軟であること。

その動く理由は、こんなところから派生していく。

逆に、これらがなければ、生とは遠く。頑なで、死の属性だ。

以前、ポジティブ、ネガティブにこだわると、また、囚われる

ことをお話しさせていただいていたが、もっと、広い意味や感覚で

とらえていたら、人生は単純に展開していくものかもしれない。

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