そして、時に考えない。
手放す。まかせる。
すべては宇宙の流れの中のひとつである自分という存在を
その流れに置くのです。
流れがあるということを認めていれば、案外、この世界は
うまくいくことだらけなのに、
自分がこの世界を動かしているような錯覚に陥ることが
ある。
最初は、うまく動いていたと思うのですが、それすらも、
実は、流れに乗っていたからこそなのです。
うまくいくことは、すべて、逆らわずに流れに任せていたから
うまくいったのです。
流れに乗れていないのは、細部にまで、
自分の思いどおりにしたい、と言う我欲が働くからです。
すべてはうまくいっている。
すべてを見通さなくても、ひとの営みとは、うまくいく。
すべてを把握しようとすれば、自分自身をもその把握の一部に
縛ることになる。
時に自分を自分自身から、自由にする。
こころに暇(いとまー意志との間)をあたえる。
ことばはかくもうまくできている。
これらをうまく使い、自分を解放していけば、
自分もまた、自然の一部でいられるのだ。
以前より、自分の思いどおりでないと気がすまない、
と感じるひとたちが増えているようだ。
ネットという便利なツールは、ときに、マのあつまりとなって
くる。
それはそれで、必要であり、この世界に無駄なものは
ないのだと、教えられる。
ところで、そのような情報が飛び交うと、それらを受け入れ、
影響されて自らの在り方に不安をいだく方々もいる。
「どちらを選べばいいでしょうか?」
と、相談で質問をされることがあるが、
自分の在りようは自分が決めている。
それらに添って、お答をすると、逆に進まれることを
選ぶ方もある。
どのような方向であれ、これは、自分が進む道なのだと
いうことを忘れてはいけない。
在りようとは、時にとても脆弱だが、
自らも破壊するほどの逆の力を有しているのだ。
自分から発するものも、意識を高く持つものほど、
その達成するべく発揮される意志はとてつもなく強い。
そんな、強い自分であれば、マに酔うこともなく、自らの
道を照らし、進むことができる。