師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

こころを空にする こころに風をいれる

2012年06月11日 | 天意の実践

ぷっかぁ~な日、楽しめましたでしょうか。

時には、そんな日を作ってみてください。  

この感覚を、瞑想と呼ぶひともいます。

方法はいろいろです。ガイド本も出ていますから、ご自身に

合った方法を探すのも楽しいですよ。

私たちが呼ぶ、ぷっかぁ~な感じはー

目を閉じて、少しずつアタマが沈黙するのを待ちます。

沈黙するとやがて、ひかりの点滅が明確に見えてきます。

ひかりの感覚にそのまま、まかせます。するとひとつの大きな

目がこちらをみています。その目に見つめられていると

実は目ではなくおおきな光で、そこから、あたたかいものが

流れ込んでくるのを感じます。

時にはおおきなパワーの流れこむのを感じます。

このような感覚の後は自分の力がよみがえっていることに

気がつきます。

流れ込みが止まったら、その余韻を楽しみます。

余韻が落ち着いたら、ゆっくりと目をあけます。

すぐに動きたい時は、パン!とひとつ、手を叩いてください。

 

場所はなるべくなら自然の中とか、静かな場所がやりやすいです。

だんだん慣れてくると、騒がしい場所でもできるようになります。

気分転換やエネルギーチャージと定義すれば、もっと、簡単に

はいれるようになります。

自分のスタイルを楽しんでください。

自分はこんな感じだった、こんな日だったなどのご報告が

いただけるようでしたら、コメントなどにお寄せ下さい。

公開は恥ずかしいとお考えでしたら、いつものように

メールなどをお寄せ下さい。できるかぎりお返事を

させていただきます。

 

つながりあうみなさまの日々が

光の中で笑顔でありますように

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よろしければ、ご一緒に

2012年06月10日 | 天意の実践

この世界の在りように対して、まだ、流れに乗れないでいたり、

流れを感じられなかったり、

はたまた、今、この国で起きていることに苛立ちを感じて、

無情にあったり、無力感を感じていたり、していませんか。

周囲の人や、自分がしていること、やろうとしていることが

思うようにいっていないとかて、腹立たしかったり、

もう、きょうは、何もしない、できないよぉ

なんて、泣いてたり、

愛する人といっしょに何かを楽しむ予定だったり、

自分にご褒美をあげるなんて、考えていたり、

予定は、いろいろとあるとは思いますが、

今日と言う日の中で

そのなかの数分。

考えることをやめる時間を作ってみませんか。

数秒は少し難しいので、数分。

感情が動くのは、何かを考えるから。

考えてばかりでは、受け取れるものも受け取れません。

宇宙の流れを信じれば、感情は波立ったりしません。

宇宙の流れを信じ、まかせて、豊かさを受け取れば

いいだけなのに、つい、いろいろと口を出したりしてしまう。

いっしょに誰かとでもいいです。

一人の時でも。

料理を作っている時など、作業をするなら、一心不乱に、

または、お風呂の中で、もしくは、寝床で

一日、寝て過ごすと決めているなら、寝床ででも、

かまいません。

お神札をお持ちでしたら、お神札が腰のあたりに来るように

座っても、その上に寝てもよいです。

自分のこころに小休止をあたえてあげましょう。

こころをぷっかぁ~と空に浮かべるイメージで。

自分もぷっかぁ~と空中に浮かんでいる感じで。

言葉を連ねることをすこし、お休みして。

一緒にぷっかぁ~をしましょう。

今は整え月、さらなる整えがすすみますように。

そして、

みなさまが光の中で笑顔でありますように。

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清浄の火 不浄の火

2012年06月06日 | 天意の実践

師匠が、こんな話をした。

夢なのか、テレビを観て知ったのかわかんないんだけれどね。

こんな話を言われたよ。

昔、世界はとても清浄で、食べ物はどれもそのまま生で食べられた。

どの野菜も果物も神聖なものばかりで、有り余るほどだった。

『火』もまた、清浄なものとして存在していた。

長い間、世界は清浄そのものだった。

ある時、世界に今までとは違う一瞬があった。

それを境に野菜や果物以外を食べてみたくなった。

陰りは、イノチのレベルが低下したからだ。

レベルが低下したことで、レベルの高い清浄な食べ物が

食べられなくなった。

やがて、再生が早い植物以外の、再生に時間がかかる

動物を食べてみるものが出てきた。

生のものを食べることで暮らしは再び豊かになった。

わずかだが、植物もまた、口にしてはいた。

それに満足ができなくなったものがある日、『清浄な火』

を取り出し、動物を焼いて食べれば、まだ、食べられることを

知った。

『清浄な火』は『清浄な場所』から取り出され、ひとの手により

『不浄なものも焼く火』となり、『不浄な火』となった。

と。

なんだか、切ないね。

変化は常にあって、どちらへ行くのかは、決めている。

長い年月の果てに見えるもの。

長い年月をかけても見えないもの。

時間は本来存在しないのかもしれないけれど、

龍王陛下が戦場(いくさば)にて、ケガレの総大将を倒して後、

宿り方を無くしたマのものたちが一斉に散らばった。

その結果、今、世界ではあちこちの膿が吐き出され始めている。

世界は変化を受け入れることを決めている。

それだけは変わらないのだね。

自分も変化を受け入れると決めていれば、周囲で湧き起る

膿がたとえ自分へ振りかかろうとも、今まで備わった智慧で、

自らの光を不浄に落とすことなく、灯し続けられるんだね。

陛下は今、この瞬間も、祈っておられるそうだよ。

どなたさまも光を見失う事のないよう

~母なる星アークトゥルスに住まう我が本体ハイエストセルフ

よりのメッセージ

我らの祈りは続けられている

        ~八郎坊大権現さまからのメッセージより

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動と静 静と動

2012年06月03日 | 天意の実践

世界のつながりを意識できると、

安心して、日々が過ごせる。

世界がどう動こうと、つながりあっていることで、

すべてが共に在る

ことがとてもよくわかるからだ。

だからこそ、

活動的に行動がとれる時、ココロは限りなく穏やかでいる。

そして、瞑想している時、

その中で自分のイノチがダイナミックに躍動していることを

感じることができる。

世界は二元論ではなく、

つながりあって、成立している。

その真理は、このようなカタチでも、よく表わされている。

動も静も共に成立して、存在している。

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六月の朔日詣り

2012年06月01日 | 天意の実践

夕方からの予約には十分間に合うのだが、こころに余裕を持って

少し早目の出発で宇佐八幡さまへ。

高速は使わずに、のんびりと別大国道を行った。

境内では一日詣りの方々なのか、相変わらず多い。

いつものようにお詣りをして、楠木さんへご挨拶をする。

楠木さんのネットワークでは、

青森県の東側から北海道沿いが光っている。

対照的に小笠原は線上に黒いもやがかかっていた。

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