師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ひとつひとつを丁寧に

2012年12月15日 | 天意の実践

時間体感が変わって随分経つが、

皮膚感覚のように、『時間』という体感が変わっている。

けれども、本質においては何も変わっていない。

むしろ、問われているのかもしれない。

何をそんなに急ぐのか

と。

急ぐ必要のあることなのか

と。

急がなければならない案件なのか

そうでなければ、急ぐ必要などない。

と。

改めて考える。決めているのは自分だ。

急がなければならないことは何一つない。

それは、自然に添っていない。

自然に添っていることをひとつひとつ積み重ねていけば、

時間はたっぷりある。

これは、生き方なのだ。

丁寧に自分を取り扱う。その所作の一つ一つをだ。

こころを込め、思いをこめ、行う。

自分を一流品でも扱うかの如くかと言われれば、

そうだ、と答えよう。

何事も、自分が基準。自分が決める。

丁寧に扱える自分であれば、

物事も、その周辺もまた丁寧な事象となる。

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遠い未来 少し先のわくわく

2012年12月06日 | 天意の実践

ひとはどのような時に、悩み、マ酔うのかは、

そのひとの時間の捉え方ースパンによるところが大きい。

今、現在起きていると言うより、

今の時点から過去へさかのぼったり、ずーっと先の事を

思い悩むのだ。

起きてはいないが、過去の結果として、

今、起きたかも、起きているかもと思い悩む。

そして、まだ、何も起きてはいない。

だが、起きた時に備えたいと思うのは誰も同じだ。

だから、最悪を想定して準備は怠らず、最善を望む。

準備は、ものや道具をそろえるばかりではなく、

それに対する心構えが一番大事だ。

目的を見失えば、それは違う方向へと走りはじめる。

何事においても、ココロ寄せるものが何なのか。

善きことにこころを寄せていればよいのだが、

マ酔う時は、そこを見失いがちなのだ。

最終目的は自分しか定められない。

自分を使いこなせるのも、自分だけ。

命令を下しているのは自分。

だから、今、絶望していても、いつかは歩き始めよう。

少しの先に、楽しみはないのか?

少しの先に、喜びはないのか?

ほんの少し、ほんの少しでいい、自分を奮い立たせる

何かがあなたを待ちうけているはずだ。

ほんの小さな光だけれど、それは、

あなたの道を照らし続けているのだ。

今までも、これからも。

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12月の朔日詣り

2012年12月01日 | 天意の実践

一日になり、宇佐八幡へー。
楠木さんのネットワークを教えていただいた。

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変化を受け入れ、楽しむにはある程度の度量が必要だ。


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何事も楽しめる

ということが一番の才能なのだと感じ入る。

コメント (2)
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