飛行塔関連の資料を展示している生駒駅前図書室の会場
生駒で資料展 写真やポスター85点
昭和初期に建てられ、100年近くになる生駒山上遊園地の飛行塔の歩みをたどる資料展が、生駒市の生駒駅前図書室ギャラリーで開かれている。現存する最古の大型遊具で、戦時中は眼下で起きた大阪大空襲を目撃し、戦後は子どもたちを乗せて復興の様子を見守ってきた。担当者は「郷土の歴史を知り、明日につなげるための最適の教材」と話す。
飛行塔は1929年(昭和4年)3月、標高642メートルの山頂に生駒山上遊園地が開業するのに合わせて建設された。「日本の大型遊戯機械の父」と言われる土井万蔵氏が設計。高さ約30メートルの塔から伸びた四つのアームが飛行機形のゴンドラをつり下げ、回転しながら上下して遊覧させる。展望台やエレベーターも備えた珍しいタイプだった。
「長い鋼材を山頂まで運搬できず、短い鋼材を剛力と言われる人たちが運び、リベットでつなぎ合わせた工法です。当時のままの塔が今も立っているんです」。同遊園地を運営する「近鉄生駒レジャー」の森文彦さん(64)は、先輩たちから教えられた優れた技術について話す。森さんも約45年前から飛行塔の保守点検などに携わってきた。
戦時中は軍の防空監視塔として使用され、金属類回収令による解体を免れた。45年の大阪大空襲は、西側下方に広がる大阪平野を焼き尽くし、東側の奈良盆地でも機銃掃射などによる被害があった。
現在の複葉機の形をしたゴンドラは21年に導入された7代目。「私が最初に携わったのはジェット旅客機・ボーイング727を模したもの。その後、スペースシャトル形など時代と共に変わっていった」。森さんは、事故が起きないよう、塔の最上部に登って点検するなど安全管理に努めてきた日々を振り返る。
資料展では、時代ごとの飛行塔の写真や関連するチラシ、ポスターなど約85点を展示。日中戦争から太平洋戦争の時代、ゴンドラに「愛国少年号」と書かれ、生駒ケーブルの日誌に空襲が起きた時刻が記されるなどした資料が並ぶ。
森さんは「祖父から孫まで3代にわたって乗りに来てくれた人もいた。100歳の時には大いに祝ってやってほしい」と目を細め、同図書室の入井知子室長は「時代を映すシンボルの展示を多くの人に見てほしい」と話している。
展示は2月11日まで。入場無料。月曜休室。問い合わせは同図書室(0743・73・7611)。山上遊園地は3月頃まで冬期休園中。