要左衛門の遺族を匿った、こんな山奥の急斜面に見事な石積みの棚田が、約13枚ありました。
これだけの規模の工事をするとなれば、相当な人力と時間が必要と思われました。
おそらく、当時の赤松村人総出にて工事をしたはずです。
と・いうことは、村人は余程恩義を感じ動いたのではないかと思うとともに、これだけの工事をさせた人物たちも凄いと感じました。
屋敷跡の左側に谷をはさみ、画像の石垣が山上へと連なっています。
現在は杉が植林されて薄暗いのですが、当時は開けていて明るい場所のように思いました。
これだけの規模の工事をするとなれば、相当な人力と時間が必要と思われました。
おそらく、当時の赤松村人総出にて工事をしたはずです。
と・いうことは、村人は余程恩義を感じ動いたのではないかと思うとともに、これだけの工事をさせた人物たちも凄いと感じました。
屋敷跡の左側に谷をはさみ、画像の石垣が山上へと連なっています。
現在は杉が植林されて薄暗いのですが、当時は開けていて明るい場所のように思いました。