今から10数年前に、地元の故人k氏から聞かされていた測量士が蘇りました。
おそらくは、徳島藩お抱えの測量家である岡崎家の岡崎三蔵であったと思われます。
当時、文化五年(1808)ごろ伊能忠敬が活躍した時代とも重なる人物である。
四国測量に来た際に、伊能の測量術と比較したら遜色ない技術を持ち合わせており
伊能は列島の沿岸部は詳しく測量していたが、内陸部はそうではなかったそうだ。
ところが、三蔵は「阿波国図」という徳島藩に命じられた分間絵図は、
今の徳島県の内陸まで詳しく測量されたものらしいのです。
図書館で地図を見ていたら文化四年と書かれた絵地図が目にとまりました。
この地図も、その時代なので・・?