言い訳は雲に似ている。
セキュリティは言い訳では護れない。
護れないどころか、下手な言い訳は、たぶんほころびの要因になるだろう。
わが社の、わが組織の、セキュリティは万全ですなどと、重役会や中央役員会に報告されても、社名や組織名が安全を保障するものでない事実が、またかと思うほど次々に現れる。
ものは何かが組み合わさってできているから、どれほど密にできているといっても、かならず内と外はどこかでつながる。
つながりは大抵、内から外に向かって道筋ができ、漏れはじめることから始まる。
はじめは道筋のつもりではなくても、一度が二度、二度が四度と続くうちに、もう取り去ることのできない道筋になる。
危ない道筋の始めは、担当者の言い訳である。
まず自分に言い訳し、相手に言い訳し、組織内に言い訳し、社会に言い訳する。
そのころには言い訳が説明の形に化け、並べる言い訳の数が多いほど説明が懇切丁寧であるかのように、自分も思い、ひとにも思わせようとする。
セキュリティの感覚は、文章構造や発言の巧拙とはまったく次元の違うことではないか。
雲はやがて散リ去り、消えていくものなのだ。