一昨日はクラウドのセキュリティのことを書くつもりだったが、始めがまずかった。
言い訳は雲に似ていると言ったのでは言い訳の話で終わってしまう。これも言い訳めいてみっともないが。
安全性への懸念から、クラウドへの移行をためらいがちになるという記事を見かけた。
相手が雲であると名乗られては、雲をつかむのたとえになじんだ日本語民族は二の足を踏んで当然だろう。
正体をつかめないから不安なのだ。
しかし、自社のシステムで正体がわかっているから安全としてしまうのは短絡的だと、その記事は説く。
決め手は、脆弱性への対策が十分であるかどうかだという。
自社のシステムでも、自分の属するグループのシステムでも、そこに入りこむアクセス権限の与え方で情報保護の脆弱性は様変わりする。
IDとパスワードの合致だけでアクセス権限を設定すれば、パソコンが社有であろうと私物であろうと判定をしないから、仕事を持ち帰って片付けるうちに、そこに重要な情報が含まれていることを忘れてしまう。
こうして起こる漏洩は、悪意の有無に無関係なのである。
公的情報の漏洩が、善意であれば許されるというものでもない。
情報を掠め取って公開し、報道の自由だの義務だのとうそぶくのは、やはり言い訳ではないか。
おや、また言い訳の話に戻ってしまった。
セキュリティの敵は、どうやら言い訳ということになりそうだ。