うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

取りはずし

2012年01月16日 | 忘れかけていたこと

用なしのバッテリーをはずしたことは昨日書いたが、ではやってみようかという方のためにその手順を書いておこう。

1.パソコンが動いてない状態で、AC電源のプラグを抜いておく。

2.蓋を閉じたままで、カメのこをひっくり返すように底を上に向けて置く。

3.あちこちにねじ止めの蓋が付いているが、東芝ダイナブック・サテライトの場合、バッテリー部分はねじ止めでなかった。

4.上の写真1⇒2の順に箱の端をずらせて開けていくとケースがはずれる。このとき後で組み立てる方向を確かめておくと、まごつかずにすむ。小さい合いマークシールを貼っておけばなおよい。

5.バッテリーを取り出す。

パソコン全体で約3kgのうち、バッテリーが410g、バッテリーの機能を利用してないとすれば、移動の際にはおよそ13%のエネルギー損失を生じていたことになる。
しかし、ものは考えようで、運動のためといってわざわざ体を動かす人には負荷が大きいほど効き目はある。
だがしかし、筺体の手前の端が小指1本で持ち上げられれば、位置の調整も楽にできる。指をそろえて重さを感じながら待ち上げてずらすのとでは、感じがだいぶ違うようである。
もう鍛える必要のなくなった手には、ものは軽いほうがよい。


用なし

2012年01月15日 | 忘れかけていたこと

ようなしと聞くと、洋梨のことかと、まず思う。
これは用のなくなったものの話である。

ノートパソコンのバッテリーは、その役目を果たさず寿命が尽き、しかもそのことをユーザーが認識されずに終わることもあるという記事を、KさんがMLで知らせてくださった。
http://club.pep.ne.jp/~nonoyama/Battery.html

前々から気にはなってはいたが、さてどうしたものかと思案も浮かばず、ずるずるそのままにしておいたバッテリーの処置に、これで踏ん切りがついた。

まずは現状認識からと、バッテリーが残り100%の状態にあることを確かめてから、AC電源を抜いてバッテリーだけで起動してみる。
デスクトップ画面が表れ、ウインドウズは確かに起動した。当たり前なのだが。
タスクバーの電源表示は赤ランプになっているが、残り97%と文字表示されるからそのまま進める。
エディターで原稿ファイルを一つ開いて、インターネットに接続後、ツイッターに書き込みを始めてしばらくしたら「バッテリーを充電せよ」と、もう警告表示が出た。
これはすでにバッテリーが寿命末期にあるとみるしかない。

パソコンを外に持って出ることはなく、不意の停電も、あの大地震のときと、住宅共用回線の故障のときだけだったから、いざというときにはそのときの作業分だけやりなおせばよいので、停電のリスクは無条件容認でいくことに決めた。

知恵の輪のようなバッテリー装着部の蓋を何とか探り出して開け、取り出してみる。
意外に大きいのに驚く。こんな大げさなものが必要なのかと不審に思うが、特許やら規格やらの問題があって、いまはこんなばかげた形のままでいるしかないのか。
新しい型のものはもっと小さくなっていると思う。
取り出したバッテリーは、文鎮に使えそうなのでそのまま置く。

AC電源のみで起動、タスクバーの表示は「フルパワー 残りN/A AC電源ON」と変わった。
残りN/Aは「何もなし」か。抜き取ってしまえば確かに何もなしということになる。
この表示も、もう用なしなので、出ない設定にする。

用なしものの処置は取り外しが最適、これで役にも立たないバッテリーに毎回充電のまねごとをすることもなくなり、せいせいした。


脆さ弱さ

2012年01月14日 | 忘れかけていたこと

情報保護の脆弱性が、アクセス権限の与え方によって様変わりするというWeb記事があった。

ものごとがプラスの表現になっているか、マイナスの表現になっているかで、同じことがらでも考え方そのものがプラスに働いているかマイナスに働いているかをうかがい知ることができる。

情報保護の脆弱性と言われると、世間一般の情報保護システムが、なんとなく頼りなげに思えてくる。
保護という言葉自体が、どちらかといえばマイナス表現であるのに、それに脆弱の程度が重なっては、いかにも危険いっぱいの感じがするではないか。

脆弱といわずに、強靭、強固に似た表現はできないのだろうか。
強固な保護と言ってしまうと、ガチガチに硬いシステムが想像されて、いかにも扱いにくそうに聞こえるのがよくないからか。

そもそも、情報というものが保護されなければならないもの、隠さなければならないものであることが、世の中を暗くじめじめとさせているように思う。

保護保護といいながら、いつの間にか本人も知らないうちに、私たちには番号が付けられている。
あなたはこういう番号になりますがよろしいですかと問われることもなかった。
情報保護とは、後ろ暗さで裏打ちされた、もともとマイナスの概念だったか。


仮面

2012年01月13日 | 忘れかけていたこと

デスクトップが見えなくなった原因のことで、Fさんからメールをいただいた。
「原因はいろいろ有り得るのでしょうが、
“デスクトップ”フォルダが何らかの理由で
 (1)フォルダが壊れた。
 (2)アクセス権限関係が書き換わって
  アクセスできなくなった。
 なども、原因の1候補として考えられるのではないでようか?」
と書かれている。

この数行で、ウィンドウズの構成で、これまでにはっきり掴みきれていなかったいろいろなことに気づいた。

1.デスクトップというのは、フォルダーの名前である。
いまのパソコンの多くはウィンドウズという基本ソフトを使って動いているが、そのパソコンを動かし始めると、準備が整ったときに“デスクトップ”と呼ぶフォルダーが表示される。
いちばん最初に「さあどうぞ」と言ってくれるから、そこの大旦那かと思っていたが、そうではなく番頭だった。
“デスクトップ”というのは、番頭の呼び名で、大概の店では「番頭さん」と呼べば返事をしてくれる。Hさんから教わったあの shell:desktop というコマンドがそれだろう。
つまり、デスクトップというのは、場所の表看板に過ぎないので、看板としてのはたらきが主な役目だった。
看板はプログラムではないのだから、それ自体が見せること以外に仕事をするはずもなく、パソコン全体を取り仕切っているように思ったのは錯覚だったのだ。

2.フォルダーなら壊れることもある。
「番頭さん」と呼んでも返事をしてくれないときは、番頭が病に倒れたときが考えられる。
別の役目の人が仕事をこなしていれば、番頭と呼ぶ人がいなくてもよい。そういう仕組みが定着してしまえば、その店はそれでやっていける。ただ、世間並みでないというだけのことだ。

3.答えてもらうには呼び方がある。
仕事は同じでも、その店が、役の名を「番頭」としてなかったら、「番頭さん」と呼んでも、あえて返事をしないこともある。
ちょっと風変わりの店で、番頭と呼ばせるなと徹底されていればそれもありか。
それならいくら呼んでも出てこない。

そうだ、あの風変わりなパソコンには、いくつかのほかの字が混ざりこんだゼロが何十個もつながったフォルダー名のようなものが仕組まれてあったのを思い出した。
\0000000000000085600000000000000818100000000000000
ことによると、なんだこれと思ったあの文字列が、通称デスクトップの仮面の名前だったのかもしれない。


かぎがた

2012年01月12日 | 忘れかけていたこと

かぎがたのUSBメモリーと聞いて、パソコンの横にツンと突き出てちょっと邪魔なあの姿を変えたのかと思った。
スロットに差し込んだカードぐらいになると、そのままでおいても無理な力を加えなければ大丈夫だが、チョコレート片のようなUSBメモリーではくしゃんと曲がりそうだ。
曲がっても元に戻せばというものではなく、受け口のほうまで傷めてしまいそう。

あれが直角に曲がった形なら便利だろうと考えるのはやや浅はかで、隣の入口をふさぐかも知れないなどと思いながら写真を見たら、かぎがたは鍵型だった。
直角に曲げた形なら、かぎ型ではなくL型というだろう。

キーホルダーに、ほかのキーと一緒につなげられる。
そうしておけばどこかに置き忘れることはなさそうだ。
だがしかし、そっくり落とせば危険は倍加、やはりセキュリティーとリスクは背中合わせなのだ。

http://www.uniquestandards.com/item/3756-12.html?utm_source=nikkei&utm_medium=web&utm_campaign=nst


本名と綽名

2012年01月11日 | 忘れかけていたこと

デスクトップの見つけ方で、
『デスクトップフォルダを表示させるには、「ファイル名を指定して実行」
Vista・7 では検索窓に、下記のように書いて Enter を押すと簡単です。
 shell:desktop 』

Hさんから、こう教えていただいた。そう、前にも何度か同じことを聞いたが、使う機会がなく、忘れていた。

シェルは、むかしガソリンスタンドでよく見かけたマークの貝殻。
OSにはカーネルという核の部分があって、シェルはその外層で仕事をするらしい。

なかなかの働きもので、さまざまな仕事をこなすようだが、
 shell:desktop
は、「デスクトップ、出て来い」という号令機能があるようだ。

ためしにやってみたら、躊躇なくぱっと現れた。
ときどき使う Win+E でマイコンピューターを呼び出す操作は、「はいはい」というぐらいの早さだが、shell:desktop にはあのちょっと待て感はない。

一つ疑問が出た。
desktop と呼ばれて出てくるからには、それが名前には違いなさそうだが、ファイル操作画面に現れる デスクトップ というあの名前と、どう違うのだろうか。
desktop を画面に表示するときは デスクトップ と出るようにしているのか、desktop が本名で、デスクトップ はニックネームなのか。
さあわからない。


状況と結末:2

2012年01月10日 | 忘れかけていたこと

1月8日の、見つからないデスクトップのことで、いただいたメールにこう書かれていた。
「ネットワークも(マイ)コンピュータもすべてがそのサブフォルダとなるツリー構造になっていますので、ツリー構造の根幹が無いのにその下のフォルダ存在することが不思議です。」

あの現象は、根幹はあっても名前が変わってしまっているのだと思っていたが、根幹がないという見方もできるという頭の働きには平伏脱帽である。

ヒエラルキー構造にはトップの存在が欠かせない。
部長課長をグループマネージャーとか、グループリーダーと呼んでみたり、会長社長をCEOと呼んでみたり、いや会長は違うと言ってみたりするのと、存在の有無とはわけが違う。

根幹のないのにその下のフォルダの存在が不思議だという話から、某国の現実鏡像を見せられているような気がした。
背筋に寒さを覚えるほどではなくても、ネバネバに続く言葉は、実は安心ではなかったのかと、いまさらながら落ち着かない気分になった。
昨日成人の日を過ごした人たちは、いったいどんなことを考えているのだろうか。


セキュリティ:2

2012年01月09日 | 忘れかけていたこと

一昨日はクラウドのセキュリティのことを書くつもりだったが、始めがまずかった。
言い訳は雲に似ていると言ったのでは言い訳の話で終わってしまう。これも言い訳めいてみっともないが。

安全性への懸念から、クラウドへの移行をためらいがちになるという記事を見かけた。
相手が雲であると名乗られては、雲をつかむのたとえになじんだ日本語民族は二の足を踏んで当然だろう。
正体をつかめないから不安なのだ。
しかし、自社のシステムで正体がわかっているから安全としてしまうのは短絡的だと、その記事は説く。
決め手は、脆弱性への対策が十分であるかどうかだという。
自社のシステムでも、自分の属するグループのシステムでも、そこに入りこむアクセス権限の与え方で情報保護の脆弱性は様変わりする。
IDとパスワードの合致だけでアクセス権限を設定すれば、パソコンが社有であろうと私物であろうと判定をしないから、仕事を持ち帰って片付けるうちに、そこに重要な情報が含まれていることを忘れてしまう。
こうして起こる漏洩は、悪意の有無に無関係なのである。
公的情報の漏洩が、善意であれば許されるというものでもない。

情報を掠め取って公開し、報道の自由だの義務だのとうそぶくのは、やはり言い訳ではないか。
おや、また言い訳の話に戻ってしまった。
セキュリティの敵は、どうやら言い訳ということになりそうだ。


状況と結末

2012年01月08日 | 忘れかけていたこと

暮の12月23日に、デスクトップが見つからなかったことを書いておいたら、あの結末がついてないではないかとお話があった。

一応の締めくくりはしたつもりだったが、紐がゆるくてしっかり締ってなかったようなので、もう一度その状況を思い出しながら結末の手当てをしておこう。

まず状況を整理してみる。(12月23日の記事:迷机札の要約と補足)
講習会で練習用に作ったファイルを、とりあえずにデスクトップに保存しましょうと講師が言ったが、「デスクトップがない」という質問が出た。
ウインドウズパソコンを起動したとき最初に表れるのがデスクトップだから、ないはずはなく、デスクトップと呼ばずに別の名前を付けてしまっているらしい。
ないもの探しは難しいという先入観から、その場でこれがデスクトップに代わるものですと説明して上げられなかった頭の回転の鈍さに後から気づいたがもう遅い。
その日が講習会の最終日だった。
東芝のダイナブックだったことは覚えているが、ウインドウズのバージョンは迂闊にも確かめ損ない、いまとなっては調べようがない。

次に、つけたつもりの結末の話。(12月24日の記事:探机法の要約と補足)
起動直後の画面につけてあるデスクトップでない別名を探し当てるには、どうしたらよいのか。
デスクトップに何かファイルがあればよいのだが、なければ一つこしらえる。
デスクトップで右クリック ⇒ 新規作成 ⇒ テキストドキュメント
これで空のファイル「新規テキストドキュメント」ができた。
それを開いて、ファイル ⇒ 名前をつけて保存
そこに出てきた窓の「保存する場所」に表示されている名前が、そのパソコンのデスクトップに相当する別名である。
これで名前が見つかった。

なぜそうなったのか、理由がわからないと気がすまないかもしれないが、おそらく初期設定者の気まぐれで付けられてしまった名前だから、命名の由来は、目の前にその実機を置いて確かめることができず、設定者と直接話をすることは望めないいまとなっては、わからないとしか言いようがない。
そんなわけで、この話はご勘弁願いたい。


セキュリティ

2012年01月07日 | 忘れかけていたこと

言い訳は雲に似ている。
セキュリティは言い訳では護れない。
護れないどころか、下手な言い訳は、たぶんほころびの要因になるだろう。

わが社の、わが組織の、セキュリティは万全ですなどと、重役会や中央役員会に報告されても、社名や組織名が安全を保障するものでない事実が、またかと思うほど次々に現れる。

ものは何かが組み合わさってできているから、どれほど密にできているといっても、かならず内と外はどこかでつながる。
つながりは大抵、内から外に向かって道筋ができ、漏れはじめることから始まる。
はじめは道筋のつもりではなくても、一度が二度、二度が四度と続くうちに、もう取り去ることのできない道筋になる。

危ない道筋の始めは、担当者の言い訳である。
まず自分に言い訳し、相手に言い訳し、組織内に言い訳し、社会に言い訳する。
そのころには言い訳が説明の形に化け、並べる言い訳の数が多いほど説明が懇切丁寧であるかのように、自分も思い、ひとにも思わせようとする。

セキュリティの感覚は、文章構造や発言の巧拙とはまったく次元の違うことではないか。
雲はやがて散リ去り、消えていくものなのだ。


理由

2012年01月06日 | 忘れかけていたこと

Webの情報誌に登録したら、IDと一緒にご丁寧にパスワードまでメールで知らせてきた。
登録用に先方で決めた臨時パスワードではなく、こちらで決めたパスワードなのだ。
ずいぶん鷹揚にやってくれるなと書いて送ってやったら、しばらくしてメールで返事がきた。

「弊社よりお客様へお送りするメールにつきましては、現在のところ暗号化は実施しておりません。その理由と致しましては、メールの暗号化や解析に適当なアプリケーション・ソフトウエアが一般に普及していないことが挙げられます。
このため、×××では、ご利用のサービスの内容(有料サービスなど)により、ユーザーID・パスワードの通知方法を郵送等に変えさせていただいております。」

とはじめに書いてある。
メールを暗号化しないのかなどとは聞いてもいなのに、まずこうして回答を読む側の意識を拡散させる。
永田町の小父さんたちのお得意の手によく似ている。

次にはこう書いてある。
「また、無料会員サイトのみのご登録者様に関しては、ユーザーの皆様からのご要望の多いメールでの通知とさせていただいております。」

書類でよこせと言ってないのにメール通知の言い訳を書いて、無料読者への面当てのように読ませる。

そのあとは、
「ユーザーID・パスワードは、基本的にご本人様がお控えいただき、保存いただくものですが、弊社からメールで通知させていただく場合には、都度、念のための変更をお勧めしている次第です。」

わかりきったことを言っておいて、メールで通知が行ったら違うパスワードを使えと言う。
言葉遣いだけは丁寧を装っているが、ずいぶん馬鹿にした言い草ではないか。
わが社は何があっても大丈夫という立派な意思が表れており見上げたものだと、年始からほとほと感じ入った。


重宝情報

2012年01月05日 | 忘れかけていたこと

パソコンとドアノブ、どういう関係があるのか。
Webという網の目に引っかかると、みな関係ができてくる。

トイレのドアノブが、がたついて気持ちが悪いと家人の苦情。
外側には、ねじも何もないから、どうこねくり回しても外せそうもない。
取り付けたものが外れないはずはなく、方法はあるはず。

こういうときのインターネット。
「ドアノブ」で検索すると、ドアノブの何が知りたいのか、あれかこれかとメニューが並ぶ。
ご親切に「ドアノブの外し方」というのがある。

写真入の解説、千枚通しとマイナス・ドライバーで外れた。
2本の取り付けねじががたがた、プラス・ドライバーで締め付けてOK。
こんな簡単なことでも、道具は3種類。

中の写真を撮っておいたが、なんとこれがピンボケ。
マクロ撮影にセットしてなかったからだ。
また外すのは面倒だから、写真は参考にならない外側だけになった。

日常性になじまない方法は、身につかず、使うときには思い出さないもの。


思い込み

2012年01月04日 | 忘れかけていたこと

パソコン操作に思い込みは邪魔になる。
年賀状の追加印刷をしたいのだがうまくいかない、と電話がかかってきた。

暮に手こずったあのソフト"F"の画面を想像しながら応答する。
住所録には書き込んであって、宛名はできたが裏面が出てこないという。
「その人の名前をクリックして、裏面のボタンを押してみてください」と言うと、「跳ねられてしまってだめだ」という返事。

では最初からと、ソフトを再起動してもらい、「住所録のいちばん始めのもう印刷済みの人をクリックして見てください」「宛名が出てきた」「裏面のボタンを押してみてください」という。
「跳ねられちゃうよ」「そうですか」・・・3秒後、「あ、出てきた」
「よかったですね、印刷はできますね」「ありがと」「いつでもどうぞ」

あの人は、どういう思い込みをしていたのだろうか。
この前に手こずったから、またうまくいかないのではないか、とでも思ったのか。
よくわからないからまただめなのではないか、と思いながら動かすと、パソコンも巧く動かない。
しばらく付き合ううちに、ユーザーの気持ちまで記憶してしまうらしい。


手帳代わり

2012年01月03日 | 忘れかけていたこと

便利なWebサイトが見つかって、メンバー登録をした。
登録が受け入れられると、ごく不親切なところ以外は「登録が完了しました。あなたのIDは****です」とメールで通知がくる。
パスワードまで書いてくるのんきなところもたまにはある。
この通知メール、うっかり削除してしまうと、IDを忘れてしまう。パスワードもいろいろ変えると覚えていられない。
登録はしたものの、後でログインできず役に立たないのでは困るから、メールが消えてなくなっても差し支えないように肝心なことは記録しておきたい。

この電子時代に、まだ「高橋の手帳」がテレビのCMに出るのは、ひとまとめに何かに記録をしておかないと危ないと思う人がいるからだろう。
だが、パソコンのデータを紙の手帳に書いておくのは、どこか間が抜けているような気がして、パソコンを開かずに見る必要のあること、メールの届かない宛先への通信文、それに走り書きのメモ以外は紙を使って書くことをしなくなった。
だから、手帳という日用品が持ち物からなくなった。

手帳に代わるパソコンの記録は、あのメモ帳かエディターで書いたファイルでもよいが、ほかのファイルと混ざってしまうとややこしい。
エクセルは便利だが立ち上がりが遅い。

ぱっと出てきて1件1ページの記録ができ、フォルダー分類もできて、たいそう便利なフリーソフトとがある。
ID Manager がそれ、見た目はこんな形で下のメモの部分は、はみ出しの心配など無用でどんどん書き込める。
この名前で検索すればすぐダウンロードできるので、どうぞお試しを。


目標

2012年01月02日 | 忘れかけていたこと

今年の目標は一日一究、それが一窮で終わる日もあるかもしれないが、できるだけ少なく、そんなことを考えている。

こうしようと思わずに、いつのまにかそうなっていることがときどきある。

起動用アイコンは探したくない。
白い矢印を右往左往させず、目標に向かってすっと動いていくようにしておきたい。
それにはデスクトップを広くしておくこと。
アイコンの数が増えても左右の端に最大で9個、これは一列に並ぶ範囲、できれば7個に抑えたい。
ふだん使う窓の大きさは、左右のアイコンが見えるぐらいにしておくと、すぐ捕まえられる。

一目瞭然、これが崩れてきたら、何か手当てを考えよう。