本日行なわれた新人戦は、0対5で立教に完封負けして初戦敗退となりました。
私は観戦することができせんでしたが、タイムリー欠乏症というリーグ戦の悪い流れを、そのまま引き摺ってしまったのかも知れません。
勝敗は別として、将来に期待が膨らむような若い力はいたのでしょうか。
いずれにせよ、せっかくの機会なので、下級生部員たちにはあと2試合、神宮球場でプレーしてもらいたかったですね。
残念です。
さて昨日から、リーグ戦での早稲田の戦いぶりの記憶が、頭の中を駆け巡っています。
投手に関しては、四年生三人衆を前面に押し出す戦法は正しい選択であったと思います。
ただ、投手の調子には波がありますから、例えば、斎藤投手の調子がなかなか上がらなかったとしたら、好調を持続している福井くんを第一戦の先発に持ってくる策もあったのかも知れません。
しかし、斎藤投手を主将に選んだからには、それを実行に移すのが簡単ではないことも確かなのですが。
野手については、1982年秋の優勝チームのように、下級生からラッキーボーイ的な選手が登場しないかと期待していました。
でも、実際には、勝負どころで佐々木くん、杉山くんらの下級生たちの緩いプレーが飛び出して、すっかり勝利の女神にソッポを向かれてしまいました。
早慶戦では、松永くん、宇高くんらの四年生が最後まで勝負を捨てない粘りを見せていてくれていただけに、下級生たちの戦いぶりを歯がゆく感じました。
下級生で選手に選ばれているのは、それに相応しい可能性があると指導陣が期待しているから。
そして、その指導陣からの期待に応えることにとどまらず、控えに回った上級生部員達の悔しい思いも背負って、試合で結果を出す責任があります。
夏の練習で基礎の基礎から鍛え直して、最後の秋に懸ける四年生たちの足を引っ張ることにないよう、頑張ってもらいたいと思います。
閉会式で行進する四年生の中に、悔し涙を流している選手達がいました。
そして、学生席の応援部のリーダーやチアリーダーたちの中にも、目を真っ赤にしている部員が何名もいました。
3ヵ月後の秋のリーグ戦では、彼らが嬉し涙を流すことができるといいですね。
私も、応援をもっと頑張ります。
私は観戦することができせんでしたが、タイムリー欠乏症というリーグ戦の悪い流れを、そのまま引き摺ってしまったのかも知れません。
勝敗は別として、将来に期待が膨らむような若い力はいたのでしょうか。
いずれにせよ、せっかくの機会なので、下級生部員たちにはあと2試合、神宮球場でプレーしてもらいたかったですね。
残念です。
さて昨日から、リーグ戦での早稲田の戦いぶりの記憶が、頭の中を駆け巡っています。
投手に関しては、四年生三人衆を前面に押し出す戦法は正しい選択であったと思います。
ただ、投手の調子には波がありますから、例えば、斎藤投手の調子がなかなか上がらなかったとしたら、好調を持続している福井くんを第一戦の先発に持ってくる策もあったのかも知れません。
しかし、斎藤投手を主将に選んだからには、それを実行に移すのが簡単ではないことも確かなのですが。
野手については、1982年秋の優勝チームのように、下級生からラッキーボーイ的な選手が登場しないかと期待していました。
でも、実際には、勝負どころで佐々木くん、杉山くんらの下級生たちの緩いプレーが飛び出して、すっかり勝利の女神にソッポを向かれてしまいました。
早慶戦では、松永くん、宇高くんらの四年生が最後まで勝負を捨てない粘りを見せていてくれていただけに、下級生たちの戦いぶりを歯がゆく感じました。
下級生で選手に選ばれているのは、それに相応しい可能性があると指導陣が期待しているから。
そして、その指導陣からの期待に応えることにとどまらず、控えに回った上級生部員達の悔しい思いも背負って、試合で結果を出す責任があります。
夏の練習で基礎の基礎から鍛え直して、最後の秋に懸ける四年生たちの足を引っ張ることにないよう、頑張ってもらいたいと思います。
閉会式で行進する四年生の中に、悔し涙を流している選手達がいました。
そして、学生席の応援部のリーダーやチアリーダーたちの中にも、目を真っ赤にしている部員が何名もいました。
3ヵ月後の秋のリーグ戦では、彼らが嬉し涙を流すことができるといいですね。
私も、応援をもっと頑張ります。