私の職場の仲間の間で、NHKの連続ドラマ「ゲゲゲの女房」の評判が、なかなか良いです。
主人公である水木しげるさんご夫妻の、懸命で明るい生き方が、多くの方々の共感を呼んでいるのだと思います。
もっとも、水木ワールドの大ファンである私は、オープニングで鬼太郎やネズミ男のアニメーションがちらりと登場するだけで、心が踊ってしまいます。
水木しげるさんのお父上(今回のテレビ番組で演じるのは、風間杜夫さん)が早稲田出身で、鳥取県は早稲田の野球部にも縁が深いことを、かつてブログに書きました。
過去記事へのリンク
ただ、私の若い頃に限れば、何といっても鳥取県=野口裕美投手(立教)です。
野口投手に関連する過去記事
左の本格派であった野口投手は、鳥取県の西伯町出身で、法勝寺中学(後原勉監督)-米子東高校(鍵原純三監督)から立教に進みました。
1980年(昭和55年)の春、野口投手は、シーズンに94イニング(!!!)を投げて、6勝4敗、96奪三振。
この奪三振数は、、あの秋山登投手(明治)の持っていた86奪三振という記録を26年ぶりに破るもので、立教を13年ぶりのAクラスに押し上げる原動力になりました。
高校時代の野口投手は、東大のセレクションにも誘われたという秀才でした。
高校一年の秋、中国大会でベスト4に残り、翌春のセンバツにエース投手兼四番打者で出場するも、古豪の県立岐阜商業に0対5で完敗。
でも、身長183センチという本格派左腕は、一躍、全国から注目を集めるようになりました。
立教に進学して、下級生時代は胸のすくような快投を毎試合見せてくれた野口投手でしたが、酷使がたたり、肩を故障。
それでも、西武にドラフト一位指名されてプロ入りしましたが、立教の下級生時代に見せた快速球と、各校の打者から「ボールが消える」と言われた、キレキレの変化球は、最後まで甦りませんでした。
あの時代の立教ではやむを得ないことでしたが、あの酷使さえなかったら、野口投手はプロでも大暴れしたに違いないと、私は今でも確信しています。
斎藤佑樹投手も、できることならば大学ジャパンも辞退して、少しでも肩を休めて、最後の秋に備えてもらいたいと私は思います。
現在の彼が絶好調だとは、とても思えませんから。
でも、ファンやメディアから熱い期待の声が現実に寄せられている以上、主催者も首脳陣も、商業的に無視はできません。
その結果、いくら肩を休めようと思っても、現実には極めて難しいことなのでしょうね。
でも、メディアは、野球でも、ゴルフでも、卓球でも、フィギュアスケートでも、何でもいいのです。
つまるところ、営利企業として、メディアは目先の注目を短期的に追い求めるだけなんじゃないかと、冷めた見方を私はしています。
ひるがえって、斎藤投手が一年生の時、北京五輪を前にして、ジャパンの星野仙一監督から無茶な要求があった際に、体を張って斎藤くんを守ろうとした応武監督。
その応武さんの姿勢を、私も心から応援していました。
あの時の応武さんが、一徹な姿勢で何を守ろうとしたのか、いま再び問われようとしています。
主人公である水木しげるさんご夫妻の、懸命で明るい生き方が、多くの方々の共感を呼んでいるのだと思います。
もっとも、水木ワールドの大ファンである私は、オープニングで鬼太郎やネズミ男のアニメーションがちらりと登場するだけで、心が踊ってしまいます。
水木しげるさんのお父上(今回のテレビ番組で演じるのは、風間杜夫さん)が早稲田出身で、鳥取県は早稲田の野球部にも縁が深いことを、かつてブログに書きました。
過去記事へのリンク
ただ、私の若い頃に限れば、何といっても鳥取県=野口裕美投手(立教)です。
野口投手に関連する過去記事
左の本格派であった野口投手は、鳥取県の西伯町出身で、法勝寺中学(後原勉監督)-米子東高校(鍵原純三監督)から立教に進みました。
1980年(昭和55年)の春、野口投手は、シーズンに94イニング(!!!)を投げて、6勝4敗、96奪三振。
この奪三振数は、、あの秋山登投手(明治)の持っていた86奪三振という記録を26年ぶりに破るもので、立教を13年ぶりのAクラスに押し上げる原動力になりました。
高校時代の野口投手は、東大のセレクションにも誘われたという秀才でした。
高校一年の秋、中国大会でベスト4に残り、翌春のセンバツにエース投手兼四番打者で出場するも、古豪の県立岐阜商業に0対5で完敗。
でも、身長183センチという本格派左腕は、一躍、全国から注目を集めるようになりました。
立教に進学して、下級生時代は胸のすくような快投を毎試合見せてくれた野口投手でしたが、酷使がたたり、肩を故障。
それでも、西武にドラフト一位指名されてプロ入りしましたが、立教の下級生時代に見せた快速球と、各校の打者から「ボールが消える」と言われた、キレキレの変化球は、最後まで甦りませんでした。
あの時代の立教ではやむを得ないことでしたが、あの酷使さえなかったら、野口投手はプロでも大暴れしたに違いないと、私は今でも確信しています。
斎藤佑樹投手も、できることならば大学ジャパンも辞退して、少しでも肩を休めて、最後の秋に備えてもらいたいと私は思います。
現在の彼が絶好調だとは、とても思えませんから。
でも、ファンやメディアから熱い期待の声が現実に寄せられている以上、主催者も首脳陣も、商業的に無視はできません。
その結果、いくら肩を休めようと思っても、現実には極めて難しいことなのでしょうね。
でも、メディアは、野球でも、ゴルフでも、卓球でも、フィギュアスケートでも、何でもいいのです。
つまるところ、営利企業として、メディアは目先の注目を短期的に追い求めるだけなんじゃないかと、冷めた見方を私はしています。
ひるがえって、斎藤投手が一年生の時、北京五輪を前にして、ジャパンの星野仙一監督から無茶な要求があった際に、体を張って斎藤くんを守ろうとした応武監督。
その応武さんの姿勢を、私も心から応援していました。
あの時の応武さんが、一徹な姿勢で何を守ろうとしたのか、いま再び問われようとしています。