バカ犬

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メッセージ性のあるテレビドラマ

2008-07-12 | Weblog
7月8日の夜、日テレ系のチャンネルで、「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」というドラマを見た。

NHK,民放を含めて、久しぶりにメッセージ性のあるちゃんとしたドラマを見た気がする。
最近の地上波テレビのドラマは、漫画か劇画をモチーフにしたまったく見るに耐えない安っぽい質のものばかりでうんざりだ。結果として、ドラマは見ないようになった。

こんな中、このドラマは珍しくまじめに見ることの出来るドラマだった。言っては悪いが、いつもの4チャンのくだらない路線とも一線を画していた。

このドラマになにを見たかというと、そこには日本人が持つ「横並び精神」というか、「村八分の恐怖にいつも敏感な個人」とか言える思考パターンだ。恐ろしい感じがした。

筋を追うつもりはないが、
太平洋戦争で飢餓に苦しんで、結果として敵のオーストラリア軍の捕虜になった日本軍捕虜たちの行動の変化の経緯が見事に捉えられている。

捕虜生活を気楽に過ごしていた捕虜の中に、「生きて虜囚のはずかしめを受けず」という戦陣訓にどっぷり浸った日本軍の組織風土と縦系列の関係に価値を見出しているグループが加わってくる。その中には、位の高い将校連中がいる。彼らは、捕虜になってもさらに戦うのが軍人の誇りだといって、死に至る脱走を計画する。

それに対する、合意形成がなされる過程で、日本人に多く見られる、「人と一緒の行動しよう」、「仲間はずれにはならない」、「上の言うことには服従しよう」、「身内に迷惑をかけてはならない」という、心理的状況が自然に生まれてくる。

結果として、トイレットペーパーによる投票、それもみんなが見ている前での投票で、大多数が死を覚悟して、機関銃に撃たれるとわかっている脱走に一票を投じる。
本音と建前のせめぎ合いでは、当然建前しか選ばれない。そして、可能性の無い脱走劇を演じる。そして、ほとんどの人が死んでしまう。

こうした、見えない圧力を受けて、自分の行動を自由に行動しない、できないという状況は、今の世の中でも日常的に見られることだ。これこそ、日本人の特性かもしれない。農耕民族の悲しさかもしれない。

会社の会合でも、地域社会でも、こんな風に自分を押し殺して、多勢に付く人たちが大多数だ。個人の意見をしっかり主張する人は少ない。ああ、変わっていないんだなぁと思う。