福島原発#1の事故のその後を見ていると、政府、官僚、与党は、じわじわと小出しに情報を出していっているとしか思えない。
時間を稼いでおいて、本当の事は人があきらめた頃にリークしていくというやり方がまかり通っている。
避難者が「すべてを事故前に戻してほしい」と願うのは当たり前で、自然。
しかし、客観的に見てみると、誰だって、そんなことはできっこないと知っている。いくら除染費用をかけたって、できないものはできない。
「帰還困難区域」と「居住制限区域」の対象から避難している皆さんにとっては、この客観的な、冷たい現実を、政府はじわりじわりと、小出しに真実の情報に向かって情報の切れ端を出している。
政府は、早く、帰還困難だとか、居住制限だとか言わないで、はっきり「ここには帰れない、除染もできない」と言うべきだと思う。
避難した人が帰りたい気持ちがあっても、冷徹に、「死の村、町」と言うべきだと思う。同時に、他の地での生活の再建を目指していく人に、十分な補償をしていくという方が、避難している人たちにとっても、覚悟を決めて新しい生活を設計できるのではないかと思う。
放射能は怖いけれど、もう先がないから、元の土地で住みたいという願望の強い老人たちには、そのオプションを残せばいい。
一方、除染した「土」の中間保管の仕組みが瓦解していることは明らかだ。死の町、村と定義したら、そこの中間では無く、永久保存の施設をつくるのが妥当だと思う。
もしかしたら、核のゴミの永久保存施設も、こうした死の村、町に作って行くのがいいのかもしれない。そうした利用方法しかないのだから、もう、これらの土地には。
なまじ、避難民に寄り添って、何らかの希望を持たせようと、希望的な話を出しながら、片や、現実的な情報を出して、時間をかけて、避難民気持ちがあきらめになるのを待つというのは、とても姑息だと思う。
旧ソヴィエトのチェルノブイリ原発事故は、大きな示唆を与えている。