いつも思うのだけれど、衆院の一票の差を違憲状態と判決した最高裁の判決といい、
今回の広島高裁岡山支部の判決も、国会の怠慢を指摘している。
しかし、国会の各派の利害は一致するわけは無く、うやむやのうちに任期切れとなっていくのを見ていると、本当に腹立たしい。
問題は、「国会」ってなんなのかの定義が分からなくなってきたことだ。
行政の長である、総理大臣が格差是正の責任を取ることはないし、各党派も、党であって、「国会」ではない。
要は、実行の責任は誰になるのか分からない。国会の職員でもないだろう。
「国会」は国会としての、組織を定義しなければ、だれも実行責任を取らないことになってしまうのではないかとつねづね思っている。
本来的には、衆・参議院議長だろうと思う。そこに、事務局の優秀な弁護士や、憲法学者等をスタッフとして入れるのが妥当だろう。素案を作って各党に提示するくらいの権限がなければ、実効はおぼつかない。
今の、多数党が議長を務めると言う慣例では、独立性も、意識改革のサイクルもまわらない。
その証左に、この件に関しては、各党の幹事長がコメントしているだけだ。彼らが国会の改革を積極的に行うはずはない。
衆議院議長、参議院議長は何をしているのか不思議だ。
残るは、空しさだけだ。