紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

日記遍歴

2006-07-17 23:50:19 | ファミリー
 今日は初めてKちゃんたち子どもたちだけで映画を観に行く、お子様オンリー映画デビュー?だった。隣の駅で彼女らが待ち合わせだったので、車で送ってあげる。

 帰り道では滅多にないような大雨に遭遇し、わくわくした。緑の稲の葉が一斉に90°に風になびき、その上を雨がはねて白い霧状になっていた。遮るものの無い吹きさらしの道を軽自動車で走るのは、ドキドキものだった。横揺れを繰り返すので、横転しないかはらはらしつつも、台風到来時のようにわくわくしてしまう。それでも無事家に到着。

 昨日は手紙の話だったが、日記の話に続きがあったのを思い出した。個人的な私の日記は大学生の途中までだったが、結婚後に新婚旅行の飛行機の中からスタートしたハネムーン~妊婦日記から、こどもが生まれてからの「育児日記」まがいにとスライドしていった。

 その頃は夫・H氏も多忙を極めており、家にいる時間が極めて短かったため、夫への『Tくんレメ[ト』としても役立ってくれた。このときから私は「サービス精神」というものに目覚めたのかもしれない。
 
 『育児日記』なので1~2歳のTくんがメインではあっても、家族のメンバーのあれこれも、しっかり記録されている。しかも絵日記なので、ビジュアルで面白い事も一目瞭然だ。数々の資料(レシート、パンフ、絵葉書)も添付されている。

 晩ご飯の後、今日のブログの基本資料である『1990~91日記』を探し出し、開いてみた。Tくん1歳の記録である。実はブログ開帳に先立ち、夫婦で思いっきり受けまくっていた。

 例えばこんなことが書いてあった。

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 最初にTくんが憶えた言葉は「ゼリー」と「ハム」だった。

 京都の平安神宮にいったとき、Tくんは「おみくじ」を引いていたお姉さんを「なんなーん」と言いつつ、一生懸命拝んでいた。かわいい、もしくはキレイなお姉さんにいたく興味を示した1歳児だった。そして積極的にアプローチしていた。(君は「クレヨンしんちゃん」か?)

 彼の創作語「たこびー」(たぶん「いや」「あほらし」などの意味か?状況により意味合いが変わる。強い拒否や強情を貫くときにも使う。一方優しい口調で言う時は、逆説的な愛情が込められたりしている。)が、彼の似顔絵に吹き出しで、頻繁に登場。

 はじめて散髪にいって順番待ちをしていたとき、彼はカーラーをいっぱい巻いたいかついご婦人を指差し、にまにま笑いながら「オニ、オニ」と言い続けた。彼を制止しつつ笑いを堪えるのに苦心した。

 H氏の作った替え歌。メロディーは物悲しい「フランシーヌの場合」で。

 ♪シーラカンスの場合は~ あまりに~も年寄り・・・♪

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 1歳児がいながらも、意外に子連れでいろんなところへ行っている。京都や大阪は頻繁に、鳥羽(三重)や福井や岐阜にもおじゃましていた。

 普段の休日も大型ペットショップへ熱帯魚を見にいったりしている。ペットショップでグラスフィッシュ(スケルトンフィッシュ。透明な魚でホネが透けて見える)やタツノオトシゴまでいた事も、絵入りで記載されており、16年ぶりに驚く。あの頃は熱帯魚、流行ってたもんなあ。

 なかでも圧巻の北海道家族旅行の記録が懐かしい。おじいちゃんやおばあちゃんも元気に参加していた。
 ここで彼は雄大な大自然の中で「立ちション」の快感に目覚めてしまい、旅行後に再度トイレトレーニングを教育し直したのだった。

 育児日記は彼が幼稚園入園とともに、残念ながら自然消滅してしまった。
しかしそれは実は、幼稚園(小学校)に提出される「連絡ノート」にスライドし、細々と続いたのであった。