紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

モンゴメリはお好き?

2006-07-19 22:58:02 | 読書
 いまだに『赤毛のアン』が好き、と手放しでは言いづらいものがある。あの物語のカントリーでロマンチックで大仰な部分が好き、といえる女性、つまりパッチワークやアンティークな家具や手の込んだお料理などの部分に魅力を感じる人とは、一歩距離を置いてみたい気がする。

 とはいえ、読んだ事は読んだ。そしてそれなりには楽しめた。でも5冊目くらいで挫折してしまった。モンゴメリは、この辺ではもう楽しく書いてはいなかったような気がする。

 アンの親友ダイアナが夢中になった男の子をみたとき、アンが「どうしてあんなつまらない男の子に?」と不思議に思うところなんかは、「それ以前に、どうしてアンがダイアナみたいなつまらない子と親友に?」とつっこんでしまいそうだった。アンに夢中のギルバートに、つんけんしまくるアンが小気味よかったから、せめて彼と結婚する直前くらいで終われば、より楽しめたかも。

 でも『赤毛のアン』が好きな友達にも、一筋縄ではいかない女の子もちらほらといた。そんな友達の一人から「アン・ブックス」(「赤毛のアン」から始まる10冊のシリーズ)以外に「エミリー・ブックス」というのがある、と教えてもらい、見事にはまった。10代の頃は「エミリーブックス」と共に歩んだ、といって過言ではない。『可愛いエミリー』から始まる3冊のシリーズである。

 最愛の父親を亡くした子どものエミリーは、母方の親戚の家に引き取られることになる。エミリーの母は姉妹たちにたいそう愛されていたのに、父と「駆け落ち」してしまったため、姉妹たち(エミリーにとっては叔母たち)は、エミリーの父親をもちろん許せない。しかし彼女らの最愛の妹の娘だから邪険にはできない(し、とてもよくしてくれる叔母や叔父もいる)。複雑な感情が交錯する叔母や叔父の中で、古き良きヴィクトリア時代のような家や暮らしに、エミリーはしだいに馴染んで行く。

 彼女は天国の父親に手紙を書き続け、一癖も二癖もある、けれど誠実な友達をつくり、皮肉屋だが彼女の才能を見いだし伸ばそうとしてくれる先生にも巡り会い、自分の野心に向かって小説や詩を書きながら成長して行く。

 モンゴメリはこの物語の中で誰かが亡くなるシーンを書くとき、たまにユーモアの冴えをみせる。彼女の中では、死ぬこと、イコール暗く悲しい事ではない。人はみな平等に死ぬけれど、それもまた個性的で多様な様相を帯びることを知っていたのだ。

 エミリーに「書く事」にまつわるひどい仕打ちをした大嫌いな叔母の家から、家出をした直後の彼女の英雄のような気持が、しだいに自省して後悔してゆく心の変化や、彼女が霊媒となるときのゴシックロマンぽいぞくぞくする気持とかは、思い出してもわくわくする。

 中でも刺激のある都会に出て来るよう勧められるせっかくの夢がかなうチャンスを、自分の意思でみすみす退けてしまうところなんかは、自分自身に重ね合わせて、心の中でやんやの喝采だった。
 私が独身の頃恐れていたのは、たぶん結婚して別の土地に住むことだったような気がするから。愛国心があるかどうかはよくわからないが、郷土愛はおすそわけできるくらいあるぞ、きっと。

 モテモテのエミリーの恋の遍歴、地道な自分の夢への努力、うまくいかないあんなことこんなこと、それこそ山あり谷ありのいぶし銀のような物語は、モンゴメリに物語る楽しさを(アンとは比較にならないくらい)味わわせてくれたのでは?と密かに思っている。