紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

男子高校生のパッション

2006-07-24 22:17:22 | ノンジャンル
 高校は女子校育ちなので、男子高校生と接する機会は無いも同然だった。

 すっかり育ちあがって大学も卒業した後、公共の施設で男子高校生が数人盛り上がっている場面をみて、「いいぞ! 男子高校生!」と、非常に共感したことが2回ある。

 一回目は三十三間堂にひとり出かけて、ずらりと居並ぶ千手観音像に救いを求めに行った時だった。

 ずらりと居並ぶ、と一口に言ってしまったが、このお堂の中には、1001体の千手観音像がある。信じられますか? すごい手仕事であり信仰のなせる技だと、気が遠くなる。普通の仏像でさえ、1001体作ろうと決意するのさえ難しい数なのに、千手観音なのだ! 1体に(さすがに千本はないが、それでも)40本の手を作らなければならない。ふええ~。

 以前、京都博物館の常設展示室で、小学生(低学年)たちが仏像の写生の下書きをしていたのに遭遇するチャンスがあった。展示物より写生の方が数段面白かった。

 普通小学生は、なるべくシンプルな仏像を選ぶ。シンプルな髪型、シンプルな衣、シンプルな顔立ち、シンプルなメ[ズの仏像を選び、なるべく早く書き上げた後は、同じような友達と目一杯遊ぶ、という選択をする子が多いと思う。だからレンゲ台にあぐらを組み、片手を「ストップ」の形に出し、もう片手を「ちょーだい」の形にする仏様が、人気者になる。

 「まさかそんな奴おらんやろー?」と千手観音様の前を見回すと、いるやん、ひとり!
 当然、手はいっぱいあるし、観音様だから髪型も凝っていて、アクセサリーも細かい細工物をつけていらっしゃる。
 すごい! 根性あるやん、この女の子!と、心の中で絶賛。ひとり、ふたりと書き上げて行く子どもたちの中で、彼女は一生懸命に鉛筆を動かしていた。

 「あと5分で、終了ですよー!」という先生の声が響く。千手観音の下書きが気になり、女の子のいた場所に戻ってみる。

 白い画用紙の上には、6本の手がダイナミックに躍動しているパワフルな千手観音さまがいらっしゃった。なるほど「以下、省略」ね。そうだよね、そのまんま書かなくてもいいんだよね。自分の頭の固さを恥じましたね。

 それで・・・えーと、三十三間堂の話がなぜ博物館の常設展の話に? ああ、平面でさえ千手観音を描くのは大変だ、ということがいいたかったんだっけ。

 ところが今日のメインの話は、残念ながら千手観音ではない。お堂の角を曲がった所に並ぶ『二十八部衆立像』だ。二十八部衆立像の前に、ぞろぞろと学生服を着込んだ男子高校生の団体が、はしゃぎながら見仏していた。

「おい、これみてみ~、『生きた化石』がおるやん!」と杖をもったお年寄りの像を指差す。「あ、ほんまや!! 『生きた化石』にそっくりや~」と爆笑しているところをみると、きっと彼らの高校には、『生きた化石』というあだ名の先生がいらっしゃるのだ。

 「おーい、こっちこいよ~! 『歩くしかばね』発見したぞー!」
「えっ!?『歩くしかばね』まで、おんのかよ~!?」と気色ばむ高校生たち。ということは、あんたたちの高校には『歩くしかばね』先生も授業しとるということなんやな?

 もし、京都の三十三間堂で「二十八部衆立像」をご覧になる機会がありましたら、ぜひ、『生きた化石』と『歩くしかばね』がどの方なのか、推測してみて下さい。かなりのお年を召したおじいさまです。

 もう1回男子高校生と遭遇したのは、県立美術館のクレーの絵の前だった。「しっとるけ? ここに、『ねずみ男』がおるねんで」。「ほんまやー! 『ねずみ男』やんけー」「ぎゃはははは~」「そっくりやけ~」
まさかパウル・クレーも極東の島国で、自作の一部がアニメキャラに似てると騒がれるとは、想像もしなかっただろう。

 私も彼らの後ろで順番まちをし、確認をした。確かにクレーのタッチで、非常にシンプルな『ねずみ男』が画面の隅で、やや恨めしそうに空を見つめていた。

 このノリを50になっても持っている人が、「みうらじゅん」なのではないかと思う。うちの夫・H氏も同類かも。もっともみうらさんのパッションには、遠く及ばないけれどね。

 

 Kちゃんが、おばあちゃんに月一で習っているお習字の墨が余ったため作った夏休みビラ。本人は「暑中お見舞い」風に書いたとか。洗面所に添付されており、笑いながら気合いが入る(かも)。明日からKちゃんが山梨県である「こども環境会議」に出席するため、3日間不在。さみしー日々だろうなあ。