今日もTくんの話題だ。昨日は1歳児のときの話だったが、その勢いで4歳児のときのことも思い出した。
彼は2歳で電車マニア、5歳で天気予報ヲタクだったが、4歳でとんでもないものにはまってしまった。タカラのオリジナル第1期のボードゲーム、昭和40年代に一大ブレイクを巻き起こした『人生ゲーム』だ。
そもそも私が実家に帰ったとき、Tくんが遊ぶものがなくて困っていたら、私の母が埃をたっぷりと蓋に積んだ、昔懐かしい「人生ゲーム」を掘り出してくれたのだ。
・・・・・・子どもの頃、私の従妹は豊かな暮らしぶりで、テレビのCMにあるおもちゃはたいてい持っていた。
ある長期休暇の折り、私が彼女の家に泊まりで遊びにいったとき、大騒ぎになるほど盛り上がり、いつ果てる事のない「人生ゲーム」を堪能した。
「ミイラのコレクションを買う」「ピカソの絵を買う」「ブタ箱に入る」「宇宙人をもてなす」などのコメントに、いちいちはしゃいだり、つっこんだり。初めてのタイプの遊びに夢中になった。ドル札が飛び交うのも、ルーレットが回るのも、「しかえし」マスに止まるのも、大興奮だったのだ。
私はあまり他人の玩具を欲しがったり、ねだったりしなかったが、これは違った。テレビでもガンガンCMが流れ、「人生、山あり谷あり」「億万長者になるか、貧乏農場で働くか!?」とセンセーショナルにあおりたてる。まんまと買ってもらい、近所の友達とさんざん遊んだ・・・・・・
そんな古いものがよくも残っていたものだが、とにかくその「オリジナル人生ゲーム」は、予想以上にTくんの心をわしづかみにした。あまりに彼がはまりこんだので、実家より譲り受けてお持ち帰りする事になった。
そのとき私達家族は、まだTくんのマニアぶりを甘く見ていたのだ。マニアの血脈をあなどっていたのだ。そう、子どもだと思って油断していたのが間違いだった。まさか1年間の「人生ゲーム責め」を味わう事になろうとは。
こうして幼稚園のある平日は一日に3回、休日は一日に6、7回、お相手をさせられるはめになった。このときほど、家族の人数が多くてありがたかった事はない。交替で彼の相手をした。メンバーがみんな「子ども第1主義」だったので、できたことなのだろう。
当時お腹にいたKちゃんも誘われたくらいだ。「赤ちゃんも一緒に遊ぼうね。ボクが赤ちゃんのぶんも、ルーレットとコマを動かしてあげるからね」と猫なで声で、お腹の赤ちゃんに語りかけるTくん。
毎日、人生ゲーム。来る日も来る日も、人生ゲーム。親戚が来ても人生ゲーム。ホームステイしたアメリカ人を巻き込んでの人生ゲーム。こうして365日人生ゲームをする日々が続く。
5歳の夏休みに、Tくんは近所の中学生の従兄の家に連泊し、「人生ゲーム合宿」を敢行した。やさしい従兄Mくんが、幼稚園児の道楽に根気づよく付き合ってくれたおかげで、ようやっとTくん納得の「人生ゲーム・最終章」を迎える事ができた。もしかしたらKちゃんの誕生も、終止符を打つのに一役かってくれたのかもしれない。
その後タカラの「人生ゲーム」は、平成版などの新しくバージョンアップしたものや、ルールが複雑化したものも買ったが、やはり1年間も人生ゲーム三昧が可能だったオリジナルのものが、最も完成度が高かったのではないだろうか。
だって、幼稚園児が1年間、飽きずにのめり込んだんだよ、そりゃあね、Tくんのお墨付きです!
彼は2歳で電車マニア、5歳で天気予報ヲタクだったが、4歳でとんでもないものにはまってしまった。タカラのオリジナル第1期のボードゲーム、昭和40年代に一大ブレイクを巻き起こした『人生ゲーム』だ。
そもそも私が実家に帰ったとき、Tくんが遊ぶものがなくて困っていたら、私の母が埃をたっぷりと蓋に積んだ、昔懐かしい「人生ゲーム」を掘り出してくれたのだ。
・・・・・・子どもの頃、私の従妹は豊かな暮らしぶりで、テレビのCMにあるおもちゃはたいてい持っていた。
ある長期休暇の折り、私が彼女の家に泊まりで遊びにいったとき、大騒ぎになるほど盛り上がり、いつ果てる事のない「人生ゲーム」を堪能した。
「ミイラのコレクションを買う」「ピカソの絵を買う」「ブタ箱に入る」「宇宙人をもてなす」などのコメントに、いちいちはしゃいだり、つっこんだり。初めてのタイプの遊びに夢中になった。ドル札が飛び交うのも、ルーレットが回るのも、「しかえし」マスに止まるのも、大興奮だったのだ。
私はあまり他人の玩具を欲しがったり、ねだったりしなかったが、これは違った。テレビでもガンガンCMが流れ、「人生、山あり谷あり」「億万長者になるか、貧乏農場で働くか!?」とセンセーショナルにあおりたてる。まんまと買ってもらい、近所の友達とさんざん遊んだ・・・・・・
そんな古いものがよくも残っていたものだが、とにかくその「オリジナル人生ゲーム」は、予想以上にTくんの心をわしづかみにした。あまりに彼がはまりこんだので、実家より譲り受けてお持ち帰りする事になった。
そのとき私達家族は、まだTくんのマニアぶりを甘く見ていたのだ。マニアの血脈をあなどっていたのだ。そう、子どもだと思って油断していたのが間違いだった。まさか1年間の「人生ゲーム責め」を味わう事になろうとは。
こうして幼稚園のある平日は一日に3回、休日は一日に6、7回、お相手をさせられるはめになった。このときほど、家族の人数が多くてありがたかった事はない。交替で彼の相手をした。メンバーがみんな「子ども第1主義」だったので、できたことなのだろう。
当時お腹にいたKちゃんも誘われたくらいだ。「赤ちゃんも一緒に遊ぼうね。ボクが赤ちゃんのぶんも、ルーレットとコマを動かしてあげるからね」と猫なで声で、お腹の赤ちゃんに語りかけるTくん。
毎日、人生ゲーム。来る日も来る日も、人生ゲーム。親戚が来ても人生ゲーム。ホームステイしたアメリカ人を巻き込んでの人生ゲーム。こうして365日人生ゲームをする日々が続く。
5歳の夏休みに、Tくんは近所の中学生の従兄の家に連泊し、「人生ゲーム合宿」を敢行した。やさしい従兄Mくんが、幼稚園児の道楽に根気づよく付き合ってくれたおかげで、ようやっとTくん納得の「人生ゲーム・最終章」を迎える事ができた。もしかしたらKちゃんの誕生も、終止符を打つのに一役かってくれたのかもしれない。
その後タカラの「人生ゲーム」は、平成版などの新しくバージョンアップしたものや、ルールが複雑化したものも買ったが、やはり1年間も人生ゲーム三昧が可能だったオリジナルのものが、最も完成度が高かったのではないだろうか。
だって、幼稚園児が1年間、飽きずにのめり込んだんだよ、そりゃあね、Tくんのお墨付きです!