教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

いいアニメをつくれば大金を・・・

2009-07-03 00:01:18 | オタネタ全般
> いいアニメをつくれば大金を手にすることができる。その大金で、さらに面白い作品が作れる。それが無理ではないことを、人生をかけて、証明したい。(P.7より)



某blog(※1)の引用の引用になるが、上のような元GONZO会長のセリフがある。

わたしもモノを作るという立場に近いこともあって、少しこの言葉が身にしみる思いである。
「良い意味」と「悪い意味」の両方において。



「良い意味」とは、まあ改めて言うほどのこともないが、こんな感じだ。
競合他社製品より秀でたモノを作れば、市場から評価を得られ、そして利益に還元される。
あたりまえだね。



さて次。
「悪い意味」もある。

上記セリフはモノ作りに携わるものにとっての願いである。
もっと言えば信仰に近いかもしれん。
たとえば、生活に苦しむ信者が
「死んだら我々だけが天国へ行くことができる」
と、ウソでもいいからすがるように信じて暮らしているように。

実は、バブル以前の日本はこれにピッタリあてはまった。
当時の誰もが
「良いモノを作れば必ず売れる」
と信じて疑わなかった。

バブル崩壊とともに、これは正しくなかったと多くの者が思い知らされるハメになる。
要するに皆のサイフのヒモが固くなったことで、良いモノを作っただけでは売れなくなったのだ。

この例の最も適したものは東亜プランであろう。
このメーカーは1984~1994年の間にかつて日本にあった伝説の企業である。
このメーカーの作るシューティングは他を圧倒して素晴らしかった。
東亜系というように今でもその名を残す、現在のシューティングの基礎を築いた伝説の英雄だったのだ。
とくにシューターにとっては。

シューティングが注目されなくなり、時代が格ゲーやロープレを主軸に移り変わったとしても、それでもなお独りシューティングを作り続けた。
東亜プランは孤軍奮闘し、次々に良作を世に送り出した。
シューターは毎作ごとに狂喜乱舞して楽しんだ。
だが会社は債務超過で倒産した。
なぜなら、シューティングだけで食っていけるほど市場が無かったから。

このことは我々モノ作り関係者に対する戒めを含んでいる。
「良いモノを作れば必ず売れる」
というのは必ずしも正しくないと宣告されたのだ。

つまりどういうことかというと、良いモノというのを自前で判断するのではなく、マーケティングの力を借りて客観的な分析により企画しなければならんということだ。

極論すると、良いモノと売れるモノは別物である。

一般的に消費者は全てにおいてそこそこであって欠点が無いものを好む傾向にある気がする。
これは車で見てみるとわかりやすい。
各社ともに似たり寄ったりのボツ個性な車が多いことに皆が薄々気付いているだろう。
運良くバカ当たりした車種を除くと、個性が強い車は一般的に売れない。
なぜボツ個性になるかというと、消費者はそこそこ安くて、そこそこ荷物が積めて、そこそこ燃費が良くて・・・という車を望むから、そのように作ればメーカーとしてもリスク無くそこそこ商売になるからなのである。
わたしはそんな車は絶対に買わないが、そんな人を相手にしていては商売にならないのだ。

中にはマーケティングを完全無視して技術屋が「良いモノを作ろう!」と決心して作った車もある。
数少ない運良く成功した例でいうとマツダロードスターであろう。
あれはマーケティング重視だと絶対に作れなかった。
しかしこれは極めて稀だ。

失敗した例は腐るほどあるが、例えば同じマツダのユーノスコスモがそうだ。
マツダロードスターにしてもそうだが、ユーノスコスモは「そこそこ」で表現できる項目はほとんどない強烈に個性的な車である。
一部のエンスーな顧客には唯一無二の逸品として絶賛される代わり、大衆にはボロクソにけなされ、結果として商売にならなかった。
(これを書いていて、まるで前述の東亜プランのようだと思った・・・)

個性的というのは欠点と隣り合わせであり、人によって評価が分かれるところだ。
具体的な個性と欠点についてはここでは書くまい。
(いずれ書くかも)

マーケティングに屈して多少妥協して作った「良いモノ」に相当する車もある。
たとえば同じマツダのRX-8がそうだ。
まずピュアスポーツは諦めた。
2人乗りにしたかったところを4人乗りに切り替えた。
高性能な車にしたかったところ、そこそこ買える程度のコストに抑えた車に切り替えた。
結果、そこそこ商売になる車に仕上がった。

最初は抵抗していた技術屋も
「たぶんこれで良かったのだ・・・」
と、売れたあと安堵したんじゃあるまいか。
売れなかったらマツダのロータリー魂は消滅の憂き目にあっていたはずだし。



さて、これらのことはアニメ業界にも当てはまる。

マーケティングをせずに作り手が「良いモノを作ろう!」と決心して作っているようにしか見えない会社もある。
我らがGONZOだ。

GONZOのアニメは大変すばらしい、そしてGONZO作品は唯一無二の逸品であると、個人的にはそう思う。
だが市場の評価は芳しくない。
芳しくないのは赤字を見ていれば誰でもわかる。

きっと創業当時のメンバーは
「なんで俺達の作ったアニメが売れないんだ!?」
と地団駄をふんで債務超過を悔しがっているだろう。
わたしだってそう思う。

何が原因だろうか?
これは難しい。
だが、市場の大多数を占めるユーザーに対するマーケティングを怠ったのは間違いなかろう。
だから、コアなファンには絶賛されるアニメが多いなか、一般受けするアニメはほとんど無い。

どうすれば良いかというのをわたしが言うのもおこがましいが、ベタベタなやり方だと・・・
作画は群を抜いて素晴らしいシリアス路線のラストエグザイルやシャングリ・ラなどのヒロイン、彼女らは勇敢でたくましい生き方をしているが、その反面、萌える要素がない。
だからそれにもっと萌えな路線を追加するとかだな。
あとは描き込みにこだわりがありすぎるから、もっと手を抜いてコストダウンするとかだね。

そんなことをやるとあからさまに大衆に媚びたアニメに仕上がってしまい、コアなファンには馬鹿にされそうだ。
しかしそのほうがライトユーザーを取り込め、結果として商売になったかもしれない。
それが没個性な車を連発するがちゃんと商売になっている自動車メーカーよろしくマーケティングをするということだろう。



どことは言わないが、某アニメ製作会社。
そこは必ず売れそうなアニメしかやらない。
そして、あまり手の込んだ演出はやらず、製作コストも均一に仕上げているように見える。
その結果として最大手であり続けるし財務体質も極めて健全だ。

だが、アニメを見ていて製作者側が楽しんで作っている感じが全くしない。
そしてわたしにとって見たいアニメはまず出てきはしない。
しかしマーケティングの腕前だけは認めようではないか。

世の中そんなアニメ製作会社ばかりにはなってほしくない。



【※1 引用元】

個人就活ブログ ...
http://japanimation.blog72.fc2.com/