教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ルナティックドーンと悪党家業 (上巻)

2009-07-25 00:01:46 | オタネタ全般
「怪物と戦うものは、
 その過程で自分自身も怪物にならないよう、
 気をつけねばならない。
 深淵を除きこむとき、
 その深淵もこちらを見つめているのだ。」
 (IIオープニングより引用)



ルナティックドーンというRPGがある。
初代は1993年にPC-98用として発売された。

当時のRPG界ではいわゆる閉塞感があった。
とりあえずほんわかファンタジーで、とりあえずイベント数珠繋ぎのおつかいゲーで、とりあえずレベル上げで、、、という定番が確立されており、そこから誰もが抜け出せなかったのだ。

そんななか、チャレンジングな試みをおこなった勇敢なるソフトが現れた。
ひとつはロマンシング・サガ。
もう1つはこのルナティックドーンである。

ルナティックドーンは発想そのものはおもしろかったが、じつはゲームとしては甚だしく未完成だった。
まともに遊ぶにしては詰めの甘さが際立った。

そのアートディンクが満を辞して投入したのがルナティックドーンIIである。
(「ルナティックドーン 開かれた前途」という次作もある。だが、個人的にはこっちはあまり好きにはなれず、それ以降やっていない。なのでI, IIの話メインで進める)



このRPGには際立った特徴があった。
それを一言で言い表すとすれば
「好きにするがいいさ!」
ということだ。

とにかく自由だった。

ドラクエやFFでは、用意されたイベントをこなさなければ先へ進めない。
ルナティックドーンは違う。
自分がこなしたいイベントだけこなせば良い。
イベントをこなさなくても、いずれ時の流れとともに遷りゆく。

ドラクエやFFでは、職業チェンジというかたちでキャラクター強化の選択肢はあるが、キホン的には用意されたとおりにレベルが上がっていきキャラクターが強くなる。
ルナティックドーンは違う。
自分が強くなりたいと欲したところだけ強くなればいい。
自分が扱いたいと欲した武器だけ熟練すればいい。
そして自らの強さというのはその世界における絶対的な価値ではない。

ドラクエやFFでは、悪党というのは主人公たちに退治される運命にあり、主人公たちは正義を代表する絶対者である。
ルナティックドーンは違う。
自分は正義の味方にもなれるし、そして悪党にもなれる。

ドラクエやFFでは、はじまりの街は敵が弱く、そして進むにしたがって少しづつ敵が強くなってくるという、(いくらか辛口に評価すると)リアルさのカケラもない過剰なる親切設計がなされている。
ルナティックドーンは違う。
主人公に関係なく、ただ世界はそこにありつづける。
世界は主人公につらくあたる。
はじめのうちはタダの雑魚モンスターにさえ勝てはしない。
はじめてダンジョンを潜ったときには、きっとその敵の強大さに恐れおののくであろう。

ドラクエやFFでは、わりと迷子にならないよう窮屈感を感じないよう、適度な広さのフィールドマップが用意されている。
ルナティックドーンは違う。
とにかくフィールドが広い。
迷子になるとかそういったオーダーではなく、どれだけ歩いても世界の端へは到達できないような、とんでもない広さが用意されている。
そしてプレーヤーはその不親切なまでの広さのただ中にあり、世界の広大さとこれから起こる冒険の数々に心躍らせて邁進するのだ。

ドラクエやFFでは、とりあえず悪の手先や巨悪の帝王が出現し、とりあえずそいつらを倒すのが最終目標となる。
ルナティックドーンは違う。
最終目標は自分で決めれば良い。
世界の果てへ行ってみたいというのでも良い。
伝説の武器防具をフルで揃えたいというのでも良い。
最強の魔物を1人で倒したいというのでも良い。
一国の主になってみたいというのでも良い。
全ての魔法,全ての達人技をマスターしたいというのでも良い。
家を建てて世界のどこかにいる異性の誰かと結婚したいというのでも良い。
全ての街,全てのダンジョンを攻略したいというのでも良い。
そしてそれらは必ずしも同一直線上にある目標ではない。



さらにプレーヤーの心をときめかせるのは、その世界観の造詣にもある。
ドラクエやFFでは、世界は比較的ほのぼのとしたファンタジー世界にある。
ルナティックドーンは違う。
ファンタジー世界にあるのは共通だ。
しかしながら全くほのぼのとはしていない。
カンタンに全滅するし、敵は悪意をむき出しにするし、なにより世界は辛辣でかつストイックな印象が強い。
日本ではこんな洋ゲーのような世界観を出せる作品はほとんどないだろう。

「怪物と戦うものは、
 その過程で自分自身も怪物にならないよう、
 気をつけねばならない。
 深淵を除きこむとき、
 その深淵もこちらを見つめているのだ。」

オープニングにかくある。
これはニーチェの言葉の引用である。
かつてニーチェは神の死を嘆き、そして神に変わって超人による支配を信仰した。
そして神は成りを潜め悪党や怪物の跋扈する辛辣なルナティックドーンの世界。
そして、汝なすべしではなく我欲すであれ!と言ったニーチェに通じる、自己の欲するままに生き、自己の欲するままに目標を貫徹するそのプレイスタイル。
ニーチェの提唱した悲壮な世界観とルナティックドーンの世界は絶妙な噛みあわせでマッチしていることに、我々がオープニングを見終わった瞬間に気付かされる。



実はルナティックドーンにはもう1つ興味深い設定がなされている。



(次回へつづく・・・)