教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

戦場のヴァルキュリアの戦いっぷり

2009-07-12 00:00:46 | オタネタ全般
前にも書いたが、いま戦争アニメで見ているものとして “戦場のヴァルキュリア” がある。
これの戦いのカタルシスがまた、考えてみるとなかなかに興味深いものがある。



その1。

主人公たちヒロインたちはみな若い。
対して敵キャラはみな成年だ。

主人公一味の部隊は、どちらかというとキラリと光る未完の大器的な扱いである。
それに対して敵キャラは、剣さばきにしろ作戦立案にしろ、プロとしての完成された域のものを具えている。
はっきり言って、男は主人公一味にはカッコいいヤツはいないが、敵キャラの男たちはみなカッコいい。

これをどう見るか?
まずは未成年V.S.成年という戦いを通して、未成年たちがひとかどの人物となる過程を描くものであろう。

この手法は、同じスチームパンク的な世界観をもつ ”プロギアの嵐” にも通じるところがある。
”プロギアの嵐” の敵さん連中はみな重職にある強烈に強いおっさんおばさん連中である。
そして味方はというと、ふつうの思春期の少年少女たち。
大人はすべて殺されてしまったのだ。
プレイヤーは少年少女たちになり戦闘機に乗り、遥かな空を駆けて重装甲と重火気を誇る敵の空中戦艦に戦いを挑むのである。
そしてエンディングでは戦いの終わった後の世界での成長した少年少女たちの姿が描かれる。
(エンディングは1種類の組み合わせでしかたどり着いたことがないので、ほかのもそうなのかどうかは良く知らんが。)



その2。

多くの作品では敵キャラはいかにもな悪役レスラーのごとき敵キャラであるのに対して、”戦場のヴァルキュリア” はそうではない。

どちらかというと腐ったヤツというのは軍上層部だったり政治だったりする。
それと比較して現地へ赴いて戦う主人公たちのシゴトの良さが強調される。

このやりかたは “銀河英雄伝説” で有名な田中芳樹氏の手法が有名だ。
氏の作品では、必ず政治家はクソ野郎ばかり出てくる。
そして現場の指揮官は敵味方ともに英雄だ。

この手の手法というのは、政治がクソだという世論に対するカタルシスを描く役割をしているのだろうか。



その3。

敵は常に兵力で圧倒する。
敵の部隊は別のところで味方の軍をコテンパンにのした実績もある。
それに対して味方は戦車1台とかしかないような貧弱な装備だ。

だがその戦車はハンパじゃない。
身内が秘密裏に建造した最強の戦車であり、その装甲, その機動力, その火力により敵を殲滅する。
1国を滅ぼすほどの軍事力をもつ敵に対したった1機で戦いにいどむ、いわゆるシューティングにおける悲壮な決意のカッコよさによく似ている。

これは2009.06.23に述べたような、たった1つの冴えてやりかたにより力で圧倒する敵を倒すという、日本独自の判官贔屓的な美学によるものだと感じる。



その4。

前回記事にて戦争はスポーツではないとは述べた。
だが理想論として、敵も正々堂々としているあっぱれな敵であって、その敵と戦って悔い無きことになるよう願うのもまた事実であろう。
ようするに、敵があっぱれなヤツであることにより自分もあっぱれなヤツであると誇りたい事、また戦って死ぬとしても満足に戦って死ぬことを誇りに思える対戦相手であってほしいと願う事、そんなところかな。
ようするに、男は戦って死ぬにしても、アミバではなくてラオウと戦って死にたいのだ。
男の戦いの場所、そして戦って死ぬ意味、そういったところを強く意識せざるを得ない作品である。



おまけ。

ヒロインのツンデレっぷりにハメられてしまった・・・。
釘宮病病原体とは違う、もう少し優しいツンデレ、ハヤテのごとく!のヒナギクのようなツンデレといった感じだろうか。

くちぐせの
「はあ~?」
っていうのが何ともはや(笑)。