多くのひとがそうだろうと思うが、わたしも朝は起きたくない派である。
ただ、起きたくない理由は世間のみなさんとは多少異なる。
わたしの場合、単に朝が苦手だからイヤだという意味ではない。
仮に朝までグッスリ寝ていて睡眠時間が足りているとしても、それでも朝の時点では感情論として起きたくない感じがある。
なぜか?
それにはまず、朝や昼と夜の違いについて語らねばなるまい。
人は、朝日が昇り強烈な日光をあびると、精神的にシャキッとする。
逆に夜は、シャキッとはせずチンタラしてもいるが、熱くたぎる精神がよみがえる。
まあ、あれだ・・・
夜にラブレター書くとめっちゃ恥ずかしい文章になるのと同じことだ。
lunaticとかlunacyという英単語がある。
意味は “狂気じみた”, “狂気のさた” とか。
語源はluna(月)に違いない。
わたしにしてみれば、これは月が出たからではなく、太陽が沈み夜になったからだと主張したい。
夜になると熱くたぎる精神がよみがえるのは、このlunaticと近い気がする。
だが夜は長くは続かない。
必ず朝が来る。
朝日はこのlunticな気分に浸る精神を急速冷却し、本来の冷淡な精神にもどしてしまう。
この冷淡な精神がもどってきてしまうと世界はおもしろくも何ともない。
ただわたしは冷静なだけである。
わたしはこれがイヤなのだ!
だから朝を迎えたくない。
もっと夜が長ければ人生楽しい気分に浸れるだろうと思っている。
あと何十年後か知らんが、定年後の独り暮らしのときはきっと夜型の生活に切り替えているだろう。
そして長い夜の人生を謳歌するのである。
ちなみに休日は少し小細工している。
とりあえず朝はスルーして昼まで寝ている。
昼になって起きてもカーテンは締め切ったまま、外は明るいのに部屋の電気をつけて生活している。
そうすれば前日の夜の気分がそのまま持続する。
当blog記事のほとんどは夜中または休日にカーテン締め切って書いている。
そうでなければ、こういった熱い記事は書けないだろう。
たとえば天気のよい日の公園で執筆するなんてまずありえないし、たぶん後で自分が見返してもおもしろくないはずだ。
ただ、起きたくない理由は世間のみなさんとは多少異なる。
わたしの場合、単に朝が苦手だからイヤだという意味ではない。
仮に朝までグッスリ寝ていて睡眠時間が足りているとしても、それでも朝の時点では感情論として起きたくない感じがある。
なぜか?
それにはまず、朝や昼と夜の違いについて語らねばなるまい。
人は、朝日が昇り強烈な日光をあびると、精神的にシャキッとする。
逆に夜は、シャキッとはせずチンタラしてもいるが、熱くたぎる精神がよみがえる。
まあ、あれだ・・・
夜にラブレター書くとめっちゃ恥ずかしい文章になるのと同じことだ。
lunaticとかlunacyという英単語がある。
意味は “狂気じみた”, “狂気のさた” とか。
語源はluna(月)に違いない。
わたしにしてみれば、これは月が出たからではなく、太陽が沈み夜になったからだと主張したい。
夜になると熱くたぎる精神がよみがえるのは、このlunaticと近い気がする。
だが夜は長くは続かない。
必ず朝が来る。
朝日はこのlunticな気分に浸る精神を急速冷却し、本来の冷淡な精神にもどしてしまう。
この冷淡な精神がもどってきてしまうと世界はおもしろくも何ともない。
ただわたしは冷静なだけである。
わたしはこれがイヤなのだ!
だから朝を迎えたくない。
もっと夜が長ければ人生楽しい気分に浸れるだろうと思っている。
あと何十年後か知らんが、定年後の独り暮らしのときはきっと夜型の生活に切り替えているだろう。
そして長い夜の人生を謳歌するのである。
ちなみに休日は少し小細工している。
とりあえず朝はスルーして昼まで寝ている。
昼になって起きてもカーテンは締め切ったまま、外は明るいのに部屋の電気をつけて生活している。
そうすれば前日の夜の気分がそのまま持続する。
当blog記事のほとんどは夜中または休日にカーテン締め切って書いている。
そうでなければ、こういった熱い記事は書けないだろう。
たとえば天気のよい日の公園で執筆するなんてまずありえないし、たぶん後で自分が見返してもおもしろくないはずだ。