30年前、秋葉原は家電や電子パーツの街だった。
20年前、秋葉原はPCの街になった。
10年前、秋葉原はオタの街になった。
そして今、秋葉原は聖地となった。
関東に住まうものにとってはどうってこともないが、かつてわたしは秋葉原に一度は訪れてみたいと憧れを抱いていた。
それは地方に住まうものだけではなく、外国にもそういう人たちがいくらかいるようだ。
そして欧米に住まう我らが同士のオタたちの一部とって、聖地のような扱いを受けている。
とはいえ・・・
欧米から秋葉原へ行くのはツライ。
地球を1/3周しなければならないし、英語でないどころかインドヨーロッパ語族ですらないし、スパゲッティなみに目眩がするほど発達した電車網を乗り継がなければならないし、敷居の高さはハンパじゃない。
にもかかわらず、いまでは続々と外国人観光客が秋葉原を訪れている。
秋葉原にくる外国人は何もオタばかりではない。
単なる一般人の観光客も多い、というか、ほとんどは一般人だろう。
彼ら一般人は見たらわかる。
とりあえずその辺にある店に入って
「ここは何の店だろう・・・?」
と、入り口付近で呆然と立ち尽くすような行動をよくとる。
ビミョーにジャマだと思うようなことも無くはない。
それもそのはず、同人誌ショップやレンタルボックス店なんか、そもそも英語訳することすら難しそうな店が多いし、そもそもそういった店は外国人相手に商売になるとも思っていないから、何の店なのかよくわからなくてもしかたあるまい。
しかし!
ごく稀にだが、ツワモノの外国人もやってくる。
我々の祖国のオタに比類するほどの高みに到達した者も現れる。
このまえ見た白人のアニキのことを書いてみたい。
キホン的に外国人は駅前かメインストリート付近にしかいない。
1本入った通りにまで行くものは少ない。
また狭い店の階段を上がって2階以上のフロアや地下フロアへ行くものも少ない。
その白人のアニキは、いわゆるかなり濃い店に類する食玩フィギュアショップの上層階で見かけた。
この時点でかなり珍しい。
その男は紙袋の手さげを2つぶら下げていた。
かなり軽そうだった。
エンカウントしたショップから推測するに、プラモか数1000円クラスのフィギュアが入っていてもおかしくない。
この時点でかなり怪しい。
おもしろいもので、オタ臭いかどうかは人種が違えども見たらわかる。
その男はそんな顔だった。
その男は店員を呼び、身振り手振りでショーウインドーの鍵を開けさせた。
おもしろそうだから、わたしはそれを傍から眺めていた。
キホン的にフィギュアショップというのは、商品に何の作品の何のキャラなのかという説明をいちいち書くようなことはしない。
箱が無ければ一般人には全くわからない。
しかしこれは怠慢ではない。
ちゃんと作品ごとに分類されているし、場合によってはパーツの欠品情報が記されている。
おそらく
「それを見て何の作品の何のキャラなのかわからないヤツは買いはしない」
と判断しているのだろう。
一般には通な客しか買い物できないのである。
その白人のアニキは違った。
開けさせたショーウインドーのなかから、アイマスだともキャラ名が何だとも書いていないにもかかわらず、アイマスのフィギュアだけをピンポイントにチョイスした。
『こっ、こいつデキる!』
わたしは驚愕を隠しきれなかった。
そもそもアイマスの英語版なんてありもしないのに、いったいどうやってこれにたどり着いたのだろうか。
我々はバイタリティーあふれる彼の人生に感服するしかない。
我々が英語オンリーのギャルゲーをするよりも遥かに敷居が高いはずだ!
ヤツが何を買ったか、全部は憶えていない。
だが、たしか “春香” と “律子” と “あずさ” は買っていなかった。
この3人には重要な共通点がある。
あとで調べたらやっぱりだった。
上記3人は、乳がデカいほうから順に3人だったのだ!
何ということだ!
あの白人のアニキは貧乳派だったのだ!!
『わたしではキミには勝てぬ・・・』
わたしは敗北を実感した。
超絶男らしくマッスルか、超絶女らしくセクシーか、欧米ではその2択で全てが説明できるものだと思っていた。
そうでなければロリにでも走るのかと思っていた。
ところがそうではなかった。
彼は欧米生まれるという地理的不利を克服しアイマスに辿りついた。
だれにも理解されることなく独り孤独に耐えつつ、それでも貧乳の良さに覚醒したという猛者であった。
さらには秋葉原にまでアイマスのフィギュアを買いに来るという離れ業をヤツはやってみせた。
我が日本のオタ文化における優位性はすでに損なわれつつあるのかもしれない。
彼のような猛者が多く現れたとき、日本はオタ文化における圧倒的先進国から転げ落ちる。
20年前、秋葉原はPCの街になった。
10年前、秋葉原はオタの街になった。
そして今、秋葉原は聖地となった。
関東に住まうものにとってはどうってこともないが、かつてわたしは秋葉原に一度は訪れてみたいと憧れを抱いていた。
それは地方に住まうものだけではなく、外国にもそういう人たちがいくらかいるようだ。
そして欧米に住まう我らが同士のオタたちの一部とって、聖地のような扱いを受けている。
とはいえ・・・
欧米から秋葉原へ行くのはツライ。
地球を1/3周しなければならないし、英語でないどころかインドヨーロッパ語族ですらないし、スパゲッティなみに目眩がするほど発達した電車網を乗り継がなければならないし、敷居の高さはハンパじゃない。
にもかかわらず、いまでは続々と外国人観光客が秋葉原を訪れている。
秋葉原にくる外国人は何もオタばかりではない。
単なる一般人の観光客も多い、というか、ほとんどは一般人だろう。
彼ら一般人は見たらわかる。
とりあえずその辺にある店に入って
「ここは何の店だろう・・・?」
と、入り口付近で呆然と立ち尽くすような行動をよくとる。
ビミョーにジャマだと思うようなことも無くはない。
それもそのはず、同人誌ショップやレンタルボックス店なんか、そもそも英語訳することすら難しそうな店が多いし、そもそもそういった店は外国人相手に商売になるとも思っていないから、何の店なのかよくわからなくてもしかたあるまい。
しかし!
ごく稀にだが、ツワモノの外国人もやってくる。
我々の祖国のオタに比類するほどの高みに到達した者も現れる。
このまえ見た白人のアニキのことを書いてみたい。
キホン的に外国人は駅前かメインストリート付近にしかいない。
1本入った通りにまで行くものは少ない。
また狭い店の階段を上がって2階以上のフロアや地下フロアへ行くものも少ない。
その白人のアニキは、いわゆるかなり濃い店に類する食玩フィギュアショップの上層階で見かけた。
この時点でかなり珍しい。
その男は紙袋の手さげを2つぶら下げていた。
かなり軽そうだった。
エンカウントしたショップから推測するに、プラモか数1000円クラスのフィギュアが入っていてもおかしくない。
この時点でかなり怪しい。
おもしろいもので、オタ臭いかどうかは人種が違えども見たらわかる。
その男はそんな顔だった。
その男は店員を呼び、身振り手振りでショーウインドーの鍵を開けさせた。
おもしろそうだから、わたしはそれを傍から眺めていた。
キホン的にフィギュアショップというのは、商品に何の作品の何のキャラなのかという説明をいちいち書くようなことはしない。
箱が無ければ一般人には全くわからない。
しかしこれは怠慢ではない。
ちゃんと作品ごとに分類されているし、場合によってはパーツの欠品情報が記されている。
おそらく
「それを見て何の作品の何のキャラなのかわからないヤツは買いはしない」
と判断しているのだろう。
一般には通な客しか買い物できないのである。
その白人のアニキは違った。
開けさせたショーウインドーのなかから、アイマスだともキャラ名が何だとも書いていないにもかかわらず、アイマスのフィギュアだけをピンポイントにチョイスした。
『こっ、こいつデキる!』
わたしは驚愕を隠しきれなかった。
そもそもアイマスの英語版なんてありもしないのに、いったいどうやってこれにたどり着いたのだろうか。
我々はバイタリティーあふれる彼の人生に感服するしかない。
我々が英語オンリーのギャルゲーをするよりも遥かに敷居が高いはずだ!
ヤツが何を買ったか、全部は憶えていない。
だが、たしか “春香” と “律子” と “あずさ” は買っていなかった。
この3人には重要な共通点がある。
あとで調べたらやっぱりだった。
上記3人は、乳がデカいほうから順に3人だったのだ!
何ということだ!
あの白人のアニキは貧乳派だったのだ!!
『わたしではキミには勝てぬ・・・』
わたしは敗北を実感した。
超絶男らしくマッスルか、超絶女らしくセクシーか、欧米ではその2択で全てが説明できるものだと思っていた。
そうでなければロリにでも走るのかと思っていた。
ところがそうではなかった。
彼は欧米生まれるという地理的不利を克服しアイマスに辿りついた。
だれにも理解されることなく独り孤独に耐えつつ、それでも貧乳の良さに覚醒したという猛者であった。
さらには秋葉原にまでアイマスのフィギュアを買いに来るという離れ業をヤツはやってみせた。
我が日本のオタ文化における優位性はすでに損なわれつつあるのかもしれない。
彼のような猛者が多く現れたとき、日本はオタ文化における圧倒的先進国から転げ落ちる。