http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210108687
問
> 野球は2アウトからってよく言いますが、あれって、ここでヒット打たないとっていう気持ちからそういうようになったんですか??
答
> 攻撃側も守備側もどちらにも当てはまる言葉だと思いますね。
> 野球は9回2アウトからでも、10点差をひっくり返すまたはひっくり返される可能性はあるのですから、打者は諦めず、守備側は気を抜かずといったところから産まれた言葉ではないでしょうか。
わたしは野球はやりもしないし見もしないのでこれがホントかどうかは知らん。
そもそもわたしはインドア派であるからして、知る由も無い。
しかし!
シューティングにおいて、これと同等といってもいい意味がある。
「シューティングはノーボムから」
わたしはこの言葉を提唱したい。
のこり1ミスで全てのチャンスを失う2アウト、それはシューティングにおけるボムを全て消費しつくしたノーボム状態に等しいのだ。
まずボムとは何を意味するか?
ボムを使えば全ての敵弾が消え、たいがいは一定時間無敵になれる。
つまり、ボムとは緊急回避を意味する。
あたりまえか。
もうちょっと濃ゆいとこまで意味を考えてみよう。
本来ならばどんなに弾幕が激しくても、プレーヤーは弾幕をすりぬけて生き延びなければならない。
しかし、そんなものはタダの理想論だ!
実際問題としてノーミス・ノーボムでクリアできる者がいたとしたら達人級だ。
どうやったってボムは使わざるを得ない。
では、ボムを使わざるを得ないときとは何か?
自分の腕前では避けられそうにない鬼畜の弾幕が降り注いだときである。
そう、ひとは自分の腕前に対して敗北を認めたとき、はじめてボムを使うのである。
しかし、ボムは有限の資源である。
残機のつぎに大切な資源である。
ボムが尽きたとき、人はどうするか?
自分の腕前では避けられそうにない鬼畜の弾幕に対し、自己の持つ心眼をもってして鬼畜の弾幕を凌駕する驚異的な回避能力を発揮しようと欲する。
人はノーボムになったとき覚悟を決める。
そして、そのときこそ、自己の真価を発揮するときなのだ!
実際シューティングをやるものは、死なないように安全策をもってボムを使いボムが尽きて早死にして後悔するという悲観主義と、自己の腕前を信じて弾幕に飛び込みボムを余して早死にして後悔するという楽観主義と、常にそのはざまを行き来し、そしていつの間にか今まで到達できなかった深淵へとたどり着くものだ。
シューティングで1コインクリアするためにはボムは無くてはならないアイテムだ。
だが、ボムが尽きてなお戦うその時がなければ、決して自己の腕前は上達しない。
そして自己の腕前を超える驚異の弾避けを実現したとき、シューティングのおもしろさの深みにさらにハマっていくのだ。
「野球は2アウトから」
なのかどうかは知らん。
しかし、
「シューティングはノーボムから」
なのは間違いないであろう。
問
> 野球は2アウトからってよく言いますが、あれって、ここでヒット打たないとっていう気持ちからそういうようになったんですか??
答
> 攻撃側も守備側もどちらにも当てはまる言葉だと思いますね。
> 野球は9回2アウトからでも、10点差をひっくり返すまたはひっくり返される可能性はあるのですから、打者は諦めず、守備側は気を抜かずといったところから産まれた言葉ではないでしょうか。
わたしは野球はやりもしないし見もしないのでこれがホントかどうかは知らん。
そもそもわたしはインドア派であるからして、知る由も無い。
しかし!
シューティングにおいて、これと同等といってもいい意味がある。
「シューティングはノーボムから」
わたしはこの言葉を提唱したい。
のこり1ミスで全てのチャンスを失う2アウト、それはシューティングにおけるボムを全て消費しつくしたノーボム状態に等しいのだ。
まずボムとは何を意味するか?
ボムを使えば全ての敵弾が消え、たいがいは一定時間無敵になれる。
つまり、ボムとは緊急回避を意味する。
あたりまえか。
もうちょっと濃ゆいとこまで意味を考えてみよう。
本来ならばどんなに弾幕が激しくても、プレーヤーは弾幕をすりぬけて生き延びなければならない。
しかし、そんなものはタダの理想論だ!
実際問題としてノーミス・ノーボムでクリアできる者がいたとしたら達人級だ。
どうやったってボムは使わざるを得ない。
では、ボムを使わざるを得ないときとは何か?
自分の腕前では避けられそうにない鬼畜の弾幕が降り注いだときである。
そう、ひとは自分の腕前に対して敗北を認めたとき、はじめてボムを使うのである。
しかし、ボムは有限の資源である。
残機のつぎに大切な資源である。
ボムが尽きたとき、人はどうするか?
自分の腕前では避けられそうにない鬼畜の弾幕に対し、自己の持つ心眼をもってして鬼畜の弾幕を凌駕する驚異的な回避能力を発揮しようと欲する。
人はノーボムになったとき覚悟を決める。
そして、そのときこそ、自己の真価を発揮するときなのだ!
実際シューティングをやるものは、死なないように安全策をもってボムを使いボムが尽きて早死にして後悔するという悲観主義と、自己の腕前を信じて弾幕に飛び込みボムを余して早死にして後悔するという楽観主義と、常にそのはざまを行き来し、そしていつの間にか今まで到達できなかった深淵へとたどり着くものだ。
シューティングで1コインクリアするためにはボムは無くてはならないアイテムだ。
だが、ボムが尽きてなお戦うその時がなければ、決して自己の腕前は上達しない。
そして自己の腕前を超える驚異の弾避けを実現したとき、シューティングのおもしろさの深みにさらにハマっていくのだ。
「野球は2アウトから」
なのかどうかは知らん。
しかし、
「シューティングはノーボムから」
なのは間違いないであろう。