教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

君が代反対教員の件

2009-07-17 00:41:42 | 経済/経済/社会
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009071601000620.html
> 日の丸君が代訴訟、教職員側敗訴 「起立、斉唱義務負う」

この手のニュースは定期的にでてくる。

コレを見たとき、わたしはいつも思うところがある。

以前にわたしの出身中学の教員がいかにクソだったかを書いたことがある。
どんな些細なことでも全て規則で縛り、どんな些細な反論でも絶対にゆるされず、どんな些細な不注意でも鉄拳制裁を受け、個性豊かにというスローガンがあれどもオリジナリティーを発揮する事は大変嫌がられた。
わたしの私物を盗られ、教員の私用に使われたこともある。
わたしは数え切れないほどぶん殴れた。これはわたしだけではなく、男子生徒のほぼ全員は殴られずに卒業することができなかった。
この中学校教員に教わらざるを得なかった事はわたしの人生最大の残念な思い出である。

そんな中学校の教員を見ていたから、その教員どもが
「~の強制反対!」
とか言っているのを見ると、
「こいつら頭おかしいのか? 鏡を見たことがあるのか?」
と思うのだ。

高校や大学に進み、違う中学を卒業した皆の話を聞くに、世間はそれほど酷くはないことは頭では理解している。
しかしわたしの感情面でのわだかまりは消えることはないのだよ・・・。

わたしはあの中学校教員を見たからこそ、
「中学校教員にだけは絶対にならない、あんな人たちにはなりたくない!」
と心に誓ったものだ。
そんな人たちが不遇な職場環境について訴えたところで、わたしは聞く耳を持つことはまずない。

最先端デバイスはなぜ測れるのか?

2009-07-17 00:00:05 | 科学
世間では、最先端デバイスはそれこそ次から次に出てくる。

しかし!

最先端デバイスは最高性能なんじゃないのか?
最高性能だったら、最先端デバイスをさらに上回る性能のスーパー最先端デバイスでもつかわないとそれを測れないんじゃないのか?

そんなギモンが出てくる。

ようするに、最先端デバイスを測るにはスーパー最先端デバイスが必要で、スーパー最先端デバイスを測るにはウルトラスーパー最先端デバイスが必要で・・・という、卵と鶏の関係(※1)にあるような気がしてくる。
今日はそれのカラクリについて書いてみようかと思う。





たとえばシリコンでつくった半導体デバイスとかを考えてみよう。
どんどん微細化していって、どんどん動作速度が上がっていって、どんどん最先端デバイスが開発されている。

これはどうやって測ろう?

ちゃんと測る方法がある。

ふつう大手企業は家電製品とか車とか携帯機器とかの、いわゆる民生品をメインターゲットとしている。
民生品は個人のサイフからゼニを出すので、それなりに安く作れるものでなければ最先端デバイスを開発しても意味がない。

ところがそうでもない要求もある。

たとえば軍事用途とか。
「めちゃくちゃ値段が高くても目をつぶるから、そのかわり相手国よりも1%でも高性能なものを持って来い!」
という用途だ。
相手の射程の1%外側からミサイルを撃ち込めばそれだけで勝てる。
だから軍事は値段の制限が非常にゆるい。

ほかには航空宇宙用途とか。
地球の重力に打ち勝って人工衛星を打ち上げるにはべらぼうな推進器が必要だ。
何とかして軽くする必要がある。
だから単品では少々値段が高くても、その高性能な分で軽量化できればトータルではペイするのだ。

その軍事用途, 航空宇宙用途に特化したデバイスも当然ながら存在する。
たとえばさっきの例でいうと、シリコンで半導体を作るのではなく、ガリウム砒素で半導体を作るとか。
そういったデバイスは、たとえば民生品より2倍高性能だが、そのかわり値段は100倍高い、といったオーダーで成り立っている。
民生品だったら2倍高性能でも値段が2倍以上だったら誰も買わない。

しかし、この場合はそういった特殊なデバイスをつかって測定器を組み上げれば良い。
だから民生用の最先端デバイスは測定できる。





たいがいの最先端デバイスは使う先は想定されているものだ。
たとえば携帯に入れたいとか、PCに入れたいとか。

そういったものでは消費電力やサイズなどに大きな制限がかかる。
携帯が1分しか持たないのも困るし、10kgもあっても困るし、それは当然だ。

ところが、測定器はそれに比べればそれこそ湯水のように電力を使っても許されるし、持ち運べないほど重かったとしても許される。
これは家庭用ではなく工場や研究所で使うことを想定されているからだ。
だからそういった消費電力やサイズなどの制約に目をつぶり、あらかじめそういうものだということを前提で設計すれば、1世代か2世代前のデバイスを使って測定器を作ろうとしても案外何とかなってしまうのだ。





たとえば10GHzで動く最先端デバイスがあったとする。
そして今は3GHzまでしか動かないデバイスしか使えなかったとしよう。

それでどうやって測るか?

たとえば・・・
3GHzまでしか動かないデバイスで2.4GHzの信号をつくる。
そして周波数変換器というものをどっからか調達してくる。
周波数変換器そのものは非常に高い周波数で動くものでもけっこうカンタンに作れる。
そして、周波数変換器に2.4GHzと10GHzを入力させる。
そいつの中で2.4GHzを4倍に上げたものと10GHzを引き算し、0.4GHzの信号(10-2.4×4=0.4)に作り直す。
0.4GHzになればこっちのもので、3GHzまでしか動かないデバイスでも余裕で扱える。

ちょっとわかりにくかったかもしれないが、これは回路方式やアルゴリズムを工夫することで、特定の条件下でだけ従来の方法論以上の動作をさせ、いままで測れなかったものでも測れるようにしようというものだ。
(ちなみにミリ波ちかくまで使えるスペクトラムアナライザの中身は先の例のような感じに作られている。)

測定器のなかはそういったことをやっているので、最先端デバイスを試験するための装置でも最先端デバイスを使っていないことも往々にしてある。
そのかわり中身がかなり複雑怪奇なものに仕上がっている。
だれか頭のキレるヤツが考えた新しい方式によって、どうにかこうにか測定できるようになっているのだ。



【※1 卵と鶏の関係】

鶏の祖先であるセキショクヤケイが体内で受精を行ったときに突然変異がおきて鶏に相当する胎児が誕生したと考えるのが妥当である。

そしてセキショクヤケイ自体は卵から生まれるので、突然変異で発生した史上初めての鶏もまた卵から生まれたと考えるのが妥当である。

だから
「卵と鶏のどちらが先か?」
というギモンには、自信をもって
「卵が先だ!」
と答えられる。

ニコニコの世論調査に思うことあり

2009-07-16 00:00:41 | 経済/経済/社会
http://www.nicovideo.jp/watch/nm7634267
> 2009年07月14日 20:19:04 投稿
> ネット世論調査「衆議院解散について 2009/7/14」結果

先日、ニコニコで世論調査やったタイミングにちょうど居合わせた。
結果を見ると、マスコミの世論調査結果とだいぶ違うような感じがする。
これはなかなかに興味深い。

あらかじめ言っておくが、ちなみにわたしには支持政党など無い。
(というか投票したい政党がない。衆院選でもたぶん直前になって消去法で一番入れたくなくないものを選ぶことになるだろう。)
だが、少なくとも今の民主党には絶対に入れないとだけは心に決めている。
まあ、理由はいずれ書くことになるかもしれないが、長くなるから今日は省略しよう。


さて先日、同年代のある男と政治の話をしたことがある。
その男は熱心な民主党支持者だった。
しばらく話を聞いていたら、なんというかTVのニュースで自民党批判してそうな内容をそのままコピペしてしゃべっているだけのようにしか聞こえなかった。
彼に言わせてみれば、とにかく自民党はダメで、自民党に投票しようというヤツがいるほうがフシギなくらいなのだそうな。

わたしは民主党の気に入らない点をそいつに述べ、またそいつの自民党批判に対するわたし個人の見解を述べ、それに対してどう思うかというのを民主党支持者たるその男に問いただした。
いくつも聞いてみたが、そいつは1つも満足に回答してくれなかった。

恐らくマスコミの意見を右へ倣えで鵜呑みにしているから、自分の口でまともに答えられないのではなかろうか。

わたしは多くの有権者がマスコミの右へ倣えの鵜呑みではなく、自分で良し悪しを考えて投票してほしいと願っている。
そのうえで自分が投票した人物や政党が落選したのならそれはしかたがない。
だが、身近に彼のような人がいたことで、マスコミに操られたような自分で考えない有権者が多いことを強く実感した。
非常にガッカリした。

それに対して、ニコニコの世論調査結果はマスコミのそれとはだいぶ違うように見える。
おそらく、ネットをよく利用している層はTVの利用割合が相対的に低いのではなかろうか。
だからマスコミへ右へ倣えになる確率が下がるのではなかろうか。

そもそも、ネットの上ではタダのしょーもない人格批判から極右極左から世論誘導のためのウソ情報から、それこそ雑多な意見が無作為にばらまかれているので、イヤがおうにでも自分の信じるものは何かというのを自問自答せざるを得ない。
ネットで政治を語るには、とりあえずそこにあるものを読んで信じるだけではダメなことくらい誰でも知っている。

我々有権者は、後の世代から民主主義は愚民政治だと批判されないよう注意して投票する義務がある。
ネットはヒマ人とバカの集まりだと批判する向きもあるが、マスコミへ右へ倣えになるTVよりよっぽどマシなのではないかと、ふと思った。

ガンダム00の世界地図と朝鮮半島 (下巻)

2009-07-16 00:00:32 | オタネタ全般
(・・・つづき。前回は日本の立場から)



[韓国の立場]

北朝鮮がアメリカか日本と戦争になったとしたら、韓国としては
「北朝鮮とともにアメリカや日本と戦う」
という世論と
「勝てそうなほうの味方になる」
という世論にまっぷたつに分かれるだろう。
どうなるかはわからんが、米朝で戦争になったらドサクサに紛れて日本へ攻めてくるというのも十分ありうる。

朝鮮半島が戦争になったら外資はいっせいに引き揚げるだろうし、そうなったら韓国経済は首が絞まる。
韓国がどういう選択肢をとろうと、韓国にとって良いようにはならない。
これは北朝鮮が韓国に攻め込んだときも同じである。

では東ドイツ崩壊のごとく北朝鮮が吸収合併を希望してきたらどうだろうか。

韓国世論は大賛成という向きが多いだろう。
だいいち
「統一したら、北朝鮮の安い労働力と韓国の技術力によって、日本を追い越すことができる!」
とか言っているバカも多い。

しかし、これは絶対にうまくいかない。

1説によると、北朝鮮の吸収合併コストは100兆円にも及ぶとか。
まえにも西欧最強の西ドイツが東欧の優等生と呼ばれた東ドイツを吸収合併したときでさえ、ドイツは大きな痛みをともなった。
西ドイツをはるかに下回る韓国が、アジア最貧国クラスの北朝鮮を吸収合併したらどうなるか、想像を絶するほどムチャクチャになるのは間違いない。
そうなったら北朝鮮のカオスっぷりが韓国経由で日本へも伝播してくるであろう。

さきのバカのセリフにマジメに反論してみると、
「統一したら、韓国人ブルーカラーは北朝鮮なみの安い労働対価しか得られないような貧乏暮らしを強いられ、統一コストを税金でまかなうことによって韓国の技術力の優位性は徐々に失われ、『日本を追い越すことができる!』とか言っていた時代は遥か昔の夢物語として語られるようなありさまに陥る」
・・・となる。

ちなみに日本にとってもこれは思わしくない。
バカが勝手に自壊したと高みの見物しているだけではたぶん済まされない。

相手はあの韓国人である。
絶対に日本にタカりにくる。
100兆円必要なら、150兆円くらい日本にタカりにくる。
しかも、居直り強盗のごとくデカい態度でタカりにくる。
これも間違いない。

そうでなくとも、韓国を脱走した経済難民の韓国人が大量に日本へやってくるだろう。
ほかの国の人たちならともかく、あの韓国人が大量に来たらたまったもんじゃない。
これも酷いことになりそうだ。
たとえば55歳で日本へやってきたクセして日本人と同じ年金よこせとか、韓国が崩壊したのは日本のせいだと言い出すとか、ロクなことにならないのはわたしが保証する。

こんな極めてウザいことはできることならば避けて通りたいと、みなが思うところだ。

韓国の前大統領はかなりバカだったが、それ以外の(現職や歴代をふくめた)大統領はバカではない。
いくらなんでも統一コストに気付く。
だから韓国は北朝鮮とは統一しようとはしないだろう。

だとすると、のこりは北朝鮮が中国に吸収されるシナリオしか残っていない。
ところが、そうなると韓国の長年の夢である朝鮮半島統一という希望は永遠に失われる。
だからこれもイヤがる。

すなわち、韓国にとって都合のいい崩壊というのは存在しないのだ。



[中国の立場]

中国が一番イヤがるのは、アメリカが東アジアで増長してくることだ。
たとえばアメリカが北朝鮮を叩き潰したら、アメリカは親米政権を立ち上げると思われるので、これは中国が一番イヤがるパターンになる。

だったら自分が占領すればいい。
先に書いたように日本も案外イヤがらない。
アメリカもそんなにイヤがらない。
子分の韓国は何をやってもイヤがるから無視だ。

これが一番丸くおさまるパターンである。



[ロシアの立場]

プーチン時代以降、ロシアはヨーロッパにベッタリになっていて極東にほとんど関心がない。
北朝鮮問題にしても、めんどくさいくらいにしか思っていないフシがある。
だから何があってもイニシアチブをとって何かやろうとはしないだろう。
もはや冷戦の時代ではないのだから、共産圏を拡大して資本主義国との間に干渉国をつくってロシアを防衛しようというようなイデオロギーは太古の昔に滅んだ。



[アメリカの立場]

アメリカは戦争しないとやっていけない国である。
だから余裕で勝てそうな小国との間での戦争ネタを常に探している。
だが、これは平生でのことだ。

いまは違う。
イラクとアフガニスタンに派兵したままになっている。
これの負担はかなり大きい。
少なくともこれが片付かないと次をやろうという気は起きないだろう。

アメリカはもう1つ北朝鮮まで抱え込むのはゴメンだと思っている。
アフガニスタンとイラクから撤退したら
「そろそろ北朝鮮の番か?」
と思っても良いが、しばらくはそうなりそうにない。

アフガニスタンとイラクから撤退しないうちに北朝鮮が崩壊したらどうなるか?

正義の味方アメリカ様が自前で抱え込む可能性もあるが、面倒を中国に押し付ける可能性は十分ありうる。
日本は面倒見たくない感がにじみ出ているし、韓国では先のように面倒みきれない。

アフガニスタンとイラクから撤退しないうちに北朝鮮が日本へ攻めてきたらどうなるか?

どうなるか、かなり想像するのは難しいが、たぶんかなり消極的に戦争をはじめるだろう。
いくら仲良し同盟とはいえ、アメリカ人が日本人のために体をはって戦わなければならない理由など無い。
日本の自衛隊が主導権をにぎって戦わなければならないだろう。
日本がどうなるかは先に書いたとおりだ。

アフガニスタンとイラクから撤退しないうちに北朝鮮が韓国へ攻めてきたらどうなるか?

これもどうなるか、かなり想像するのは難しいが、たぶんかなりイヤイヤながらに戦争をはじめるだろう。
同盟国だとも思っていないような韓国をなんで守らんとあかんのだ、、、くらいにしか思わないだろう。

戦争始めてから中国に
「おまえも後始末手伝え」
と打診してくる可能性までありうる。

アフガニスタンとイラクから撤退しないうちに北朝鮮がアメリカへ宣戦布告してきたらどうなるか?

北朝鮮はアメリカに攻め込むだけの装備がない。
そもそも建国以来アメリカとガチで戦争できたのは当時列強と呼ばれた大日本帝国だけであり、ましてアジア最貧国クラスの北朝鮮がどうやって戦いにいこうというのか。
だから宣戦布告すらできないだろうし、したとしてもアメリカは
「狼少年がまたなにか言ってるわ」
くらいにしか相手にしない可能性も高い。
だからこの未来は限りなく小さい。



[みんな総合して]

ガンダム00の世界のように
『北朝鮮も韓国も(印中露陣営に入らずに)アメリカ陣営に入っていること』
を実現するためにはどういうシナリオをたどればなるか。

いちばん丸くおさまる中国占領説はなりたたない。

秩序立ったやりかたで、北朝鮮内に自主的に民主的で資本主義志向の政権が立つというのもありうる。
しかし今の韓国の有様をみると、どうみても親中・反米・反日の三拍子そろった韓国もどきが仕上がるのは間違いない。

ということは、イラクやアフガニスタンから撤収したアメリカが北朝鮮を倒すというものでしか実現し得ない。

わたしの脳ミソでは、現状ではそれ以外はちょいと考えにくい。
裏事情の深読みはそんなところかな。

ガンダム00の世界地図と朝鮮半島 (上巻)

2009-07-15 00:03:12 | オタネタ全般
前回にひきつづきガンダム00第2話ネタなのだが・・・

第2話冒頭に世界地図が出てきており、(かなり見づらいが)それを見るとどこの国がどこの勢力に入っているのかをおぼろげながらに見ることができる。
わたしにとってその世界地図は、ひとつほど興味深いところがある。

それは
『北朝鮮も韓国も(印中露陣営に入らずに)アメリカ陣営に入っていること』
だ!
(地図がよく見えないので、まちがっていたらゴメン)

かつて日米は経済問題で大モメにモメた時期もあったが、日本が勝手に自壊したおかげで幸か不幸か外交的な懸案事項はほとんどなくなった。
アメリカにとってのいまの日本は、適度におとなしいアジアにおける一番の子分である。
だから日本がアメリカ陣営に入らないという選択肢は存在しない。

ところが韓国はそうではない。
北朝鮮にしてもそうではないのは明白だ。

そもそも今の(正確にいうと前大統領の時代から特に)韓国は中国の子分になりはてている。
中国が横暴な要求をだしても韓国はイヤな顔しながらもハイハイいって聞かねばならぬ力関係に追い込まれている。

仮に中国とアメリカがガチで戦争になりかねないような緊張状態になってしまったとしたら、おそらく韓国はアメリカとの同盟を破棄して中国と同盟を結ぶだろう。
韓国はいまでさえ米軍を追い出そうとしてやっきになって暴力デモやっているし、すでに米軍上層部は韓国をアメリカの同盟国扱いしていないというようなウワサもちらほら聞く。

ついでにいうと、日本は島国でありそうそうカンタンに諸外国から上陸されにくい地政学的優位性をもつが、韓国は北朝鮮経由でカンタンに中国から攻め込まれるような大変不利な場所に位置している。
韓国が中国から受けるプレッシャーにくらべたら、日本が受けるプレッシャーなんて大したことない。
だが日本人はそういうふうには普段見ることはない。
韓国が中国の子分になり下がるということを、たぶん日本人は容易には想像しがたいと思う。

だからわたしは韓国が(印中露陣営に入らずに)アメリカ陣営に入っていることがフシギなのだ。



このカラクリについての手掛かりは北朝鮮にある。
北朝鮮が(印中露陣営に入らずに)アメリカ陣営に入っていることを考えれば良い。

北朝鮮は崩壊しかけているが、実際のところ崩壊したらどうなるかは誰にもわからない。
では、どうなってほしいかというのを考えてみよう。



[日本の立場]

日本のマスコミはおもしろおかしく北朝鮮の崩壊を待ち望んでいるようなことを報道するが、それは正しくない。
日本としては北朝鮮が崩壊することにより迷惑をこうむるのを避けたいと思っている。

ありそうなシナリオのうち最悪なのは、北朝鮮がヤブレカブレになって日本へ宣戦布告してくることだ。
たとえばイラクのフセインや共産圏だったころの東欧の指導者たちはまだ巧く立ち回っている感は感じられたが、はっきり言って金正日はアタマが悪いようにしか見えない。
だから、ヤブレカブレになって日本へ宣戦布告してくるというのは十分ありうる。

戦争になったらどうなるか?

日本は絶対に負けない。
けれど、たぶん勝てもしない。

なぜなら、日本が疲弊することを望む中国が北朝鮮を裏で支援し、いつまでも戦争状態が継続していき、日本は中国にハメられていると知りながらも状況を打開できず、そして軍事費を浪費しながら貧乏になっていく・・・、そんなところだと思う。
この場合、北朝鮮は国家としてかろうじて存続しつづける。
この未来は日本にとって迷惑極まりない。

つぎに最悪なのは、北朝鮮がヤブレカブレになって韓国へ宣戦布告してくることだ。

ひどい言い方をすれば
「ひとの国の内戦なんだから好きにすればいいがな」
といって見ていれば良いようにも思えるが、それは大きな間違いだ。

韓国と戦争になったら、まちがいなく大量の(たとえば500万人規模とかの)韓国人が日本へ避難してくるだろう。
そして避難してくるのはまぎれもなくあの韓国人である。

どうなるか?

居直り強盗のごとく、ふんぞり返って衣食住を要求し、さらにはマジメに働いている日本人の家庭よりもリッパなものを要求し、あげくの果てには自分たちの要求が通らないと
「差別だ!」
と言い出して、助けてやった恩も忘れて日本に対するネガティブキャンペーンを展開する。
こうなるのは間違いない。
99.9%以上そうなる。
この未来も日本にとって迷惑極まりないのは間違いない。

最善な未来は何だろうか?

正義の味方アメリカ様が北朝鮮を退治してくれること。
これは当面ありえない。
理由はアメリカの項目のところで後で書く。

ならば韓国が北朝鮮を吸収合併すること。
これも当面ありえない。
あったとしても最善な未来とはかけ離れた酷い結果に陥る。
理由は韓国の項目のところで後で書く。

ありそうなシナリオのうちの最善な未来は何だろうか?

わたしが思うに・・・
体制崩壊した北朝鮮を中国軍が鎮圧してそのまま中国領土になること。
これだろう。

この未来なら日本は迷惑をこうむらない。
中国にとってもアメリカにとっても悪い話ではない。
韓国はどうなったとしてもきっと文句を言う。

ついでに言うと、先進国は戦争の後処理で潰した国を立て直す義務が生じる(からアメリカはイラクに未だに駐留しているわけだ)が、中国はそのことに対してしらんぷりできる数少ない大国の1つである。
なぜかはあえて書かなくても何となくわかるだろう。
だから中国は北朝鮮の後始末を押し付けるには大変適しているのだ。



(つぎは韓国の立場からつづく・・・)

ガンダム00第2話のスリランカ内戦

2009-07-14 00:00:05 | オタネタ全般
ガンダム00第2話ではスリランカ内戦が描かれている。
そこでは、いろんな政治的, 経済的な都合により、人類革新連盟(中印露)が少数派のタミル人に加担して話がややこしくなったってぇことが描かれている。

世間では
「日本人はスリランカの場所すら知らねえって」
とまで言われている。

だが、わたしはそこまで知らないわけではない。
一瞬だけ首都がスリジャヤワルダナプラコッテ(当時は世界一長い名称の首都)になったことや、LTTE(タミルイーラム開放の虎:タミル人側)との内戦のことなんかも少しだけだが知っていた。

なぜなら、大学時代にスリランカから来たクラスメイトがいたからだ。

そのクラスメイト(シンハラ人:タミルではない側)は次のようなことを言っていた。




もともとスリランカは自分たちだけの国だった。
ところがイギリスの植民地になってから、イギリスが労働力を調達するためにインドからタミル人をたくさん連れてきた。
第2次世界大戦が終わってからイギリスは撤収したが、タミル人はそのまま残った。

はじめ、自分たちはタミル人たちと仲良くやろうとした。
タミル人はどんどん要求をつきつけてきた。
仲良くやるために、がまんして要求を聞き入れた。

ところが、タミル人たちは私の国のなかに自分たちだけの国を作ろうとした。
そんなことは絶対に許せるわけがなかった。
だから戦争になった。

スリランカはずっと内戦をしているが、だからといって危険なわけではない。
危険なのは内戦になっているごく一部のところだけだ。
だから自分がいたところは危険とはほど遠いところにある。

しかし戦争が長引くことで戦いのためにお金をどんどん使わなければならなくなる。
国がどんどん貧乏になっていくのが問題だ。
戦争が終わらないのは、武器を売りたいアメリカがタミル人を支援しているからに違いない。
(註:10年以上前だが、以前にスリランカ軍が大幅増強したとき、武器の調達元にはアメリカの名は載っていなかった)

スリランカではイギリスやアメリカはとても嫌われている。
アメリカは悪い人をどんどん作る国で、世界で一番悪い国だ。
日本はみんな好きだ。

日本の家電製品はとても人気がある。
フィリップスの家電製品しか絶対に使わないという、変なガンコ爺さんもごく稀にはいるけど、そんなひとはほとんどいない。
実家に帰るときには、日本の家電製品をコンテナに満載してむこうで売ってくる。

スリランカがいま内戦になっているのはイギリスやアメリカがタミル人を連れてきたからだ。
いますぐタミル人を元いたインドへ追い返したい。

スリランカでは大学の授業は英語だけだ。
スリランカの言葉では勉強するための単語がないからだ。
世界中の大学はそうだと思っていた。
英語はペラペラだから、他の国の大学へ行っても問題ないと思った。
けど日本は日本語だけで勉強していた。
だから日本へきてすぐはとても苦労した。
いまは日本語を話すのはダイジョウブだけど、漢字はぜんぜん書けない。

日本の戦争が終わったとき、日本は無罪だと言ったのはうちの人だけだよ。
(註:パール判事のことだろうね)




わたしはタミル人側の言い分を聞いたことがないのでどうしてもクラスメイトだったシンハラ人側に肩入れしてしまうような偏った事情しか知らないのだが、ようはこういう感じの事情であり、ガンダム00で描かれているように軌道エレベーターができたことによる単純な政治的, 経済的都合の内戦なわけではない。

今日はちょっと思い出したのでスリランカのことを書いてみようかな~・・・と思ったまでだ。
ようはそれだけ。



追伸1:

世界一長い名称の首都だったスリジャヤワルダナプラコッテは、当時の大統領が出身地の小さな街を勝手に首都にしたからなのだそうな。
本来首都になるだけの規模を具えていなかったらしく、大統領が変わったらすぐに元のコロンボへ戻ったそうな。



追伸2:

タミル人は北朝鮮ともつながりがある。
スリランカ軍はタミル人へ武器を売りつけようとした北朝鮮の船を撃沈したことがある。

> スリランカ 反乱軍用武器を積んだ北の船舶, 相次いで撃沈"
http://japan.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk00600&num=1639



追伸3:

スリランカでは、日本の1円玉とおなじく貨幣価値よりも貨幣の金属としての価値のほうが高い通貨があるらしい。
で、そこに目をつけたバカがいて、その貨幣を集めまくって溶かしまくってカネに変えまくった犯罪があったそうな。
そのときは国中の硬化がなくなって、買い物に大変苦労したらしい。

常に朝は起きたくない件

2009-07-13 00:02:03 | 経済/経済/社会
多くのひとがそうだろうと思うが、わたしも朝は起きたくない派である。
ただ、起きたくない理由は世間のみなさんとは多少異なる。

わたしの場合、単に朝が苦手だからイヤだという意味ではない。
仮に朝までグッスリ寝ていて睡眠時間が足りているとしても、それでも朝の時点では感情論として起きたくない感じがある。

なぜか?

それにはまず、朝や昼と夜の違いについて語らねばなるまい。

人は、朝日が昇り強烈な日光をあびると、精神的にシャキッとする。
逆に夜は、シャキッとはせずチンタラしてもいるが、熱くたぎる精神がよみがえる。

まあ、あれだ・・・
夜にラブレター書くとめっちゃ恥ずかしい文章になるのと同じことだ。

lunaticとかlunacyという英単語がある。
意味は “狂気じみた”, “狂気のさた” とか。
語源はluna(月)に違いない。

わたしにしてみれば、これは月が出たからではなく、太陽が沈み夜になったからだと主張したい。
夜になると熱くたぎる精神がよみがえるのは、このlunaticと近い気がする。

だが夜は長くは続かない。
必ず朝が来る。

朝日はこのlunticな気分に浸る精神を急速冷却し、本来の冷淡な精神にもどしてしまう。
この冷淡な精神がもどってきてしまうと世界はおもしろくも何ともない。
ただわたしは冷静なだけである。

わたしはこれがイヤなのだ!

だから朝を迎えたくない。
もっと夜が長ければ人生楽しい気分に浸れるだろうと思っている。
あと何十年後か知らんが、定年後の独り暮らしのときはきっと夜型の生活に切り替えているだろう。
そして長い夜の人生を謳歌するのである。



ちなみに休日は少し小細工している。
とりあえず朝はスルーして昼まで寝ている。
昼になって起きてもカーテンは締め切ったまま、外は明るいのに部屋の電気をつけて生活している。
そうすれば前日の夜の気分がそのまま持続する。

当blog記事のほとんどは夜中または休日にカーテン締め切って書いている。
そうでなければ、こういった熱い記事は書けないだろう。
たとえば天気のよい日の公園で執筆するなんてまずありえないし、たぶん後で自分が見返してもおもしろくないはずだ。

戦場のヴァルキュリアの戦いっぷり

2009-07-12 00:00:46 | オタネタ全般
前にも書いたが、いま戦争アニメで見ているものとして “戦場のヴァルキュリア” がある。
これの戦いのカタルシスがまた、考えてみるとなかなかに興味深いものがある。



その1。

主人公たちヒロインたちはみな若い。
対して敵キャラはみな成年だ。

主人公一味の部隊は、どちらかというとキラリと光る未完の大器的な扱いである。
それに対して敵キャラは、剣さばきにしろ作戦立案にしろ、プロとしての完成された域のものを具えている。
はっきり言って、男は主人公一味にはカッコいいヤツはいないが、敵キャラの男たちはみなカッコいい。

これをどう見るか?
まずは未成年V.S.成年という戦いを通して、未成年たちがひとかどの人物となる過程を描くものであろう。

この手法は、同じスチームパンク的な世界観をもつ ”プロギアの嵐” にも通じるところがある。
”プロギアの嵐” の敵さん連中はみな重職にある強烈に強いおっさんおばさん連中である。
そして味方はというと、ふつうの思春期の少年少女たち。
大人はすべて殺されてしまったのだ。
プレイヤーは少年少女たちになり戦闘機に乗り、遥かな空を駆けて重装甲と重火気を誇る敵の空中戦艦に戦いを挑むのである。
そしてエンディングでは戦いの終わった後の世界での成長した少年少女たちの姿が描かれる。
(エンディングは1種類の組み合わせでしかたどり着いたことがないので、ほかのもそうなのかどうかは良く知らんが。)



その2。

多くの作品では敵キャラはいかにもな悪役レスラーのごとき敵キャラであるのに対して、”戦場のヴァルキュリア” はそうではない。

どちらかというと腐ったヤツというのは軍上層部だったり政治だったりする。
それと比較して現地へ赴いて戦う主人公たちのシゴトの良さが強調される。

このやりかたは “銀河英雄伝説” で有名な田中芳樹氏の手法が有名だ。
氏の作品では、必ず政治家はクソ野郎ばかり出てくる。
そして現場の指揮官は敵味方ともに英雄だ。

この手の手法というのは、政治がクソだという世論に対するカタルシスを描く役割をしているのだろうか。



その3。

敵は常に兵力で圧倒する。
敵の部隊は別のところで味方の軍をコテンパンにのした実績もある。
それに対して味方は戦車1台とかしかないような貧弱な装備だ。

だがその戦車はハンパじゃない。
身内が秘密裏に建造した最強の戦車であり、その装甲, その機動力, その火力により敵を殲滅する。
1国を滅ぼすほどの軍事力をもつ敵に対したった1機で戦いにいどむ、いわゆるシューティングにおける悲壮な決意のカッコよさによく似ている。

これは2009.06.23に述べたような、たった1つの冴えてやりかたにより力で圧倒する敵を倒すという、日本独自の判官贔屓的な美学によるものだと感じる。



その4。

前回記事にて戦争はスポーツではないとは述べた。
だが理想論として、敵も正々堂々としているあっぱれな敵であって、その敵と戦って悔い無きことになるよう願うのもまた事実であろう。
ようするに、敵があっぱれなヤツであることにより自分もあっぱれなヤツであると誇りたい事、また戦って死ぬとしても満足に戦って死ぬことを誇りに思える対戦相手であってほしいと願う事、そんなところかな。
ようするに、男は戦って死ぬにしても、アミバではなくてラオウと戦って死にたいのだ。
男の戦いの場所、そして戦って死ぬ意味、そういったところを強く意識せざるを得ない作品である。



おまけ。

ヒロインのツンデレっぷりにハメられてしまった・・・。
釘宮病病原体とは違う、もう少し優しいツンデレ、ハヤテのごとく!のヒナギクのようなツンデレといった感じだろうか。

くちぐせの
「はあ~?」
っていうのが何ともはや(笑)。

映画やアニメに見る「戦争」

2009-07-11 00:06:23 | オタネタ全般
古今東西を問わず、神話の時代から戦争をテーマにした作品はくさるほどある。
しかし、戦争モノの作品に対し、1つだけ言っておかねばならぬ事がある。

それは
「戦争はスポーツではない!」
ということだ。

ハリウッドをはじめとする多くの作品では、どうも戦争描写をスポーツかなにかと勘違いしている向きがある。

つまり
「正々堂々と戦うことを良しとする精神」
と、それに加えて
「卑怯な戦い方をしたり力任せに戦うような敵に対し、正々堂々と戦いそれに打ち勝つというカタルシス」
である。

あらかじめ言っておくが、戦争に正々堂々もクソもない。
負けたら全ての終わりである。



「負ける」ということがどういうことか!?

日本が韓国と戦争になって負けたとしよう。
韓国兵が来たらどうなるだろうか?

慰安婦問題をもちだしてきて、
「日本人ならそれくらいされて当然だ!」
と言いながら、目の前で自分の娘をレイプされる。

秀吉の朝鮮出兵をもちだしてきて
「秀吉の賠償金だ!」
と言いながら、銀行預金を全て盗られる。

トンデモ韓国紀元説をもちだしてきて
「ここは元々は俺たちの土地だったんだ!」
と言いながら、土地や家屋の権利を盗られる。

戦争の原因を一方的に押し付けてきて
「おまえたちのせいで俺は戦争に来させられたんだ!」
と言いながら、腹いせに暴行を加えられたり耳や鼻を削ぎ落とされたりする。

そしてその巻き上げた財産で
「俺たちは戦勝国民でござい!」
とふんぞり返って日夜遊び暮らす。

それでも文句は言えない。
それが戦争に負けるということである。



戦争は悪いことだ。

しかし!

戦争は最も悪いことではない。
最も悪いことは
『戦いもせずに屈すること』
である。
屈することがどういうことかは既に例をあげて説明したとおりだ。

(そのような理由から、わたしは自衛隊を即刻解散すべきという意見には賛成しかねるし、無防備都市宣言の街だったら永住するのを躊躇する。なぜなら、北朝鮮とアメリカがガチで戦争になると、ドサクサに紛れて韓国が日本に攻めてくる可能性が『少なからずありうる』と思っているからだ。)

自分たちの生命や財産が失われる瀬戸際にあって、そんなときに正々堂々なんて、犬にくれてやれとでもいいたいところだ。
戦争は正々堂々とすべきであるという精神を忠実に守ったとして、それで得られるものは、国際法上の外交問題をクリアするために少しだけ役立つくらいでしかない。

例えば相手の奇襲にあい全滅した部隊があったとしたら、政治的には
「敵の卑怯な振る舞いにより・・・」
とプロパガンダを展開するのには最適だが、軍事面から言ったら奇襲にあい全滅した部隊の司令官は即刻クビにすべき怠慢さの代表である。
あたりまえだが戦争状態下において奇襲はやってはいけないことでは断じてない。



もちろんそうではないものも多いが、ハリウッド作品では戦争がスポーツとして描かれることもまた多い。

日本のアニメはどうか?

そうだと言える作品も多いし、そうではないと言える作品もまた多い。
たとえば “それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ” などでは絶対に戦死しない設定になっていることもあって、スポーツ的な側面が強く現れている。
戦争はスポーツではないと初めて気付かせたのは “海のトリトン” だという説がある。
これはよく知らんのだが、たとえばガンダムにしても、敵には敵の言い分があって、どちらかだけが悪いとも断言できないような、そんな描き方がなされている。

もっと強烈なのは “ラストエグザイル” の第1話だ。
騎士道精神にのっとった軍事作戦を展開し、それでボロクソにやられてしまい、あげくのはてには
「なんと卑怯な!」
と地団駄をふむ、そんな話だった。
相手が卑怯だからといういい訳をしたとして、祖国の国民の生命や財産を守れなかったことのいい訳として通用するはずがないのである。
それを暗に視聴者に気付かせる、なかなかに巧妙によくできた第1話だった。

それ以外にも、”戦場のヴァルキュリア” などがある。
序盤で民間人だけでプロの兵士に立ち向かい、そして勝てず、市民は全財産を失うハメに陥る。
単にケガをしたとか、恋人と生き別れるとか、そんなチャチなドラマではなく、もっとリアルに戦争に負けるということを描こうとした作品だろう。

こういう作品は見終わったあとに思わず唸ってしまうし、そしてまた唸らせてくれた作品群に賞賛を贈りたいと思う。



ちなみに言うと、戦争をスポーツあつかいしている作品よりさらにダメな作品群もある。
韓国ドラマや韓国映画である。

韓国ドラマは日本でもよく放送されているが、そのなかにはキ○ガイに見えるような作品はない。
あたりまえか。
日本人が見て吐き気がするようなキ○ガイ作品は、さすがに日本の地上波TVでは放送できないからだ。

ところが!

日本未放送の作品には、日本人が見たらキ○ガイにしか見えない作品も多くある。
どういう作品かというと、日本人や日本政府をあらゆる意味で悪党扱いするような作品群のことである。
はっきり言って、北朝鮮のプロパガンダ作品かと思うほどメタクソに酷い。
というか、やっぱり北朝鮮と同じ民族なんだなあという事を再認識させられるような酷さといってもいい。
それに同レベルのキ○ガイ作品、すなわち韓国をボロクソ悪党扱いするような作品を日本で作ったとしたら、それこそ韓国人はキ○ガイのように抗議してくるだろうし、鬼の首を取ったかのごとく外交筋が非難しまくるのは100.00%間違いないほど酷いレベルである。(←これが正しいことに、わたしは自分の命を賭けてもよい。なぜなら1ppmも賭けに負ける気がしないからだ)
もうこれはスポーツ扱いとかそんなレベルをはるかに超えたクレイジーな作品ばかりであり、そんなキ○ガイ反日作品は毎年のように韓国で上映されつづけているのである。

こんなのを見たヤツら(韓国人たち)はどうなるか?

「日本人は悪いヤツらだ。だからヤツらを懲らしめるためには、どんな事をしても許される。」
そう思うようになる。
それが今の韓国だ。
韓国や北朝鮮でなければ日本にはしないような仕打ちはいくらでもあるのだ。

はっきり言うが、韓国は日本の友好国ではない。
韓国が日本に勝てないから戦争になっていないだけの事である。
そして日本が負けたらどうなるか、それを我々はキモに命じておこう。

自然エネルギーって・・・

2009-07-10 00:01:19 | 科学
いうまでもなく昨今は自然エネルギーが流行りだ。
そして自然エネルギーブームの代表は太陽電池と風車だ。

さて、世間にはどう勘違いしたか
「近い将来、太陽電池と風車で全てのエネルギーを賄うことができる」
とホザくヤツがいる。

さらにヒドいのになると
「いまそうなっていないのは、石油会社や重電メーカーのロビー活動による陰謀が働いているからに違いない!」
というのまで聞いたことがある。

そんなヤツらにかぎって、マジメに反論されると
「オレ様の意見に賛同しないヤツは人格的に問題があるか、企業からカネで雇われた工作員だ!」
と、技術論から何だか変な方向へ話をすりかえてきやがる。

これはどうなのか?

もちろん不正解だ。

なぜか?

太陽電池は晴れと曇りで発電量が大幅に異なるし、そもそも昼間しか発電できない。
たしか、電力需要のピークは4時くらいまでフラットに高いが、太陽電池は4時くらいになると40%も発電量が落ちる。

風車も風がないときは発電できない。
それも、「風の向くまま気のむくまま」というコトワザがあるように、風力による発電量は秒単位で数100kWも平気で変わる。
風力発電は安定供給の面から見たら極めて品質が悪いので、構造的にあまりたくさん使えるようなものではない。
それに、風車を見たらいつもクルクル回っていて景気よく発電できているように見えるが、実は発電できるほど風力がなくてただ空まわりしているだけなことも案外多い。

じゃあ電池に蓄えれば良いかというと、そうでもない。
バッテリーに蓄えられる分なんてそんな大層なものではない。
聞いた話によると、クソ重たい車の鉛蓄電池を何台も持ってきて電気溶接したら、なんと10秒くらいしか持たなかったのだとか。
基本的には電気は使う瞬間に必要な分だけリアルタイムに発電するしかない。

だから
「近い将来、太陽電池と風車で全てのエネルギーを賄うことができる」
とホザくヤツがいるとしたら、そいつは曇りの日や風の無い日は電気を全くつかわずに我慢する覚悟がある、なかなかにガッツがあるナイスガイだということだ。

我々技術屋は最終的に人類が幸せになるための手助けをする義務があると思う。
だが、こんなふうに一見すると科学の衣をまとったように見えるインチキ科学理論を大マジメに吹聴するヤカラを見てしまうと、ほんとに
「俺のやってくることって何なの?」
と、解脱してしまうほどやる気をなくす。



追伸:

ちなみに自分の都合が悪くなったら陰謀論や人格攻撃を持ち出すのは韓国人の特質でもある。
朝鮮日報や中央日報の日本語サイトなどを見てみると、それこそ日本のせいにすることの呆れるほど多いこと・・・。

ポストが赤いのも、キムヨナが負けたのも、イチゴが高いのも、景気が悪いのも、ノーベル賞とれないのも、教育レベルが低いのも、ヒュンダイが売れないのも、学校教育が暴力的なのも、レイプ犯が多いのも、日本海が日本海なのも、朝鮮半島が2つに分断されているのも、ロスでコリアンガールというと売春婦あつかいされるのも、ウォンが暴落して国家破産スレスレまでいったのも、テコンVがマジンガーZのパクリなのも、日本を上回る勢いで少子化が進行しているのも、彼らにとってはすべてが日本のせいである。(これらは例えではなく事実そう言っている)
そして前大統領などは国策として積極的にそれを煽っていたほどである。

我々日本人は彼らのようになってはならないと心を戒めようではないか。

マイナー路線の京都寺社仏閣観光ガイド

2009-07-09 00:00:21 | 経済/経済/社会
みなさん京都へ観光に行ったことはあるだろうか?
その際、ツアーでどこも似たような寺社仏閣ばかり連れて行かれてイマイチに思ったことはないだろうか?

そうでなくても、金閣とか清水寺とかしか言っていないヤツが偉そうに京都を語るのを見て、一抹の不満を憶えたことはないだろうか?

かつてわたしもそう思った。
本日の記事はそんな人のために贈るマイナー路線の京都寺社仏閣観光ガイドである。

むかし、準メジャー級, マイナー級の寺社仏閣を自分の足でアレコレ見て周り、その真偽のほどを確かめてみたことがある。
そのなかでイカしたところをいくつか挙げてみたい。
これを見てから観光にいけば、きっとあなたも通ぶって京都を語れるようになるに違いあるまい。



[鞍馬寺]

源義経がいた寺である。

かなり山奥にあるため、京都市街地の真ん中にあるような寺のような感じではなく、山寺特有の荘厳な感じが漂っている。
ここへ行くには叡山電鉄鞍馬線に乗っていくのだが、途中、峡谷を走る味わいがまた雰囲気をイヤがおうにでも盛り上げる。
近年こういった路線はどんどん廃線傾向にあっているので、こんな路線にそうそう乗れるところはない。
近くに入浴だけも可な温泉宿もあるので、そちらもいっしょに行ってみるといい。

しかし、とんでもない山の中にあるのが難点だ。
京都駅から1時間半もかかりやがる。

また、すさまじい階段を歩いて上がらないといけないので、あんまり歩きたくない人にはオススメできない。
ロープウェーがあるようなのだが、わたしが行ったときにはもぬけの空だった。



[上賀茂神社]

世界遺産の1つ。
ここへ行くと、中の座敷へ通してくれたり、裏手の建物のところで説明してくれたりと、非常に親切でありなかなかにサービスが良い。
ここは気分よく回れる。
入れ替わりたちかわりお客がやってくるメジャーどころだとこうもいかないだろう。
一見似たような某神社とは全然感じが違う。

京都市街地の離れにあるので交通の便はあまり良くない。



[高山寺]

ここも世界遺産。
ところが失礼ながら
「えっ、これで世界遺産!?」
と誰もが思うような、びっくりするほど地味な世界遺産である。
だから強烈に印象にのこる。
だいいち、わたしが行ったときには、わたしの他にあと1人しか参拝客がいなかった。

ここも交通の便が悪く1時間に1本しかないバスで行かなければならない。



[東本願寺]

西本願寺は世界遺産だが、こっちは世界遺産ではない。
西本願寺はタダの観光地化していて、いまいち格式が高い感じがしないが、東本願寺はそれと全く違う。
非常に静かで恐ろしく広い畳の間で参拝するのである。
そこでしばらく座って眺めていると、ほんとうに心が洗われる感じの仏教的精神の一端を垣間見ることができるような観光ができる。
あきらかに西本願寺よりも格式が高い感じがする。

京都駅から歩いていけるので交通の便は最強だ。



[酬恩庵一休寺]

みなさんごぞんじ一休さんに関係ある寺。
ここはこじんまりと造った庭を複数組み合わせて全体を構成したようなつくりになっている。
小さく凝縮してモノを表現するという日本の美学がそこにあるように思う。
72の千早の美学とでも言ったらいいかな。
京都市街地の真ん中にあるような寺だと、なんだかカネにあかせて贅沢さをアピールするように造ったような感じがあるのに対し、ちょうどその正反対という感じ。

ただ、住宅街にあるにもかかわらず意外に交通の便が悪い。
最寄り駅からタクシーで行くことになる。



[伏見稲荷大社]

アニメとかで無限につづく鳥居のシーンを見たことがないだろうか。
(たしかアニメ版の帝都物語でもあったような・・・。)
ここはそういう無限につづく鳥居のただ中を歩いて回る異世界間を楽しめるところである。
千本鳥居とかいうがとても千本どころのオーダーではなく、すさまじい数の鳥居が延々と並んでいるあの光景は一見の価値があると思う。

ただ、ハイキングに近いレベルで歩く必要があるので、歩きたくない人は行かないほうがいい。



[本能寺]

織田信長で有名な本能寺。
案外知られていないが現存する。
入り口が狭いので京都に住んでいて前をウロウロしている人でも案外知らない穴場である。
そしてなぜか観光ガイドブックにも載る事がない。

一度くらい行ってみると
「本能寺に行ったことあるぜ」
ってので話のネタになる。

地下鉄駅そばだし繁華街の真ん中にあるので交通の便はすこぶる良い。



[妙心寺ふきん]

妙心寺ふきんは何か変だ。
なにかって、寺社仏閣が分譲住宅のように区画整理されて行儀よく並んでいるからだ。

けど、妙心寺ふきんの様子が不可思議なだけで、個々の寺社仏閣を見て回っても特に興味深いほどのものでもない。



[梅小路蒸気機関車館]

寺社仏閣ではないが、これはこれで歴史的建造物を間近で楽しめるところだ。
ここには20機ちかい国産蒸気機関車が展示されており、しかも触ったり登ったり運転席に座ったりしても全然OKという太っ腹な展示をしているのがすばらしい。
しかもこんなでかい扇形庫と転車台が現存しているなんていったい日本にあといくつあるだろうかという希少なものまで見られるし、実際に動く蒸気機関車に乗ることさえできる。

がんばれば京都駅から歩けるくらいの近場にあるのもいい。



[法隆寺]

これは京都ではなくて奈良なのだが・・・。
法隆寺に行ったらけっこうビックリした。
「これは日本じゃねえー!」
と思った。
境内の造りが日本風には感じられないのだ。
どちらかというと中国風なのかと思うような感じ。(あたりまえだが韓国風でもないし韓国起源でもない。朝鮮半島には平地に寺社仏閣が存在しないし存在していたという記録すら無い事などからも明らか。)
奈良に行くなら大仏見るよりこっちのほうが面白いよ。

勇者=ニート仮説 (ドラクエIII)

2009-07-08 00:02:13 | オタネタ全般
ドラクエIIは由緒正しきロトの血をひいた王子・王女の物語である。
ドラクエIVは個性豊かなキャラクターたちによる熱きドラマの物語である。
ドラクエシリーズのほとんどはそんな感じに作られている。

ところが!

ドラクエIIIだけはそうではない。
勇者はともかくとして、勇者以外のメンバーはそれこそテキトーに酒場で見繕ってきたフツーの人たちである。
このフツーの人たち個々にはドラマが全くないし、このフツーの人たちは作中では一言も話さない(商人だけ少ししゃべる)。
そう、ドラクエIIIだけは、フツーの人が伝説の英雄となれるたった1つの物語なのである。

さて、フツーのひと扱いではない勇者をみてみよう。
オープニングで母と王が勇者に語りかけるセリフは次のようになっている。



それは○○が16才になるたんじょう日のことであった。


「おきなさい。おきなさいわたしのかわいい○○や。
「おはよう○○。もう朝ですよ。
「今日はとても大切な日。○○が王さまに旅立ちのゆるしをいただく日だったでしょ。
「この日のためにおまえをゆうかんな男の子に育てあげたつもりです。
「さあ母さんについていらっしゃい。
  ・・・
「ここからまっすぐいくとアリアハンのお城です。王さまにちゃんとあいさつするのですよ。さあいってらっしゃい。


「よくぞ来た! ゆうかんなるオルテガの息子○○よ!
「すでに母から聞いておろう。
「そなたの父オルテガは戦いのすえ火山に落ちてなくなってしまった。
「しかしその父のあとをつぎ旅に出たいというそなたの願いしかと聞きとどけたぞ!
「そなたならきっと父の遺志をつぎ世界を平和にみちびいてくれるであろう。
「敵は魔王バラモスじゃ!
「世界のほとんどの人びとはいまだ魔王バラモスの名前すら知らぬ。
「だがこのままではやがて世界は魔王バラモスの手に……。
「それだけはなんとしてもくいとめねばならぬ!
「○○よ! 魔王バラモスをたおしてまいれ!
「しかしひとりではそなたの父オルテガの不運をふたたびたどるやも知れぬ。
「町の酒場で仲間をみつけそこで仲間たちのそうびをととのえるがよかろう。
(○○は50Gと武器防具をうけとった!)
「ではまた会おう! ○○よ!



これだけ見ると、カンペキなまでに優秀な騎士の家系に生まれ将来を約束された出世頭の若者であるとしか見えない。
勇者は特別な人なのかのように見える。

しかし!

ドラクエIII以外では勇者でなくてもメンバーには特別なストーリーが用意されていて、みなが勇者でなくても特別な人たちである。
逆説的に考えると、ドラクエIIIは勇者だけが特別あつかいなこと自体がアンバランスではなかろうか、とも思える。

わたしは、ドラクエIIIでは勇者もフツーの人だという仮説を立ててみた。
以下に、その仮説を前提に、裏事情をイロイロと勘ぐってツジツマを合わせてみようと思う。



ドラクエIIIでは16歳になると朝おきた瞬間に勇者になる。
そして勇者は1人しかいない。

勇者はだれしもがなれないような特別な職業か?
たしかにそうだ。
他の職業では相互に転職できるようになっている。
転職したらレベル1にもどってしまうが、まえの職業でおぼえた技術(魔法とか)は決して忘れない。

勇者へは他の職業からは決して転職できない。
そして、勇者も他の職業へは決して転職できない。

実はこれに隠されたナゾを解くヒントが隠されているのではなかろうか?

隠されたナゾとはつまり、勇者=ニート仮説である。

16歳になるまで就業もせず学業もせず家でプラプラしていると、じつは自動的に勇者に割り振られるのではなかろうか。
16歳になるまでに職業訓練や高等教育を受けたものだけが、戦士や僧侶や魔法使いといった職業につけるのではなかろうか。

事実、職業訓練や高等教育を受けていないと思われる勇者は、ほかのどの職業へも転職できない。
そして自分の経歴をパーにしようとするヤツはいるはずもなく、わざわざ戦士や僧侶や魔法使いから家でプラプラしていたという烙印を捺される勇者へ転職しようとするものもいない。

そもそもニートを勇者と呼ぶこと自体、うまいこと社会問題のスケープゴート化できているような気がする。
ニートと呼べば聞こえが悪いが、勇者と呼ぶとなんとなくひとかどの人物っぽく聞こえてしまうからだ。
ようはあれだ、ニート=自宅警備員みたいな呼びかただ。

ひょっとするとアリアハンでは、
「奥さんちょっと聞いて、オルテガさん家の息子さん、やっぱり勇者になったそうよ」
「まー、やっぱりね。オルテガのダンナさんって、覆面にパンツ1枚でウロウロするような、ちょっとアレな方(※1)でしょ。その息子さんなら勇者でもしかたないわね」
「でしょー。奥さんとこの息子さん、立派な僧侶になられたそうで良かったですわね~」
なんていう井戸端会議が行われているかもしれない。

中世の多くの国では、奴隷のような安価な労働力をふんだんに使える場合をのぞくと、多くの場合は市民のなかに大量の無産者を養えるほど経済が豊かではなかったであろうと思われる。
現代がこれだけ豊かなのは、化石燃料や化学肥料や農薬や品種改良によって農業生産性が飛躍的に向上したことの影響が極めて大きい。
そんな現代にくらべれば、人手でチマチマ生産していた中世では、一般人では衣食住の費用をのぞいたらほとんど何ものこらないのはアタリマエだ。

そこへきてニートである。
働かないと食えないという経済事情により、ニートは犯罪により生活の糧にする確率が増すであろう。

国王だったらこの問題をどうするか?
職についていない者は強制労働させるなり何なりの手段を講じたくなる。

そこでアリアハン国王は妙手を思いついたのだ。
ひとつは先に述べたように、ニートを「勇者」という隠語で呼ぶこと。
もう1つは勇者に世界を救うという使命を与えること。

考えてみればこのやりかたは巧妙にできている。
ニートは勇者となり、ニートではなくなる。
勇者はバケモノ退治に行く事になるので、GDPに寄与しそうにない国民を国外にほうり出せる。
そしてアリアハン周辺は敵キャラも弱く、城外へ追放したところですぐに生命の危機に瀕するような事態にもならず、だから周辺各国から「非人道的だ!」と内政干渉を受けることもない。
勇者がうまく成果をあげさえすれば、それを指揮したアリアハン国王の名声も広まる。

さらにうまいことに、ドラクエの世界ではモンスターを倒すと換金性が発生する。
ようするに、たとえばキメラを殺傷して翼をもぎとって帰れば、道具屋の店頭に並ぶような立派な金銭的価値が生まれるということだ。
だから勇者たちは城外追放されても生活に困窮するほどにはならない。
1日に1人あたり数匹のスライムを殺傷してさえいれば、とりあえず毎日宿屋に泊まれるくらいの稼ぎにはなるからだ。
(アニメのドラクエ(アベル版)では、宝石をもちいてモンスターを製造しているため、モンスターを倒すと宝石にもどるという設定により、モンスター殺傷と換金のツジツマをあわせている。ひょっとするとこちらが正しいかも?)



さて、さきのオープニングの母と王のセリフの裏をとってみよう。


> それは○○が16才になるたんじょう日のことであった。

勇者確定という悲しき現実がはじまる日のことであった。


> 母「おきなさい。おきなさいわたしのかわいい○○や。

16歳の息子にこんなことを言ったら、ふつう息子はあきれるかムッとする。
あえてこんな事を言うからには、なにか特別なことを予感させるではないか。
たとえば今日から城外追放になってしまうとか。


> 母「今日はとても大切な日。○○が王さまに旅立ちのゆるしをいただく日だったでしょ。

キホン的にお役所仕事であり、勇者として城外活動するにしても国の許可を取り付けねばならんのだろう。
きっと勇者は「かったりー」とか「アホくさ」とか思っているに違いあるまい。


> 母「この日のためにおまえをゆうかんな男の子に育てあげたつもりです。

「りっぱな勇者に」とは言わないところが哀愁をそそる・・・。


> 王「よくぞ来た! ゆうかんなるオルテガの息子○○よ!

なんという社交辞令(笑)。


> 王「○○よ! 魔王バラモスをたおしてまいれ!

ということで城外追放されましたとさ。


> ○○は50Gと武器防具をうけとった!

生活に困る人のための給付金?


> 王「ではまた会おう! ○○よ!

いろんな政治的な思惑がうまいこと成功して、きっと国王は上機嫌にちがいあるまい。



【※1 オルテガ】
http://www.youtube.com/watch?v=Mf4yVs6Mt8Q&feature=related
↑こんなひと

ゲーセンは金かかるのか?

2009-07-07 00:01:13 | シューティング
いまはそれほどでもないが、高校生や大学生のころにゲーセンに毎日に近いくらい行っていた時期もあった。

そして人にそんな話をすると、きまって
「よくそんなにカネあるな?」
とよく言われたものだ。

わたしは金持ちだったのか?

そんなバカな(笑)。
ゲーセンは案外カネかからないのだ。
今日はそのカラクリについて記す。

時折しかゲーセンに行かないひとたちにとって、ゲーセンに行くということは、2000~3000円くらい速攻でスッてしまうものだという印象があるらしい。
それを毎日通っていたら、それこそ高校生や大学生では耐え切らんほどカネがいる。
まあ、これはあながち間違いではない。

わたしが高校生や大学生のころ、格ゲー, 音ゲー, クレーンなどが大流行していた時期と順番に重なっている。
たしかに格ゲーの対戦台などは期待値50%にて2分で1コインをスッてしまう。
クレーンも2分くらいだろう。
音ゲーはもうちょいは遊べるかな?
プリクラはゲームではないからちょいと除外しようか。
最近はゲーセンでもオンラインのカードゲームとかネトゲがいくつかあるみたいだが、そっちはノータッチなのでよく知らん。

わたしがやっているのは、これらのうちのどれでもない。
わたしはシューティングしかやらない男だ。

シューティングは巧くないと、たしかに格ゲーの対戦台よろしく2分くらいしか遊べない。
ところが、あるていど巧くなるとそこそこ長時間遊べるようになる。
まあそれでも、格ゲー1人プレイや音ゲーの巧いひとのプレイ時間とそんなに変わらないかもしれない。

しかし事の本質はそこには無い!

シューティングとは、常に生命の危機に陥りつつ鬼のように降りそそぐ狂気の弾幕を避け続けるゲームである。
シューティングにおけるプレイ中では、生命の危機に陥った身体を守ろうとして脳がフル回転し自己に走馬灯を見せるかのごとく、まさに脳がフル回転しているさなかにある。
シューティングをプレイしているときのわたしは人生における最も脳が集中した時間を過ごしているのである。
だからプレイ中は明らかに時の流れが遅い。

そんな時を何十分もすごしたらどうなるか?

集中力が尽きてクタクタに遊び疲れる。
アドレナリンが過剰分泌されて異様にキモチ良くなる。
もう息も絶え絶えに、席からたって歩くのもダルくなって、しばらくボーッとしていたいほどになる。
ときおり麻薬うったらこんな感じになるんじゃあるまいかと思うこともあるくらいだ。

これは1コインで目的を達成することもあるし、いくら多くても4~5枚も使えばフラフラになってもういいというくらい遊べる。
いつもは1~3枚くらいしか使っていない。

これだったら毎日通っていても案外平気な範囲におさまる。
ゲーセン通いとはそういうカラクリでも成り立つのだ。



追伸:

ゲーセンは風営法の適用対象であり、じつは法律上は風俗である。
ということは、わたしは高校以前から風俗入りびたりということになるのだが・・・、どうしましょ(笑)。

アイマスクエスト 白き魂と黒き魂 (下巻)

2009-07-06 00:19:24 | オタネタ全般
(・・・つづき。前回は「白き魂」について)

さて、2通りあるアイマスクエストの魅力のうち、もう一方について語ろうではないか。



★「黒き魂」

アイマスクエストは能天気なだけのドタバタコメディーとは全く違い、ドタバタコメディーもしっかりありながらダークな側面もまた濃厚に漂っている。
はじめっから黒い人、はやばやと黒くなった人、十分な時をおいて黒くなった人、アイテムをつけたときだけ黒くなる人、さまざまである。
そしてこれらの人たちのあふれ出すような怒涛の感情そのものにシンクロすることこそ、これもまたアイマスクエストの醍醐味であると思う。



一般的にほとんどの作品において、ダークヒーローは最初っからダークヒーローである。
途中でヒーローがダークヒーローに転向することは滅多にない。

しかし、アイマスクエストだけはこの法則に当てはまらない。

アイマスクエストの始めのころは、みんなただの元気のいい女の子であるところから始まる。
お姫様相当の成分はほとんど出てこないので、この娘たちはいわゆるヒーローといってもいい。

ところが!

物語が進行するにつれ、だんだんとそうではなくなっていく。

ある者は人類に絶望し、どんなものにも頼ることなく全て自己の力のみで世界を救うことを志した。
ある者は魔物に絶望し、魔物を全て打ち滅ぼすしか世界を救う手立てはないと心に決め独り戦いを挑んだ。
ある者は人生に絶望し、自己の中に別の人格として悪意を秘めて戦う意思を示した。

ただの女の子だった彼女たちが絶望し、しかし絶望のなか誰かのために戦うその意思に感動するのだ。



「あなたを殺しにきました。」

これは彼女たちのうちの1人が下した結論だ。
わたしもこの名セリフに心打たれた愚者のひとりである。
天使の笑顔でそんなセリフを言える彼女こそ、黒き魂に魅入られた真のダークヒーローとしてふさわしいではないか。

ニーチェの ”ツァラツストラかく語りき” にこうある。

『少女たちにこう言わせるようであれ、「何がよいといったって、健気で、しかも悲壮なものに限るわ」と。』

わたしはアイマスクエストをここまで見て、そして初めてこのニーチェの言葉の意味するところのほんの一部を理解できた気がする。

そもそもにおいて、わたしは現世に絶望しているようなところがある。
そのためかもしれんが、どうやら人から見たら感情表現に乏しい淡白なヤツだと思われることがあるようだ。単に世間の悲喜こもごもから距離を置いた醒めた見かたしかしていないのは確かだが、特別に感情表現に乏しいのではないと思う。
そんなわたしだからこそ、絶望のただなかにあり、それでもなお戦う女の子たちのその後ろ姿に、内なる魂に秘めた感情がシンクロしてしまうのだ。



アイマスクエストはこの先どう展開するか、わたしには解るはずもない。
しかし、彼女らが絶望し、しかしその絶望に屈せず戦いつづけ、そして最後には彼女らの求めるあるべき世界へと開放される、きっとそんなカタルシスを垣間見ることができるに違いない。

昨今のしょーもないドラマ小説のように、カップルの片割れがとりあえず白血病で死ぬとか、とりあえず不倫関係にあってドロドロした関係に悩むとか、そんな手垢がつきすぎて吐きそうなほどダルい作品とは比較するのもおこがましいほどドラマチックである。
これは恐らく全部見たひとならば誰しもが納得するであろう。

本稿執筆時点で第七章も佳境にはいり、いよいよ目が放せなくなってきた感がある。
アイドルマスターをぜんぜん知らない人、それからドラクエIVをほとんど憶えていない人、そんな人にも自信を持っておすすめできる。

これを見ずに
「人生の楽しみのうちの1つを失った」
と後で後悔するのと、見たあとで
「やっぱり大しておもしろくなかった、時間の無駄だった」
と後悔するのと、それのどちらがマシか、それは自明であろう。



追伸:

いまから見るなら第一章はあとまわしにして第二章から見たほうがいい。
アイマス師匠もそう勧めている。



【※ アイマスクエスト】
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