先日高校の友人のオペラをみに行ったのだが、その後「感想求む」とメールがきて少し戸惑ってしまった。このブログでは色々と大胆なことを書いているけれども、いざ現実となると萎縮してしまう感じがする。音楽については語るほどの知識をもっていなくて恐縮なのだけど、昨日書いた記事が余りに意味不明なので(今になって反省)意図を説明しようと思う。言い訳みたいでみっともない…知らないことに無闇に手を出すのは控えておこう。
「トム少佐」はDavid Bowieの"Space Oddity"(1969)と"Ashes to Ashes"(1980)の2つの曲に登場するキャラクターだ。"Space Oddity"はボウイの最初のヒット曲で、ロケットがカウントダウンから打ち上げ成功、乗員であるトム少佐と地上管制塔でやりとりが行われる。そこで突然トム少佐は自ら軌道を外れ地球とのコンタクトを断つ、というストーリーである。これは、ボウイが自ら芸術家の道を進むことで世間から離れ孤独な人生を選んだことと重ね合わせたと解釈されている。
もうひとつの"Ashes to Ashes"でのトム少佐は、孤独に耐えられなくなって麻薬中毒になり、すぐに元の世界に戻りたいというメッセージを送っている。私の想像だと、1970年代ジギーにベルリン3部作に突っ走って成功を収めていって、80年代になって一息つく(停滞期と言われるのはこれより後のトゥナイト~ブラックタイホワイトノイズの時期か)。少し創作力の限界を感じてしまった、世間を捨てて勇ましく飛び出したものの辛くなって戻って来たい、振り返ってみればトム少佐は若気の至りと言えるような存在で恥ずかしくなってくる。そこで「灰は灰に」と葬儀の言葉で葬り去ってしまう。最後は母が子に「あんな人にかまっちゃいけない」と諭す。こうなっちゃいけないと。
参考までにリンクを紹介すると、"Space Oddity"(
映像・
歌詞)"Ashes to Ashes"(
映像・
歌詞)。映像がこんな出回ってていいのだろうか…時代を感じさせる面白い演出でしょう。以上のことを前提として、下の記事では次のような意図があった。
切符をひとついいですか
鉛筆をひとついいですか
短い話をつくりましょうか
ほんの数分の時間をお料理します
↓
ま、要するに色々ストーリーを考えるのが好きだということ。
水色の傘で待つ君の姿からは
みっつの話が浮かんできました
手が触れたなら
どれだけ話が生まれるでしょう
↓
「君」はずっと抽象的なもので、人とのふれあいはたくさんの話が浮かぶ宝島のようなものだ、ということ。
けれども君には話しませんよ
きっと君には退屈だからね
資格の足しにもならないからね
ヴィトンのバッグにも化けないからね
↓
けれども普通会話でこんな話はしませんよね。作った話は世間的には退屈で下らないもの。地位にも名誉にもつながらなければ、お金やブランドにも結びつかないものだから。胸にしまっておく事柄だ。
ここにはブリキの缶もないし
地上管制塔もない
あいにく頭もはっきりしている
だからトム少佐にはなれない
なぜそんなに自信満々なの
↓
宇宙船のような逃げ出す手段もないし、管制塔のような捨て台詞を吐く相手もいない。正気だから逸脱する衝動もない。だから金や地位や名誉といった世間のドライな価値観を振り払うことが出来ない。屈服するしかない。それにしても、なんで向こうは自分の価値観に疑問を持たないのかなあ。