順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

「順風ESSAYS」にようこそ

法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
長文記事は「順風Essays Sequel」に移行し、こちらは短文の投稿をします。
最近の記事一覧はこちら 管理人へのメッセージ・お問合せはこちら
 
過去記事からのおすすめ
エッセイ→ぼくはタイガー鶏口症候群成功のための競争背水の陣//小説→切符がくれたもの鉛筆削り未来ニュース//鑑賞録・感想→報道写真について美術鑑賞2009No_Logic天使たちのシーン//その他創作モノ→回文まとめ雪が降る
 

地球温暖化

2005年08月29日 | 時事
http://tanakanews.com/f0827warming.htm

私としては物心ついてから「各地で異常気象」とあまりに多く言われているので異常もあるのが通常だと感じるようになっている。地球温暖化、というのは目の前の自然現象を説明して納得するには格好の理由づけである。学説の説得力には合理性のほかにも政治力が関わってくる。国際政治のページでこのことに言及するものがあった。

そういえば大学入試で二酸化炭素濃度のグラフと平均気温のグラフが並んでいて英語で説明せよ、といった問題があった。そのときは「何らかの相関があるようにみえる」とお茶を濁しておいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Dr.コトー診療所(マンガ)

2005年08月28日 | 紹介
マンガは1冊の単価は安いもののシリーズがずっと続くので結果的にコストは大きい。私はこれまでシリーズを全巻集めたことはほとんどない。いつも8巻くらいで挫折する。こんな私でもこのシリーズは16巻まで揃っている。17巻が発売中であるが、買うかどうか思案中である。

このマンガは1巻が発売されたころ本屋でみかけて買ってみた。今ではドラマ化されて大人気、雑誌でもメインを張る作品になった。作者が個人でホームページを運営していて、読者と積極的に交流をしており、作品を身近に感じることができる。

ドラマがあったことで原作のマンガのほうも影響されてしまった部分があると思う。最初はみんな助かる、「美味しんぼ」のような予定調和の微笑ましい話が多かった。実写であるドラマは嫌でも現実的になるが、これに引きづられてか、生々しい話が多くなった。私としては予定調和が好きだったので、最近の展開は読んでいて疲れる感じもある。といっても、離島医療という題材からして長期連載するためにはしょうがない面もある。第二部開始となったが、これからさらに長期連載となるとサブキャラを中心にした話、タケヒロの医学生生活とかが展開されていくのだろう。ひとつ作品世界が出来上がる感じだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古本屋に行った

2005年08月28日 | 日記
本棚のスペースも有限であり、もう読まないだろうという本は処分しなければならない。棄てるよりは、資源のことも考えて古本屋にもっていくことも何度かある。今日も部屋を整理して本を何冊か持っていった。100円にもならない。

買い手を探すコストを相手は負担していて、本の値打ちは売れやすいかどうかでドライに決まる。一番値段が高かったのが「うすた京介短編集」(50円)とは。定価だといちばん値段低いじゃん。憲法の入門本と英検単語集は買取拒否。商品価値すらないということで、棄てるしかない。といっても資源回収の日とかで棄てる機会は限られているので、部屋には棄てようと集めてある本が目に付くところに放置されるという逆説的な状況になってしまう。

憲法の入門本をみてみたら、理解度チェッククイズ→地方自治の保障形態は?①人権保障②プログラム保障③制度的保障④制限的保障⑤厳格な保障、というものなどがあった。これを1年生のときは心躍らせて読んでいたことを思い出すと、自分も勉強してきたのだなーと感慨深い。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩夏の大合唱

2005年08月28日 | 回文
昼間はセミ、夜はコオロギ。ひっきりなしに鳴いているが、人間の言葉にしたら「女はいないか~」の大合唱だと思うと、風流なんてあったものではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テトリスブルー

2005年08月25日 | ゲーム紹介
久々に何かを紹介する記事を書こう。

私は最近携帯を新しくした。高機能なのでアプリがついている。その中でテトリスを結構やった(過去形)。スタンダード・カスケード・ホットラインという3つのバージョンがあったがカスケードがいちばんやりやすかった。連鎖機能があって、9連鎖までいった。同時に9ライン消したりもした。ハマってしまい、最速で落ちてくるブロック相手に総計400ライン以上消したりと職人になってきた。最後には、ギリギリまでブロックを積み上げといてそこから全部ラインを消すまで復活するとか勝手にテーマを設定してやった。

日常生活に支障をきたしかねないので先日アプリ自体を消去。記録は思い出の中に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合理的って

2005年08月25日 | essay
合理的、論理的、科学的という言葉が今では強い力をもっているようにみえる。

「権利=法(Recht)の目的は平和であり、その手段は闘争である」という言葉がある。そして、法律学における学説は手段たる闘争を理性的な枠内で行うものだ、といった記述を読んだことがある。これを踏まえると、理性的な枠内での闘争では多くの考え方の中から最も説得的で受け入れられやすいものが勝ちやすい。価値観についての比較不能、相対主義を前提とする以上(民主主義は相対主義を前提にしている)、理論性が高い、合理的な議論というものが最も受け入れられやすいことになる。大雑把に言えば、共通認識と事実や観察・論理法則で作る考えのことだ。

・・・ただ本読んでて思っただけです。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗教勧誘がきた

2005年08月25日 | essay
今日の昼ごろ。「生きる目的は何ですか」というパンフを渡された。「生きる目的は」「幸せですか」というのがこのテでよくあるパターンだろう。勧誘する人に文句があるとすれば、人生全体の大きな価値観を押し付けようとする不遜な態度が気に食わない、何も知りやしない見ず知らずのあなたに心配される言われはない、ということだ。といっても彼らの生き方を叩くつもりもないので適当に流している。(私も以前自信に満ちていたころ他人に介入して失敗し、今は相手との距離を大事にしている)。

それにしても「生きる目的」というテーマは嫌らしいものだ。大学入学のときこのテーマの宗教勧誘がよくあった。受験に成功して大学入学という各学生が自分に自信をいちばん持つ時期では、勧誘はとても上手くいきそうにないだろう。しかし、就職活動などをする不安定な時期では、自己分析とか自己啓発とかいった中で普通の学生も「生きる目的」は何か、なんて考えたりすることが多いようにみえる。ということで、スキを見せて怪しい宗教に屈しないために自分なりにひとつ納得しておくのがよいかもしれない。

私が適当に納得しているのは、客観的に不可変的に「生きる目的」が実在するものではない、というのを前提とする。生まれる、死ぬ、好運ならば子孫を残す。それだけ。ここに創造主とかいった要素を入れるのが怪しい宗教だろうと思っている。

といっても、悲観的ではない。人間は色々無駄に考える力をもち他者との関わり合いで社会生活を営んでおり、社会の中で各人は生きる目的を認識することができる。今ではどんなに経済的に生産能力を持ち得ない体に生まれても社会が生存を保障してくれる一方、他人を残虐に殺めたりと著しい反社会性を実行した者は法の下に命を奪われる。それだけ社会性というのは重要なものとして位置づけられており、私が文系を選んだ理由のひとつもここにある。

そして、生きる目的というのは各人の経験や時代や社会の性格によって変わってくる。現在でみれば、自由な幸福追求というのが大きいだろう。金を稼いで物質的満足を求めたり、公共に身を捧げ精神的満足を求めたり、他者への優越感を抱いたり、愛を育んだり、違法でなければ自由である。そして、個人的には社会的分業が心地よい考え方だと思う。各人の能力を発揮して仕事をしたり生活したりすることが人格を実現しつつ社会に貢献していることになる、というものだ。

あー最近こういうことばっかり書いてる気がする。紹介記事が非常に少ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな政府

2005年08月24日 | 時事
「小さな政府へ」現内閣の合言葉である。この流れは世界的なものであるし、大学に入ったときから体感している。私の社会的身分に照らせば、旧体制が維持されて官僚の権限が強いほうが将来やりがいのある仕事ができるとか過度な競争に巻き込まれなくてすむ、といった面がある。しかし、財政赤字で政府の身動きが取れない上価値観が多様化している今、仕方がないと思っている。ということで環境に甘えず自分のスキルを磨くために多くの人が資格試験に走っている。

以前の「小さな政府」の時代は結果的に世界恐慌を引き起こした。これからは歴史に学び、秩序維持強化・法令順守とセットで進んでいくだろう。公正取引委員会を強力にし、企業にコンプライアンスを徹底させていくことで負の面を緩和できるだろう。もうひとつ、格差拡大が懸念される。これについては、日本は飢え死にする心配はほとんどなく(自分を成功者との比較で見がちだ)、文化的素養を高めて金銭以外の価値尺度も合わせ持つことが望まれる。また、不平等な制度は個人が自立して努力する気を殺ぐものであるから排除していくのがいいと思う。

特に専門論文を読んだわけでもなく実感に基づくものであるが、大まかにはこんな風に考えている。個人の「自由」と「責任」、制度の「平等」がキーワードだろう。この過渡期の時代、将来機会に恵まれるならば法律の分野で貢献したいものだ。必要とされるために勉強するか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

細木和子

2005年08月21日 | 時事
最近よくテレビで見る人。占い師というが、ふつうの人生アドバイザーという感じだ。その人の仕草や経歴といった情報をたくさん集めて、その方向に才能があるかといった現実的な判断をした上で、「礼儀正しくまっとうな生き方をすれば成功する、不遜な態度をとっていれば失敗する」といった価値観で指南しているようにみえる。私はこれは概ね当たる方向性だと思うが、それは超自然的な理由ではなく各人の心の持ちようによるものであろう。

「世界は公平にできていてほしい」という願望から、上のような価値観で他人を見がちである。例えば、玉の輿に乗った有名人について夫婦仲が良くないといった噂は、それがどんなに根拠がなくても「やっぱりね」と納得されてしまう。そして本人も「もしかしたらうまくいかないのでは」と思っているので実際その通りの結果になってしまうことがある。宝くじに当たった人が不幸な結末に陥る、といった話が好まれるのと同じである。ホリエモンがいつか事業に失敗するのでは、と淡い期待を抱いてる人もいるかもしれない。物事を成し遂げるには独力ではできず、社会から好意的にみられることが大きな要素になっている。しかし、これが全てではないことは現実的にみて明らかである。

そしてもちろん、上のような価値観は真の因果関係を作っているものではなく、完全に無関心な人や強い意志を持った人には通じないことも多い。イスラムのテロリストのような自分の行為に後ろめたさをほとんど感じていない別の信念・論理を抱いている人には通じないだろう。アテネ五輪、谷亮子の大胆な優勝宣言に細木和子は否定的な予言をしたが結局は実力で優勝してしまった。

私はこの人の存在を歓迎もするが羨ましさも感じる。両親が言い聞かせるより、学校で先生が教えるより、政治家が街頭で演説するより、学者が合理的な説明を考えるより、世の女性に倫理的なことを説得的に納得させることができるからだ。

一方で私は彼女の女性観には違和感を持つ。私がいる環境のせいかもしれないが、女性で優秀な方はたくさんいて、産業構造からも今中心になっている知的労働に女性は十分耐えられるし、社会的分業として世の中で活躍すべきことが多い。子育てにしても各分野の技術の発達で瑣末な仕事の量は減ってきており、両立も不可能ではない。結局は各々の家庭で「比較優位」の発想でそれぞれが得意なことをしていくのが理想であると思う。料理が得意であるとか、休日に時間をとりやすいだとか、そういう各人の条件に沿って役割分担を決めていけばよいのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカー日本代表イラン戦

2005年08月20日 | 時事
何か恥ずかしい記事を書いてしまったのでお口直し。3日前の話だけど。

前半は日本のペースでイランは攻撃の組み立てさえできていなかった印象。後半イランのペース。よくのりきって勝利できたと思う。

サントスの動きが非常にいいと感じた。この豹変には驚いた。
加地はゴールを決めたものの右サイドから崩す光景はないように感じた。
小笠原は終盤足が止まってるのがありありとわかった。交代でよかったのでは。
川口はPK止めていたらまた英雄になってただろうけど、しょうがない。

書いてたらサッカー観戦行きたくなってきた。今度行ってみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイノリティ

2005年08月20日 | essay
誰しも、自分の考え方が周囲にも受け入れられていると安心するものである。最近では情報化社会になって各人が自分が多数派になれる場所を見つけることが容易になっているが、通常は自分の身近な環境が世界全体を現しているかのように思いがちだ。自分が少数派であると自覚してしまうと、そこでは気を使い自分を押し殺したような振る舞いに自然となってしまう。勿論このようなことを気にしない「我が道を行く」超然として強い意志を持っている人もいるが、通常はそういうわけにもいかない。

私は、同年代の人と話すことが得意ではない。バイト・部活に精を出し将来のために経験を積む、といった「あるべき大学生像」を実現できない。少数派な大学生活を送っていると自覚しているからだ。「○○一筋」ということができず、自己アピールも難しい。周囲からはきっと「司法試験に向けて勉強一筋」みたいに思われているだろうけれども、実際は予備校大嫌いで全然違うと自分は知ってしまっている。私は高等教育を経験したくて大学に入り、資格試験はそれを妨げない程度にやるというスタンスを最初からとっている。しかし学術書をバリバリ読むわけではなく、ゆっくりとただ思考を巡らす時間というのは、後からみて形になるわけではなく経済学的に「無駄な」時間である。こうして私は膨大な無駄な時間を過ごしている。

大学の定期試験で偶然好成績をとったり択一試験を偶然突破したりしたときには、「自分のやり方でいい」と強い意志が目覚めるものだ。しかし、現実的に考えれば次の試験では評価が得られないのがむしろ普通であり、論文試験を突破できない可能性も高い(私は周囲のレベルを知らないので今回の合否は見当もつかない)。時間がたつにつれ、意志を支えていた成功体験が崩れていく。私はこうして浮き沈みのある気分の中で大学生活を過ごしている。ちょうど今は「あるべき夏休みの使い方」をしておらず、いつもの仲間とお喋りできず同意が得られないため、沈んでいる状況だ。

試験の合否や成績で自己評価を形成すると、試験というものは現実的にみて過程が100%報われるものでもなく、際限のない即物的な「成功のための競争」に身を置くことにもなり、神経をすり減らしてしまう。かといって今の自分にはこれにかわる評価材料を他人に発信するほどの活動をしていない。袋小路に入った感じだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

W31SA

2005年08月16日 | ケータイ談義
このブログにも何回か写真を掲載している。これは全て携帯電話で撮影したもの。思ったより画質がよくて驚いている。130万画素CMOSカメラでCCDより劣ると言われていたものだからあまり期待していなかったのだ。しかし、オートフォーカス機能もついているし、青空が暗めかな、というくらいで大満足だ。

この携帯を買ったのはつい最近のことだ。au2005年夏モデルが発売される時期でこの機種の値崩れが始まった頃に買った。ちょうど機種を変える時期だったので、携帯電話会社をまたがってITmediaをみたり多くの機種を検討した。家族との兼ね合いではdocomoがよかったものの、機能面でauのほうが上なのでこちらにしてしまった。vodafoneも価格が安かったが、どうもSHARP製のメニュー画面・操作画面が美しくないのでやめた。WILLCOMはメール入力が恐ろしいほどやりにくかったのでやめた。

この機種はスライド式である。それでいてコンパクト。「デジカメ?」と聞かれることが多いデザイン。26万色画面では字がカクカクしていないし、様々な機能がついていて大変便利である。

問題はWINなので学割が使えず毎月の価格が高くなってしまったこと。ただでさえ倹約生活をしているのに出費が増えてしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レッドスター

2005年08月14日 | 日記
画像1つしか入れられないことにがっくり。

文字通りの「休暇」の生活を送る締めくくりとして、密かに計画していた通りひとつ遠出をしてきた。自転車で川崎大師まで行った。コースは下のURLを参照(こんな素晴らしいページを作る方はすごい)。二子玉川で橋を渡った。

ttp://members.jcom.home.ne.jp/tamariva/map.html#map

河口からの距離を参考にすれば往復50キロ以上。自転車だから軽くいけるだろうと甘く見ていたが意外に足がガクガクしてくる感じがあった。しかしこれも峠を越えると楽になる。いちばん辛かったのはサドル(座るところ)が硬いこと。区間としては二子玉川の橋を渡って神奈川県側を走っているとき。目標となる橋などが見当たらず周囲に休めそうな場所がないということで大変だった。この区間は初めて走るので心理的にも不安な感じがあったのだろう。意外や意外、帰りに来た道を走っていくときには体が軽く感じたものだった。

周囲の風景も楽しめた。新幹線が颯爽と通り過ぎていく姿が壮観だった。川崎競馬場近くの馬の練習場、ゴルフ練習場、自動車教習所などが河川敷にあってびっくりした。日曜日だったのでバーベキューを楽しむ人がたくさん、少年野球やサッカーもグラウンドで見られ、活気があった。走っている間はなぜか頭の中でJUDY AND MARYの「ジーザス!ジーザス!」がかかりっぱなしだった。

日が出ているうちに帰宅。天気にも恵まれ、夕立に遭わず計画通りに進んでよかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の本

2005年08月12日 | 紹介
この夏私に大きな示唆を与えてくれた本を紹介
まだ若造なので大したことは考えていませんが。

ラッセル『幸福論』(原題『幸福の獲得』)岩波文庫
合理的だが愛に満ちた論述で資格試験前の頭の中のモヤモヤを整理してくれた。

イェーリング『権利(レヒト)のための闘争』岩波文庫
ゼミの題材となった。現代的意義について考え中。

宮沢俊義『法律学における学説』有斐閣
学説というもの、悪法と裁判、たたかう民主制、正義について、
エッセイ多作の著者による分かりやすい文章で視点を与えてくれた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ発展のためには?

2005年08月12日 | 未分類
ネットサーフィンで「軟式globe」という単語をみて、以前心の底から笑ったのをふと思い出したこの頃。

http://ebn.livedoor.biz/archives/8710595.html

これでいうと今のブログは実験台のブログである。ここでテーマがみえてくるかどうか。今のところ思いつくには、次のようなカテゴリを置くことができるように思う。

日記・日想
自作の連載小説
ニュース・きょうのアクセス
ヤクルトスワローズ応援記
サッカー日本代表応援記
FF9プレイ日記
私のお気に入り(これまでの商品紹介記事をひとつにまとめたもの)

このようにアイデアは出たものの、いかんせん「世の中憂う以前に現実問題盛りだくさん」であるのだ。現代では教育程度が上がって各人の思考は発達したものの、近代成立時に想定された家長のような「強い個人」とは比べものにならないほど経済的基盤のない「弱い個人」がデフォルトであり、まずは食う道を確保しなければならない。最近は競争社会化が進んでいるので、東京の大学に入っただけでは全く安心できない。ということで、試験とか資格とかいった現実問題と折り合いをつけつつ楽しいブログ書きができるよう模索してみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする