歌詞等の曲情報→初音ミクwiki ジミーサムPさん(作者)のブログ
VOCALOIDは初音ミク以外にもいくつか存在する。巡音ルカは大人びた艶のある声で表現の幅を広げるのに貢献しており、多くの名曲が生まれている。代表的なものは「Just Be Friends」だが、今回紹介する「No Logic」も代表曲のひとつになっていくだろう。作者のジミーサムPさんは超有名製作者で、Toy Boxという一般流通もしているCDを出しており、私もCDショップで見かけたことがある。
キャッチーな旋律が耳を楽しませ、曲としての完成度の高さももちろんだが、この曲の一番の出色は歌詞にあるように思う。全体としてのテーマは、やりたいことをやって、あるがままに生きていきたいのだけど、それが不可能であることへの喪失感、というもので、共感できる人は多いのではないか。特に象徴的な部分として1回目のサビの歌詞を引用し、個人的に考えたことを書いてみる。
>神様、この歌が聞こえるかい あなたが望んでいなくても
>僕は笑っていたいんです 泣きたい時は泣きたいんです
>いつだって自然体でいたいんです
ここで「神様」は自然体でいたいと願う個人を抑圧する存在として描かれている。これは通常の神様のイメージとは異なるのではないか。私は、フーコーという人が言ったという、監視される者の内部で第二の監視者が生まれるという自己監視のシステム、この第二の監視者がこの曲でいう「神様」にあたるのだろうと思う。自分の本心を叱咤し「こうあるべき」という声を発する者だ。日本で言えば、対応する英語がない特殊な言葉、「社会人」と「受験生」のこうあるべき論の根が深い。受験生が少しでも遊べば誰にも気づかれない場合でも罪悪感が生まれてくる。非難をする主体は、超越的な神様でも現実にいる他人でもなく、自分自身の理性である。
アダムとイブの話で、創造主たる神は二人に善悪の知恵の実を食べることを禁じ、人間には善悪を判断する分別をつけないように試みた。善と悪を考えるようになると、あるがままの生き方を抑圧するようになる。世界で最も有名な神様の一人はそういう事態を避けようとしていたのだ。しかしアダムとイブは、禁止を破り、そのことを神に追及され、禁止を破ることが悪だと判断がついたために言い逃れをし、怒りを買って楽園から追放されることとなった。その子孫たちは、理性で設定した縛りを神様が設定した宿命と思うようになり、諦めの境地に達しようとしている。心の病は理性が強すぎて心が停止してしまった状態とも言われるが、心が壊れてしまうことがないように願うばかりである。
【曲関連の参考リンク集】
巡音ルカが歌うオリジナル版 歌ってみた合唱版
女声の「歌ってみた」おすすめ→栗プリンさん(YouTubeはこちら)
男声の「歌ってみた」おすすめ→けったろさん(YouTubeはこちら)
※ニコニコ動画で再生やコメント・マイリストの数が増えると制作者の方への応援につながります。
【エッセイ部分の参考に】
受験生の自己監視システムを指摘したもの→竹内洋「日本のメリトクラシー」東京大学出版会
アダムとイブの話を善悪論で解釈したもの→泉谷閑示「普通がいいという病」講談社現代新書
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「背水の陣」という言葉がある。退路を断ち、一歩も引くことの出来ない絶体絶命の立場に身をおき、決死の覚悟をして事に当たることをいう。古代中国において韓信という武将が自軍を川を背にして陣取り発奮させて勝利を収めたという故事が元になってできたものだ。何かにひたむきに頑張るというのは社会的に好まれることで、現代においても多くの人がこの言葉を胸に試験や競争に臨んでいることであろう。しかしこの言葉に関しては、いくつか指摘しなければならないことがある。
第一に、故事が成立した場面はせいぜい数時間で決着がつく短期の戦いであるが、現代において個人が臨む競争の多くは決着がつくまでに長い時間がかかる。野球やサッカーで、監督が辞任をかけて選手たちを発奮させようとすることがあるが、その直後数試合は勝てるけれどもそれで構造的な欠陥は直るものではなく、すぐまた連敗を繰り返し退任に追い込まれるということはよくある。長い期間がかかると、切迫した感覚は薄れてきて、むしろ退路がない状況により不安が掻きたてられてしまう。強い心理的負荷が長い間かかってくると、不眠になったり集中できなくなったりと身体の不調も出てくるものだ。
第二に、故事が成立した場面は負ければ文字通り「死」が待っている状況であったが、現代において個人が臨む競争のほとんどは敗れても死ぬわけではなく人生は続いていってしまう。死が待ち構えているのなら負けた後のことなど全く考えなくてよいが、そうでない場合は負けたときに身の処し方を考えていかなければならないし、勝敗がつく前でもどうしてもこのことが気になってしまうものだ。このことも不安を駆り立て、情緒不安定を引き起こす原因となる。
したがって、長期戦に臨む場合には情報を集め冷静さをもって進めていくことが重要となってくる。そもそも故事においても、将は相手を油断させた上で別働隊を裏に回らせて挟み撃ちにするという戦略の下で背水の陣をひいたと言われ、単に精神力だけで突破しようとしたわけではない。もっとも、保険や逃げ場・すべり止めを用意していくことで本命への戦いの意欲が殺がれてしまうというデメリットも存在する。セーフティーネットに甘えてしまう、社会保障で言う「福祉のわな・貧困のわな」のような事態だ。退路がないことへの不安と退路があることへの安心によるデメリットを天秤にかけて、自分にとってどちらが適しているかを考慮して戦略を立てるのがよいだろう。
私の場合は、どうも情熱や夢といったものに熱中できず、最後は分相応なところに落ち着いていくだろうなんて達観したような態度をとってしまう。イベントの準備で一所懸命さがみられないと批判されたこともある。これは「学校と習い事と塾」「部活とイベントと受験勉強」「大学の勉強と資格の勉強」というように様々なことを並行してこなしていく生活を続けてきて、ひとつのものに全力を投入する経験に乏しいのが原因でないかと思う。いつもはバランスのとれた生活をするが、やるべきときにひとつのことに力を注進する、そんなことができるように取り組んでいきたい。
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高齢者の解雇法制について
高齢者(定年後、年金を受給しながら働く人を想定する)の雇用については、近い将来重要な課題になることが見込まれるが、通常の労働者と解雇権濫用法理の適用を等しくするべきか、という問題がある。この点について、横浜地判平成11年5月31日労判769号44頁(大京ライフ事件)は、①労働者が年金等を受給していること、②高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の努力義務を超えていることを理由に解雇権濫用法理の適用を緩和して判断を行っている。この判例に対しては、濫用法理の適用を緩和する理由が正当か疑問が出されている(小畑史子[判批]労働基準53巻4号26頁)。また、東京地判平成16年8月6日労判881号62頁(ユタカサービス事件)では使用者側が同様の主張をしたものの、裁判所はこの主張を考慮することなく判断を下しており、高齢者だから解雇が緩やかに認められるという規範は確立していない。
そこで緩和の理由、中でも①労働者が年金等を受給していることが正当と言えるかどうか検討する。そもそもなぜ解約の自由のうち解雇の自由が多くの国で規制されているかというと、解雇が経済的耐久力のない労働者に与える打撃の大きさを考慮したものだとされる(菅野和夫『労働法』第8版・444頁)。このような経済的打撃の大小という観点は、整理解雇の4要件(要素)のひとつ「人選の合理性」の中で、若年者は転職が比較的容易であり経済的打撃が低い、あるいは高年者は早期退職の退職金等で生活資金が豊富で年金の受給も近いため経済的打撃が低い、といったことが論じられており、具体的場面でも判断の材料として使われている。このことからすれば、高齢者の生活保障を目的とした老齢年金を受給していることから解雇制限の緩和を導いたとしても的外れというわけではない。もっとも、年金の受給水準が生活維持のために十分でないと言える場合には、緩和を導くことは難しいであろう。
しかし一方で、単純に「経済的打撃の大小」を問題とするなら、若くても保有資産が多い人は労働しても解雇されやすくなるのか、という疑問が出てこよう。保有資産の大小で解雇のしやすさが変わるというのは妥当でない。これと年金受給の場面はどのように違うかというと、「経済的打撃を和らげるものを国家が提供しているかどうか」という点を指摘することができよう。労働契約は本来契約自由の原則が妥当する私法上の契約ではあるが、現実として国民の生活保障という公共政策の一部を担わせられ、種々の規制がかかっているとみることができる。そして、社会保障制度との役割分担という観点から規制の強弱が変わってくるのであり、国家から十分に提供される場合には労働契約上の規制を及ぼす必要性は少なくなると言うことができるようになる。
日本の生活維持に関わる社会保障制度をみるにあたっては、(a)雇用のネット、(b)社会保険のネット、(c)生活保護のネットの三層構造になっているという整理が参考になる(湯浅誠『反貧困』(岩波新書・2008年)19頁)。(a)雇用のネットを既存の雇用の維持という方法で実現し、(b)もそれなりに用意するが、(c)は疎か、というのが日本のやり方ということになるだろう。アメリカは、(a)雇用のネットを自由な転職というかたちで機能させ、(c)生活保護のネットを用意するやり方をとっていると言える。高齢者の解雇の場面に話を戻すと、①年金等を受けていることは(b)社会保険のネットが働いているということであり、現にある労働契約に生活保障を担わせる必要性が低い、と言うことができる。こうなると、解雇制限の緩和は的外れではないと言うに止まらず積極的な評価が可能になる。【追記】仮にこれに反論するとすれば、年金は現役時代の払込みの対価であることを強調し、自己資産と同様にみるべきと主張することになるだろう。
労働契約の社会保障機能
労働契約が国民の生活保障という公共政策の一部を担わせられていることは「労働契約は社会保障機能をもつ」という言葉でまとめることができる。同様の機能をもつ私法上の契約として、他に不動産賃貸借契約を挙げることができる。不動産賃貸借契約の解除には信頼関係の法理が判例上確立しており、その理由として賃貸借契約が①継続的契約であること、②当事者の信頼を基礎とする契約であることを挙げることができる。しかし、弁護士の顧問契約も継続性と信頼性を兼ね備えたものであるが、解約に制限をつける必要性は考えられない。生活の基盤となる住居や事業所の維持が国民の生活保障に資する点に鑑み、公共政策の一部を担わせられているから、と説明するのが適切であろう。これは定期借地権の導入の議論にあたり「貸主が社会保障を国の代わりにやっている」と従来の法制への批判があったことからも見出される。【追記】また、公営住宅にも信頼関係の法理が適用されるとする最判昭和59年12月13日民集38巻12号1411頁も説明しやすいであろう。
なお、民法学では「官から民へ」の政策が進められるにあたり公共性をもつ契約として「制度的契約」という視点が提供され、自社年金契約が制度的契約であると松下年金裁判で意見書として出されるなど、さらに広い視点からの性格付けが議論されているが、詳細を整理できていないので立ち入らない(詳細は内田貴「制度的契約と関係的契約」新堂・内田編『継続的契約と商事法務』1頁、同氏のジュリストの連載等を参照)。
労働契約が社会保障機能をもち三層構造の一部をなしていることを意識することにより、労働法制や解釈論を考える場面において有益な指針を導くことができると考えられる。第一には、上で論じたように経済的打撃の大小といった「合理性」の判断枠組の中の視点を体系化・理論化することができる。第二には、「派遣切り」の問題がある。派遣労働は雇用調整が容易であるということに特性をもった労働契約形態であり、従来の(a)雇用のネットを崩すに等しい。したがって、日本国総体として生活保障の水準を維持するためには、転職のコストを下げるといった(a)雇用のネット内での対応に加え、(b)社会保険のネットあるいは(c)生活保護のネットを充実させることが必須であったが対応は乏しかった。このため現実に雇用調整が進められた場合に適切な生活保障のネットがないという事態に陥り、重大な社会問題になったと言うことができる。
第三には、労働時間の問題を挙げることができる。労働時間規制の目的としては、労働者の身体の保護、余暇の保障、ワークシェアリング、柔軟性・効率性等が挙げられている。このうち、社会保障機能との関係で注目すべきはワークシェアリングである。すなわち、一人の労働時間を短縮することにより、他者の労働の機会を増加させるということである。仮にこれを当否は別として社会保障政策として推進していくとすれば、(a)雇用のネットを充実させるという公益的理由から労働時間規制をかけることになるだろう。この際、労働契約が国民の生活保障という公共政策の一部を担わせられていることを重視すれば、より強力な形で推進することが可能となる。
従来、労働契約の特殊性と言えば、一般的には、①交渉力の不均衡(労働者は使用者より交渉力において弱い立場にある)、②継続性(状況の変化により変更が必要になる)、③集団性(秩序維持・公平性の観点が働く)、④白地性(契約は枠を提供するもので、具体的な労働の内容は決められていない)、⑤労務と人の不可分性(労働者の人格を保護する必要性がある)、が挙げられている。 社会保障機能は、このうち労務と人の不可分性の中のひとつですでに考慮されてきたものではあるが、独立して論じることにより、より明確になると考えられる。この社会保障機能は、解雇制限のように労働者自身に働く場面と、労働時間規制のように他の労働者との関係で働く場面とがある。後者の場面は経済規模の拡大が容易には見込めない現在の状況に照らすと、今後重要性を増していくと予想される。
【注意】以上の記述は一学生の試論であり、思考の材料としてではなく現実の事件に参考にするのは避けてください。
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高齢者(定年後、年金を受給しながら働く人を想定する)の雇用については、近い将来重要な課題になることが見込まれるが、通常の労働者と解雇権濫用法理の適用を等しくするべきか、という問題がある。この点について、横浜地判平成11年5月31日労判769号44頁(大京ライフ事件)は、①労働者が年金等を受給していること、②高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の努力義務を超えていることを理由に解雇権濫用法理の適用を緩和して判断を行っている。この判例に対しては、濫用法理の適用を緩和する理由が正当か疑問が出されている(小畑史子[判批]労働基準53巻4号26頁)。また、東京地判平成16年8月6日労判881号62頁(ユタカサービス事件)では使用者側が同様の主張をしたものの、裁判所はこの主張を考慮することなく判断を下しており、高齢者だから解雇が緩やかに認められるという規範は確立していない。
そこで緩和の理由、中でも①労働者が年金等を受給していることが正当と言えるかどうか検討する。そもそもなぜ解約の自由のうち解雇の自由が多くの国で規制されているかというと、解雇が経済的耐久力のない労働者に与える打撃の大きさを考慮したものだとされる(菅野和夫『労働法』第8版・444頁)。このような経済的打撃の大小という観点は、整理解雇の4要件(要素)のひとつ「人選の合理性」の中で、若年者は転職が比較的容易であり経済的打撃が低い、あるいは高年者は早期退職の退職金等で生活資金が豊富で年金の受給も近いため経済的打撃が低い、といったことが論じられており、具体的場面でも判断の材料として使われている。このことからすれば、高齢者の生活保障を目的とした老齢年金を受給していることから解雇制限の緩和を導いたとしても的外れというわけではない。もっとも、年金の受給水準が生活維持のために十分でないと言える場合には、緩和を導くことは難しいであろう。
しかし一方で、単純に「経済的打撃の大小」を問題とするなら、若くても保有資産が多い人は労働しても解雇されやすくなるのか、という疑問が出てこよう。保有資産の大小で解雇のしやすさが変わるというのは妥当でない。これと年金受給の場面はどのように違うかというと、「経済的打撃を和らげるものを国家が提供しているかどうか」という点を指摘することができよう。労働契約は本来契約自由の原則が妥当する私法上の契約ではあるが、現実として国民の生活保障という公共政策の一部を担わせられ、種々の規制がかかっているとみることができる。そして、社会保障制度との役割分担という観点から規制の強弱が変わってくるのであり、国家から十分に提供される場合には労働契約上の規制を及ぼす必要性は少なくなると言うことができるようになる。
日本の生活維持に関わる社会保障制度をみるにあたっては、(a)雇用のネット、(b)社会保険のネット、(c)生活保護のネットの三層構造になっているという整理が参考になる(湯浅誠『反貧困』(岩波新書・2008年)19頁)。(a)雇用のネットを既存の雇用の維持という方法で実現し、(b)もそれなりに用意するが、(c)は疎か、というのが日本のやり方ということになるだろう。アメリカは、(a)雇用のネットを自由な転職というかたちで機能させ、(c)生活保護のネットを用意するやり方をとっていると言える。高齢者の解雇の場面に話を戻すと、①年金等を受けていることは(b)社会保険のネットが働いているということであり、現にある労働契約に生活保障を担わせる必要性が低い、と言うことができる。こうなると、解雇制限の緩和は的外れではないと言うに止まらず積極的な評価が可能になる。【追記】仮にこれに反論するとすれば、年金は現役時代の払込みの対価であることを強調し、自己資産と同様にみるべきと主張することになるだろう。
労働契約の社会保障機能
労働契約が国民の生活保障という公共政策の一部を担わせられていることは「労働契約は社会保障機能をもつ」という言葉でまとめることができる。同様の機能をもつ私法上の契約として、他に不動産賃貸借契約を挙げることができる。不動産賃貸借契約の解除には信頼関係の法理が判例上確立しており、その理由として賃貸借契約が①継続的契約であること、②当事者の信頼を基礎とする契約であることを挙げることができる。しかし、弁護士の顧問契約も継続性と信頼性を兼ね備えたものであるが、解約に制限をつける必要性は考えられない。生活の基盤となる住居や事業所の維持が国民の生活保障に資する点に鑑み、公共政策の一部を担わせられているから、と説明するのが適切であろう。これは定期借地権の導入の議論にあたり「貸主が社会保障を国の代わりにやっている」と従来の法制への批判があったことからも見出される。【追記】また、公営住宅にも信頼関係の法理が適用されるとする最判昭和59年12月13日民集38巻12号1411頁も説明しやすいであろう。
なお、民法学では「官から民へ」の政策が進められるにあたり公共性をもつ契約として「制度的契約」という視点が提供され、自社年金契約が制度的契約であると松下年金裁判で意見書として出されるなど、さらに広い視点からの性格付けが議論されているが、詳細を整理できていないので立ち入らない(詳細は内田貴「制度的契約と関係的契約」新堂・内田編『継続的契約と商事法務』1頁、同氏のジュリストの連載等を参照)。
労働契約が社会保障機能をもち三層構造の一部をなしていることを意識することにより、労働法制や解釈論を考える場面において有益な指針を導くことができると考えられる。第一には、上で論じたように経済的打撃の大小といった「合理性」の判断枠組の中の視点を体系化・理論化することができる。第二には、「派遣切り」の問題がある。派遣労働は雇用調整が容易であるということに特性をもった労働契約形態であり、従来の(a)雇用のネットを崩すに等しい。したがって、日本国総体として生活保障の水準を維持するためには、転職のコストを下げるといった(a)雇用のネット内での対応に加え、(b)社会保険のネットあるいは(c)生活保護のネットを充実させることが必須であったが対応は乏しかった。このため現実に雇用調整が進められた場合に適切な生活保障のネットがないという事態に陥り、重大な社会問題になったと言うことができる。
第三には、労働時間の問題を挙げることができる。労働時間規制の目的としては、労働者の身体の保護、余暇の保障、ワークシェアリング、柔軟性・効率性等が挙げられている。このうち、社会保障機能との関係で注目すべきはワークシェアリングである。すなわち、一人の労働時間を短縮することにより、他者の労働の機会を増加させるということである。仮にこれを当否は別として社会保障政策として推進していくとすれば、(a)雇用のネットを充実させるという公益的理由から労働時間規制をかけることになるだろう。この際、労働契約が国民の生活保障という公共政策の一部を担わせられていることを重視すれば、より強力な形で推進することが可能となる。
従来、労働契約の特殊性と言えば、一般的には、①交渉力の不均衡(労働者は使用者より交渉力において弱い立場にある)、②継続性(状況の変化により変更が必要になる)、③集団性(秩序維持・公平性の観点が働く)、④白地性(契約は枠を提供するもので、具体的な労働の内容は決められていない)、⑤労務と人の不可分性(労働者の人格を保護する必要性がある)、が挙げられている。 社会保障機能は、このうち労務と人の不可分性の中のひとつですでに考慮されてきたものではあるが、独立して論じることにより、より明確になると考えられる。この社会保障機能は、解雇制限のように労働者自身に働く場面と、労働時間規制のように他の労働者との関係で働く場面とがある。後者の場面は経済規模の拡大が容易には見込めない現在の状況に照らすと、今後重要性を増していくと予想される。
【注意】以上の記述は一学生の試論であり、思考の材料としてではなく現実の事件に参考にするのは避けてください。
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修理に出していたPCが返ってきました。こういう経験は初めてで、外国企業のAcerだったので不安がありましたが、スムーズに事が進みました。試しに電源入れたらWindows起動中に何度も電源が落ちてヒヤヒヤしましたが、時間を置くと普通に動作し、安定しました。修理に出すに際してデータを消したのでバックアップ先から色々と戻して、この際ということでie8をメインにしてみたりiTunesをインストールしたりと使用ソフトを乗り換えてみました。
ということで、PCが不安定で困るという内容の記事は解決しました。Acerさんの評判を回復させるべく記述します。ちなみに同記事では音楽プレイヤーについても書いていますが、新型iPod nanoにしようかなと心が傾いているところです。
【9月13日追記】新型iPod nanoを買いに行きました。ブルーにしようと意気揚々。しかしオーディオ売り場でwalkmanがかなり値下げで売っているのを見つけてしまいました。店員さんと話すことしばし、友人と相談することしばし、結局walkmanのほうを買いました。家に戻って設定して色々と試してみました。動画の転送でフリーソフトを新しくインストールしないと上手くいかなかったのは煩わしく思いました。でもまあ手間が少しかかるだけで、ノイズキャンセリングなどいい機能がついているので満足しています。
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ということで、PCが不安定で困るという内容の記事は解決しました。Acerさんの評判を回復させるべく記述します。ちなみに同記事では音楽プレイヤーについても書いていますが、新型iPod nanoにしようかなと心が傾いているところです。
【9月13日追記】新型iPod nanoを買いに行きました。ブルーにしようと意気揚々。しかしオーディオ売り場でwalkmanがかなり値下げで売っているのを見つけてしまいました。店員さんと話すことしばし、友人と相談することしばし、結局walkmanのほうを買いました。家に戻って設定して色々と試してみました。動画の転送でフリーソフトを新しくインストールしないと上手くいかなかったのは煩わしく思いました。でもまあ手間が少しかかるだけで、ノイズキャンセリングなどいい機能がついているので満足しています。
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今日の法務省の発表で労働問題が「関心対象」から「自分に切迫したこと」になってきたのだが、先日書いた『新しい労働社会』を紹介した記事になんと著者ご本人からコメントをいただくことができた。
「順風ESSAYS」さんに書評をいただきました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/essays-e2eb.html
まず、導入部分の記述について、次のような言葉をいただいた(部分的に引用しています)。
>「知的誠実さ」があるかどうか。それだけです。
>「分際」なんて言葉はやめましょう。
>「無礼」ということばをそういうときに用いるべきではありません。
自分の自信のなさは、実生活で将来が見えていないことに由来している側面があるのだが、こういうことを気にしていること自体が、知的誠実さに欠け属性に依存してしまっていて、仮に自分が「よき属性」を得てしまった場合に他者を見下す言動をしてしまう危険をもっているのではないかと気付かされた。このブログは極力属性を消して書いているが、逆にこれが属性志向の証左なのかもしれない。知的誠実さを忘れずに取り組んでいこうと思った。
次に、メンバーシップからの説明の新鮮さを紹介する部分については、次のようなコメントをいただいた。
>そうですね。序章で言ってることはすべて既存の議論で指摘されていることですが、メンバーシップ型雇用契約をいわば公理の地位において、そこからもろもろの特性をコロラリーとして導き出すという説明の仕方をここまで明確にとった例はあまりないかも知れません。
学部や法科大学院での労働法の授業では、解雇規制をまず扱い、その後に就業規則、賃金、という流れになることが多く、このことによって頭の中の整理として解雇規制を出発点に考えてしまいがちになるのだろう。例えば、就業規則の場面では、「柔軟性」の議論が出てきて、解雇規制とのバランスを考えれば現行法制のあり方も納得できる、というかたちの説明がよくされる。
「労働契約の白地性」の他にも「日本の就職の実質は就社だ」といった表現は以前からよく語られてきたもので、他の方の書評で議論されている「メンバーシップという概念がいつ語られ始めたか」というのは重要ではなく、それがどのように現実の法制に影響を与えているかを整理している点において、法学部等で労働法を学ぶ人にとって新しい視点を与えるものだと思う。
最後に、本書で提示する解決策について抱いた感想については、次のようなコメントをいただいた。
>そうですね。ただ、その「一般向けの訴求力」の「一般」というのは、当事者じゃない野次馬的観客でしょう。彼らには地味な改革よりも抜本的な革命が「ウケ」る。しかし、現実にはそんなことはほとんど不可能なので、それは「革命を夢見て畳で寝そべる」だけになりがちです。一方で、私も議論がいささか「玄人ウケ」に走りすぎていないか、反省すべき点もあるのでしょう。「リアルな改革」の世間へのウリ方が今後の検討課題かも知れません。
この部分は、自分自身が解決策の部分のまとめに難儀してしまい、予備知識に乏しい方にとってはさらに難しくなるのではないかと感じたことから記述に至ったものだ。明快な序章のペースで読むとこういう事態に陥るかもしれない。本書では106頁周辺が全体の議論の大枠をつかむ手がかりになるので、同様に難儀してしまった方は参考にするといいと思う。
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「順風ESSAYS」さんに書評をいただきました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/essays-e2eb.html
まず、導入部分の記述について、次のような言葉をいただいた(部分的に引用しています)。
>「知的誠実さ」があるかどうか。それだけです。
>「分際」なんて言葉はやめましょう。
>「無礼」ということばをそういうときに用いるべきではありません。
自分の自信のなさは、実生活で将来が見えていないことに由来している側面があるのだが、こういうことを気にしていること自体が、知的誠実さに欠け属性に依存してしまっていて、仮に自分が「よき属性」を得てしまった場合に他者を見下す言動をしてしまう危険をもっているのではないかと気付かされた。このブログは極力属性を消して書いているが、逆にこれが属性志向の証左なのかもしれない。知的誠実さを忘れずに取り組んでいこうと思った。
次に、メンバーシップからの説明の新鮮さを紹介する部分については、次のようなコメントをいただいた。
>そうですね。序章で言ってることはすべて既存の議論で指摘されていることですが、メンバーシップ型雇用契約をいわば公理の地位において、そこからもろもろの特性をコロラリーとして導き出すという説明の仕方をここまで明確にとった例はあまりないかも知れません。
学部や法科大学院での労働法の授業では、解雇規制をまず扱い、その後に就業規則、賃金、という流れになることが多く、このことによって頭の中の整理として解雇規制を出発点に考えてしまいがちになるのだろう。例えば、就業規則の場面では、「柔軟性」の議論が出てきて、解雇規制とのバランスを考えれば現行法制のあり方も納得できる、というかたちの説明がよくされる。
「労働契約の白地性」の他にも「日本の就職の実質は就社だ」といった表現は以前からよく語られてきたもので、他の方の書評で議論されている「メンバーシップという概念がいつ語られ始めたか」というのは重要ではなく、それがどのように現実の法制に影響を与えているかを整理している点において、法学部等で労働法を学ぶ人にとって新しい視点を与えるものだと思う。
最後に、本書で提示する解決策について抱いた感想については、次のようなコメントをいただいた。
>そうですね。ただ、その「一般向けの訴求力」の「一般」というのは、当事者じゃない野次馬的観客でしょう。彼らには地味な改革よりも抜本的な革命が「ウケ」る。しかし、現実にはそんなことはほとんど不可能なので、それは「革命を夢見て畳で寝そべる」だけになりがちです。一方で、私も議論がいささか「玄人ウケ」に走りすぎていないか、反省すべき点もあるのでしょう。「リアルな改革」の世間へのウリ方が今後の検討課題かも知れません。
この部分は、自分自身が解決策の部分のまとめに難儀してしまい、予備知識に乏しい方にとってはさらに難しくなるのではないかと感じたことから記述に至ったものだ。明快な序章のペースで読むとこういう事態に陥るかもしれない。本書では106頁周辺が全体の議論の大枠をつかむ手がかりになるので、同様に難儀してしまった方は参考にするといいと思う。
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久しぶり週刊VOCALOIDランキング覗いて新曲を探してみたら、とてもいい曲があった。こういうアップテンポで、歌詞でたくさん韻踏んでいて気持ちいい曲は好みのど真ん中だ。1週間ほどで殿堂入り(10万再生を記録)をし、今週1位になったようだ。早速歌い手さんが「歌ってみた」動画をアップしている。男性のものが多い。腹話さんのもの(※ニコニコ動画のアカウントが必要です)が上手なうえに個性が出ていておすすめだ。
【参考リンク集】
歌詞等曲情報はこちら→初音ミクwiki「裏表ラバーズ」
ニコニコの元動画はこちら 作曲者(現実逃避Pさん)のブログはこちら
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濱口桂一郎著『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』岩波新書・2009年
学生の分際で先生方の文献を分類するのは無礼なことであるが、資料集めのとき著者の文献は「信頼できる」カテゴリに入れる。著者はヨーロッパの政策に通暁し、ブログで一般向けにも積極的に情報発信しており、時に他のブログ(池田信夫氏)とケンカしている。先日、飲み会の前にふと本屋に立ち寄った際にこの本を見つけて、序章を読んで買うことを即決した。序章では日本の雇用システムの特徴を述べているのだが、この記述が見事に整理されていたからだ。
これまで私は、解雇規制を出発点として挙げ、これと整合的にするために他の部分(配転や労働時間・労働条件変更)を犠牲にする仕組みで、戦時中から高度経済成長期にかけて歴史的に確立していった、という感じで説明することにしていた。これに対し本書では、欧米の「ジョブ型」と対比して日本の雇用は「メンバーシップ型」であると位置づけ、その帰結として各種の特徴を導き出す。「メンバーシップ型」というのは、具体的にどういう職務をするのか明らかでないまま労働者は使用者に言われたことを何でもやることを約束するというもので、「労働契約の白地性」として指摘されてきたものだ。これがどのように働くか、いくつかの点について整理すると次のようになるだろう。
日本の雇用は会社へのメンバーシップの獲得である
→1:職務がなくなっても異動の可能性がある限り解雇できない(解雇制限)
→2:職務が特定されていないから職務を賃金の基準にできない(年功賃金)
→3:職務が明確でないから産業別で条件を揃えるのが難しい(企業別組合)
→4:労働者は頻繁に職務を変えるので専門性が身につかず転職しにくくなる
→5:労働者個人の職務の範囲が無限となり長時間労働になる
→6:メンバーでない非正規・女性労働者の待遇は著しく低い
解雇規制からスタートするとこれを緩和すれば他の部分も変わっていくという発想になりやすいが、メンバーシップの観点から説明するとそう容易い問題ではないと気付かされる。以上のことを前提として、第1章は正社員の長時間労働、第2章は非正規労働者の待遇、第3章は賃金体系と社会保障制度、第4章は労使協議のあり方・立法協議のあり方という現在の労働社会の大きな問題点を整理し、解決策の提案がされている。
各種解決策の特徴としては、実現性を重視して、抜本的な変更というより現状の修正という性格が強いことが指摘できる。例えば、正規と非正規の格差是正について「同一労働同一賃金」を目指すといっても日本では「同一労働」の物差しが作りにくい、それでは勤続期間をひとつの指標にしてはどうか、という主張や、労働者代表組織について非自発的結社・使用者からの独立性等の性質をもつ組織が必要としながら、企業別組合の存在に照らすと非正規労働者を包括した企業別組合が唯一の可能性である、といった主張が挙げられる。そのために、進むべき方向性を明快な一言で表すことが難しく、各論ごとに丁寧にみていく必要がある。専門的議論としては実に適切なことだが、一般向けの訴求力という点においてはあまり強くないのでは、と感じた。
ジョブ型雇用契約の並行導入
以上が本の紹介で、上手にまとめきれず忸怩たる思いなのだが、日本の労働問題について関心があったらぜひとも手にとって、一度字面を追うだけでなく精読を試みてほしい。以下では、本書を読んで個人的に考えてみた方策を書いてみることにする。その概要は、日本の雇用の本質はメンバーシップ型であるという点に鑑み、その対置として欧米式の職務を基準としたジョブ型雇用契約に適合した法制を並行して敷き、企業によって方式を選択できるようにし、雇用に関する異なる契約形態で制度間競争をしてみよう、というものだ。ジョブ型、すなわち職務を明確にしその範囲でのみ労働者が義務を負う形態での法制としては、次のようなものが考えられる。
・採用における年齢差別及び性差別禁止の厳格化
・同一労働同一賃金の徹底
・配転について労働者個別の同意が必要
・労働時間規制の厳格化(逆に柔軟化?)
・職務がなくなったことによる解雇は正当な理由として認める
・子ども手当・住宅手当等の公的な生活支援の(追加)支給対象とする
・公的な職業訓練との連携を強化/教育訓練給付制度の強化
・労使委員会の形成義務・産業間のつながり
・メンバーシップ型からの移行に際しては賃金後払い分の清算金を支払う必要あり
このような方策を考えた理由としては、第一に、メンバーシップ型という基本を堅持する以上、非正規で長期間働いてきた人が正規雇用のルートに乗ることは非常に難しく、均衡処遇によって賃金格差が少し是正されるくらいで、絶望の境遇は根本的には変わらないのではないかと思ったからである。ジョブ型だと企業にとっては採用して一生面倒をみることは求められないから、必要な職務を遂行できるかどうかという観点で人材を集めることができ、労働者にとっても年齢に関わらず、職業訓練を積んで能力を得れば採用にこぎつけることができるようになる。
第二に、いわゆる高学歴難民のミスマッチとして専門性を生かす具体的な職務を求める希望に答えるものが日本型の採用方式では用意されていないということもある。第三には、若年者にとって定年まで会社が存続していると期待するには心もとない競争環境があり(少なくとも再編が何度かあり会社名も変わるだろう)、長期雇用の下で賃金を後から取り返す仕組みではモチベーションが上がっていない、ということがある。自ら他でも通用する能力を養っていくほうが若年者の希望に応えるのではないか。また、職務の範囲を明確化することで労働時間の長時間化も防ぎやすくなり、ワークライフバランスが図られ、若年者のライフスタイルにも合致しよう。その一方で賃金では生活保障の性格が薄くなるため公的な補助が必要となるし、不況時の失業も出やすくなるのでその際の生活保障も公的な仕組みで用意する必要がある。
具体化しようとすると困難は非常に多い。解雇規制の緩和は魅力的で、新しく日本に参入する外資系企業にとっては自国の流儀が多く通用するということで採用するかもしれないが、いわゆる「日本的雇用」の根本を異にするので反発も多いだろう。どちらがより高い生産性を挙げることができるかは制度間競争で試すことになるが、同一労働の基準や産業別の合意を図るための労使協議の基盤形成では、最初の段階で多くの企業が採用するに至らないと、基本的な部分が確立できないことになる。行政や司法が代わりの役割を一時的にでも果たすことができるかは不明である。
簡単な思いつきから色々と考えを進めていってしまった。こういう場合、難題にぶつかっておじゃんになるのが常で、今回もそういう感じになってしまっているのだが(mixiで友人向けに議論提起してみたほうがよかったかも)、偶々これを読んでくれた方が鮮やかな発想で何か新しいものを生んでくれたらいいな、ということで記事をアップすることにした。
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学生の分際で先生方の文献を分類するのは無礼なことであるが、資料集めのとき著者の文献は「信頼できる」カテゴリに入れる。著者はヨーロッパの政策に通暁し、ブログで一般向けにも積極的に情報発信しており、時に他のブログ(池田信夫氏)とケンカしている。先日、飲み会の前にふと本屋に立ち寄った際にこの本を見つけて、序章を読んで買うことを即決した。序章では日本の雇用システムの特徴を述べているのだが、この記述が見事に整理されていたからだ。
これまで私は、解雇規制を出発点として挙げ、これと整合的にするために他の部分(配転や労働時間・労働条件変更)を犠牲にする仕組みで、戦時中から高度経済成長期にかけて歴史的に確立していった、という感じで説明することにしていた。これに対し本書では、欧米の「ジョブ型」と対比して日本の雇用は「メンバーシップ型」であると位置づけ、その帰結として各種の特徴を導き出す。「メンバーシップ型」というのは、具体的にどういう職務をするのか明らかでないまま労働者は使用者に言われたことを何でもやることを約束するというもので、「労働契約の白地性」として指摘されてきたものだ。これがどのように働くか、いくつかの点について整理すると次のようになるだろう。
日本の雇用は会社へのメンバーシップの獲得である
→1:職務がなくなっても異動の可能性がある限り解雇できない(解雇制限)
→2:職務が特定されていないから職務を賃金の基準にできない(年功賃金)
→3:職務が明確でないから産業別で条件を揃えるのが難しい(企業別組合)
→4:労働者は頻繁に職務を変えるので専門性が身につかず転職しにくくなる
→5:労働者個人の職務の範囲が無限となり長時間労働になる
→6:メンバーでない非正規・女性労働者の待遇は著しく低い
解雇規制からスタートするとこれを緩和すれば他の部分も変わっていくという発想になりやすいが、メンバーシップの観点から説明するとそう容易い問題ではないと気付かされる。以上のことを前提として、第1章は正社員の長時間労働、第2章は非正規労働者の待遇、第3章は賃金体系と社会保障制度、第4章は労使協議のあり方・立法協議のあり方という現在の労働社会の大きな問題点を整理し、解決策の提案がされている。
各種解決策の特徴としては、実現性を重視して、抜本的な変更というより現状の修正という性格が強いことが指摘できる。例えば、正規と非正規の格差是正について「同一労働同一賃金」を目指すといっても日本では「同一労働」の物差しが作りにくい、それでは勤続期間をひとつの指標にしてはどうか、という主張や、労働者代表組織について非自発的結社・使用者からの独立性等の性質をもつ組織が必要としながら、企業別組合の存在に照らすと非正規労働者を包括した企業別組合が唯一の可能性である、といった主張が挙げられる。そのために、進むべき方向性を明快な一言で表すことが難しく、各論ごとに丁寧にみていく必要がある。専門的議論としては実に適切なことだが、一般向けの訴求力という点においてはあまり強くないのでは、と感じた。
ジョブ型雇用契約の並行導入
以上が本の紹介で、上手にまとめきれず忸怩たる思いなのだが、日本の労働問題について関心があったらぜひとも手にとって、一度字面を追うだけでなく精読を試みてほしい。以下では、本書を読んで個人的に考えてみた方策を書いてみることにする。その概要は、日本の雇用の本質はメンバーシップ型であるという点に鑑み、その対置として欧米式の職務を基準としたジョブ型雇用契約に適合した法制を並行して敷き、企業によって方式を選択できるようにし、雇用に関する異なる契約形態で制度間競争をしてみよう、というものだ。ジョブ型、すなわち職務を明確にしその範囲でのみ労働者が義務を負う形態での法制としては、次のようなものが考えられる。
・採用における年齢差別及び性差別禁止の厳格化
・同一労働同一賃金の徹底
・配転について労働者個別の同意が必要
・労働時間規制の厳格化(逆に柔軟化?)
・職務がなくなったことによる解雇は正当な理由として認める
・子ども手当・住宅手当等の公的な生活支援の(追加)支給対象とする
・公的な職業訓練との連携を強化/教育訓練給付制度の強化
・労使委員会の形成義務・産業間のつながり
・メンバーシップ型からの移行に際しては賃金後払い分の清算金を支払う必要あり
このような方策を考えた理由としては、第一に、メンバーシップ型という基本を堅持する以上、非正規で長期間働いてきた人が正規雇用のルートに乗ることは非常に難しく、均衡処遇によって賃金格差が少し是正されるくらいで、絶望の境遇は根本的には変わらないのではないかと思ったからである。ジョブ型だと企業にとっては採用して一生面倒をみることは求められないから、必要な職務を遂行できるかどうかという観点で人材を集めることができ、労働者にとっても年齢に関わらず、職業訓練を積んで能力を得れば採用にこぎつけることができるようになる。
第二に、いわゆる高学歴難民のミスマッチとして専門性を生かす具体的な職務を求める希望に答えるものが日本型の採用方式では用意されていないということもある。第三には、若年者にとって定年まで会社が存続していると期待するには心もとない競争環境があり(少なくとも再編が何度かあり会社名も変わるだろう)、長期雇用の下で賃金を後から取り返す仕組みではモチベーションが上がっていない、ということがある。自ら他でも通用する能力を養っていくほうが若年者の希望に応えるのではないか。また、職務の範囲を明確化することで労働時間の長時間化も防ぎやすくなり、ワークライフバランスが図られ、若年者のライフスタイルにも合致しよう。その一方で賃金では生活保障の性格が薄くなるため公的な補助が必要となるし、不況時の失業も出やすくなるのでその際の生活保障も公的な仕組みで用意する必要がある。
具体化しようとすると困難は非常に多い。解雇規制の緩和は魅力的で、新しく日本に参入する外資系企業にとっては自国の流儀が多く通用するということで採用するかもしれないが、いわゆる「日本的雇用」の根本を異にするので反発も多いだろう。どちらがより高い生産性を挙げることができるかは制度間競争で試すことになるが、同一労働の基準や産業別の合意を図るための労使協議の基盤形成では、最初の段階で多くの企業が採用するに至らないと、基本的な部分が確立できないことになる。行政や司法が代わりの役割を一時的にでも果たすことができるかは不明である。
簡単な思いつきから色々と考えを進めていってしまった。こういう場合、難題にぶつかっておじゃんになるのが常で、今回もそういう感じになってしまっているのだが(mixiで友人向けに議論提起してみたほうがよかったかも)、偶々これを読んでくれた方が鮮やかな発想で何か新しいものを生んでくれたらいいな、ということで記事をアップすることにした。
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今年の6月以降、Vocaloidの曲を多く紹介しているので印象が異なっているかもしれないが、いつもはJ-POPを聴く。中でもm-floは好きで、過去ログ検索したら音楽カテゴリの最初の記事だった。m-floは高校時代から音楽ランキングで目にしてカッコイイ曲だなーと思っていて、大学受験が終わってTSUTAYAのカード作って、最初に借りてみてクオリティの高さにドップリ浸かったという出会いである。期末試験の日はMDウォークマンで聴いて気分を落ち着かせていた。
Lovesのプロジェクトが終わって、ここ最近は目だった活動を聞かずにいたのだが、今年はデビュー10周年らしく、秋から本格活動再開らしい。そして驚くことに、YouTubeで公式にこれまでの曲が60曲以上映像つきで公開されていて、自由に聴くことができる。これからの活動に際して認知度を再び上げるために使ったほうがプラスと判断したのだろう。m-floはリリース年より10年後の世界観でアルバムを作っていて、「10年先の音楽をやっている」という自負なのだろうと理解しているのだが、あまり馴染みがない方は聴いてみて本当に10年先だったか試してみてほしい。
http://www.youtube.com/user/mflo10yrs
10周年公式チャンネル。
http://www.youtube.com/view_play_list?p=05C9658E1B882ECB
LISA脱退前の曲をまとめた再生リスト。come againが代表曲だが、自分はHandsを一押ししたい。淡々と刻まれるリズムに静から動、そして山が来て消えていく。好きな曲ランキング作ったら1位に来る。上に貼り付けてみたので聴いてみて欲しい。
http://www.youtube.com/view_play_list?p=3AE43ADEC5FAAC8B
LISA脱退後、色々なアーティストと曲ごとにコラボしたLoves時代の再生リスト。曲でいうと、miss you、Summer Time Loveあたりが特におすすめ。この時代のオリジナルアルバムは「BEAT SPACE NINE」が全体のまとまりが上手に取れていて最初から最後まで一気に聴くのに適している。
【参考リンク1】Wikipediaのm-floのページ
【参考リンク2】BEAT SPACE NINE(amazon)※非アフィリエイト
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