順風ESSAYS

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美術鑑賞2010

2010年01月26日 | 紹介


概要作者ホームページ昨年の感想

今年も行く予定で、案内が来たので作品についてちょっと考えてみた。作品のタイトルは「適応」である。適応というのは自己を周囲の環境に合わせていくことを言うので、左から、<内に秘めた自己>―<外に出す自己>―<外の環境>という構図に分けることができるだろう。それぞれの領域について検討してみよう。なお、あくまで私自身の勝手な感想である。


内に秘めた自己の領域

内に秘めた自己は、適応前の状態で、「本当の自分」とよく表現されるものだ。他者との関係性から抑えつけている部分を除外して、内から湧き上がる欲求を中心とする。理性の象徴である頭がなく、「すべき」と抑えつける声がない状態と見ることができる。これは若者が自分探しをして見つけ出そうとするくらいであるから、希望に満ちたものであってよいはずだが、そのような印象は受けない。生命力に溢れる活発さはなく、一人が手に持っている地球が崩れかけているようにも見える。また、本当の自分の場所に一人ではなく複数の人がいることも注目できる。

本当の自分は他者との関係性を除外すると出てくると述べたが、他者と完全に隔絶した自分というものが成り立ちうるのか、という疑問がある。私はピアノを弾くが、何かしら聴き手というのを想定している。聴いている人が現実にいなくても、外で飛ぶ鳥や霊的なものを想定して、それに聴かせようと思っていることが多い。完全な孤立状態で強い欲求が湧き上がるだろうか。そこでは自分の世界を構築することはできず、ボロボロ崩れていってしまう。自分の世界を作り上げるには、それを見守る他者が必要である。損得勘定で計算する頭はなく、打算では動かない者でなくてはならない。本当の自分の中には、心から理解し見守ってくれる存在が泰然と立っている。

そうすると、破片となって崩れて行っているように見える地球が、反対に、地面から力を吸い上げて形を作っていく様子にも見えるようになる。自分の世界は崩れていくのか、それとも作られていくのか、どちらであろう。内に秘めた自己の強さが問われているように感じる。


外の環境の領域

ここに立っている者には頭がある。利害関係の損得勘定をし、それで動く。また、その頭は先端が尖っており、少し前に傾けられている。「我々から逸脱したら攻撃してやる!」そんな声が聞こえそうだ。一番奥にいる者は適応例としてあるべき姿を提示する。「本を読んで真面目に頑張るんだ!」というメッセージだろうか。

しかし、この本の開き具合をみると、開いている人には本の中身は読めないであろう。フリだけである。馬鹿にされないために、あるいは知的と思われたいがために本を手に取る。中身を自分のものとして消化できたかなんて関係ない。ショーペンハウエルは読書は物事を他人に考えてもらう行為だと言う。他人の考えも知らなければ自分の世界を構築することはできないが、自分の世界を構築する行為のほうが目的で、読書はその手段となるべきである。適応例には倒錯があるように見える。


外に出す自己

このような内に秘めた自己と外の環境に挟まれて、外に出す自己としてはどのように振舞っているのだろうか。姿勢としては、環境の側を向いている。「適応しなければならない!」と頭がついて理性が命令するからだろうか。身体を引っ張るように、右側の人たちより頭がより前に出ている。外の環境に背を向けて、内面に閉じこもってしまうよりかは、望ましい状態だろう。

足元には破片が落ちている。適応の過程ですり減らした精神のカケラであろうか。しかし、内面の消耗は左側の地球の崩れで見るべきであろう。地球は下側が崩れている一方、身体には崩れた部分がない。適応の過程で身が削られるほどにはなっていなさそうだ。ここで注目できるのは、頭が丸くはなく尖っていることである。自己も他人を攻撃できるのである。自己の内面を守るために攻撃し、その際に出た相手の身のカケラとも言えるだろう。自分の世界は崩れつつあるか、まだ形成途上である。内に秘めた自己が確固としていない、その不全感が攻撃性を助長する。無用な攻撃性を抑えるのは、新たな攻撃性ではなく、自己の充足である。充足されない者どうし攻撃しあうのは終わりにしたいものだ。丸い頭をもち、まっすぐに立てるようになるのが理想の適応のあり方であろう。

~~

個展では、この絵が部屋一杯に立体化されていて、作品世界の中に身を置くことができる。訪問してからまた何か感じることがあれば書き留めておきたい。

東京:2月15日~20日
福岡:3月13日~22日


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