先日、NHKBS1の世界のドキュメンタリー「プロパンガンダ嘘を売る技術」を視聴した。その中で、人々は望んでいるものを見たいがためにあえて事実から目を背ける、という話があった。最近の世界的な情勢としては、グローバリズム等による格差の拡大がある。アメリカでは若者を中心に社会民主主義が隆盛となっているようであるが、日本ではそういう動きは全くみられない。他方、政治の公正さは両国を通じて目を背けられる傾向があるようにみえる。個人的には、自国の衰退への不安感やこれを受け止めることへの嫌悪感が政治の公正さへの軽視をもたらす心情として大きいように思う。まだまだ強いんだ、凄いんだという物語を与えてくれるのであれば、他のことはどうでもいいという感じである。上から下へのパイを分ける再分配政策は、まだまだ全体の経済力に自信のあるアメリカでは大きな支持勢力が生まれるが、全体の経済力に自信もない日本ではパイが小さくなることへの不安感が勝る。リベラル側は、長期的・継続的にパイを維持し増やすために必要なことを具体的に示し、人々に物語を提示することがポイントであるように思う。
晩秋となり、様々なスポーツが佳境を迎えている。クイーンズ駅伝では、1区でまだ10代のルーキーである廣中選手が圧倒的な走りをみせたのに心打たれた。最初から先頭を引っ張り、そのまま加速して後ろをどんどん置いていき、区間新記録でタスキをつないだ。ボクシングの井上選手の試合のように、実力伯仲の死闘も魅力があるが、実力で勝り、当日の戦略や下準備もきちんとして、勝つべくして勝つ姿も非常に惹かれる。プロ野球の日本シリーズでも、ソフトバンクが戦力が上回るだけでなく、きちんと相手打線を研究して抑え込んで4連勝で優勝した。フィギュアスケートの羽生選手はNHK杯で優勝し、何年も継続しているのは本当にすごい。勝負に臨むとき、目指すところはこの勝つべくして勝つ領域であるが、それでも実力や戦略で圧倒できない場合、勝敗の機微はどう転ぶかわからない。そのとき、後で結果にあれこれ固執するのはあまり意味がないであろう。昨年だったか、漫才グランプリで審査員に不満が上がって問題となったが、誰もが認める圧倒的なものを出せなかったのであれば仕方がないと割り切るのがよいと思う。上位陣では結局、その場で何位であってもその後長く活躍できるかは他のところで決まっているようにみえる。そして、小さな機微のところで勝利を得た場合でも、謙虚に受け止める姿勢が大事だろう。