「世の中、下らない人間ばかり」と思っている人は少なからずいると思う。法学部だと、「司法試験や公務員試験に役立つかどうかしか考えず、高等教育を受けるに値しない人ばかり」なんて考えに至るかもしれない。でもちょっと待って、考えてみよう。そう結論付けるまでに自分が何をしたのか、を。
「英雄偉人といえども、召使の眼から見ればタダの人」という言葉がある。当たり前だ。タダの人である召使から見るから、タダの人でない人間までタダの人になってしまうのである。―――これは、塩野七生氏の著作の一節に登場する文章である。下らないと見えてしまうのは、見る眼が曇ってしまっていて、本質を理解していないからかもしれない。
自分の眼に映る人は、いくつかの選抜を乗り越え、数十年にわたり自分とは違う経験をし、言葉で表現できないかもしれないが一定の人生観や社会観を持っているものだ。自分が全てにおいて他人より先回りしていることは有り得ない。交流の中で引き出せていないだけではないだろうか。ある事項に思考力を使わないのは、別の人生のテーマや関心事があり、労力をかけたくないからかもしれない。普段の会話で試験以外のことを持ち出す機会がないだけで、その実大きなテーマに取り組んでいるのかもしれない。
自分の周囲にいる人は、きっと自分にはない輝く部分があるに違いない。輝く部分をみつける努力をしよう。こう思うことは、外に向かう好奇心を駆り立てる。積極的に振舞えるなら色々と話してみよう。シャイな性格なら注意深く観察してみよう。下らない世界に生きていると思うより、毎日が少し楽しくなるはずだ。
しかし男性の場合、本質的にある「競争心」が眼を曇らせ、無下に他人を見下す感情を起こしてしまうように思う。自分とは違った人生観に従って行動する人を見ると、自分の人生観が挑戦を受けたように感じ、揺らいでしまう。それに対する防衛として、端から下らないと言い聞かせて深い関わりを持たないようにする。これは生活のバランスをとるためにはある程度必要なことだが、行き過ぎると社会不信になってしまう。今のところ、これに対する処方箋は、「競争心」の仮面を脱ぐ相手である恋人に精神的な拠所を得ることしかないように思っている。
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「英雄偉人といえども、召使の眼から見ればタダの人」という言葉がある。当たり前だ。タダの人である召使から見るから、タダの人でない人間までタダの人になってしまうのである。―――これは、塩野七生氏の著作の一節に登場する文章である。下らないと見えてしまうのは、見る眼が曇ってしまっていて、本質を理解していないからかもしれない。
自分の眼に映る人は、いくつかの選抜を乗り越え、数十年にわたり自分とは違う経験をし、言葉で表現できないかもしれないが一定の人生観や社会観を持っているものだ。自分が全てにおいて他人より先回りしていることは有り得ない。交流の中で引き出せていないだけではないだろうか。ある事項に思考力を使わないのは、別の人生のテーマや関心事があり、労力をかけたくないからかもしれない。普段の会話で試験以外のことを持ち出す機会がないだけで、その実大きなテーマに取り組んでいるのかもしれない。
自分の周囲にいる人は、きっと自分にはない輝く部分があるに違いない。輝く部分をみつける努力をしよう。こう思うことは、外に向かう好奇心を駆り立てる。積極的に振舞えるなら色々と話してみよう。シャイな性格なら注意深く観察してみよう。下らない世界に生きていると思うより、毎日が少し楽しくなるはずだ。
しかし男性の場合、本質的にある「競争心」が眼を曇らせ、無下に他人を見下す感情を起こしてしまうように思う。自分とは違った人生観に従って行動する人を見ると、自分の人生観が挑戦を受けたように感じ、揺らいでしまう。それに対する防衛として、端から下らないと言い聞かせて深い関わりを持たないようにする。これは生活のバランスをとるためにはある程度必要なことだが、行き過ぎると社会不信になってしまう。今のところ、これに対する処方箋は、「競争心」の仮面を脱ぐ相手である恋人に精神的な拠所を得ることしかないように思っている。
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