私が学生の頃は、吃音があって、喋ることに自信がなく、文章を磨く意識が強かった。文章もだめだったら無理という強迫的な感じでもあった。時が過ぎ、今は吃音はほとんどなくなり、仕事ではどちらかといえば話でまとめることが得意で、文章を書くのに苦労を感じるようになっている。ブログや小説も書くのに苦労するようになっている。また、私はパワー系ではないが、持久力的な面でタフだという自己意識を持ってやってきた。時は過ぎ、今はどうしてこんなに持たないんだろうという感じで身体がしんどい。文章も改めて書き方を整理し、身体はきちんとメンテナンスをすればよくなるはずだと思うので色々な面を見直していきたい。
Youtube自体はよく見るが、音楽やスポーツ(DAZNのハイライト)などが主で、Youtuber系の動画はほとんど見たことがなかった。先日ふと関連動画で目に留まり、おこぷれ、ヴァンゆんなど色々と巡ってみると、受けるのもわかる感じがした。私が学生の頃はニコニコ動画全盛で、そこでは、歌や踊りなど技能・スキルが求められ、サブカル系で実生活から隠れた楽しみという雰囲気があったように思う。今のYoutubeは顔出し当然でオープンな雰囲気で、内容も友達同士の日常的な遊びの延長という感じで、敷居が低くなったと感じた。また、ふとネットラジオ系のspoonというアプリを入れてみた。spoonは昔と同じような隠れた日常感があるが、当時からあるねとらじと較べると、少額だが配信者にお金が入る仕組みが洗練されていると感じる。テキスト・イラスト系もnote.muが記事から直接お金が入る仕組みを備えていて、かなり流行っている。学生が終わり、家族ができても、実生活とは別に日常の延長的なつながりを感じる場が欲しいと思うものである。流行るサイトは移り変わるとしても、これからも同種のサービスは続いていくだろう。
今回の台風はすごかった。心なしかここ数日頭痛など調子が悪く、気圧の影響を受けていたかもしれない。私は多摩川の近くで育ち、故郷を懐かしむときも河川敷の景色がまず出てくるような感じである。河川敷のグラウンドが呑まれるくらいはよくあることだが、避難勧告等が出されるのは生まれて初めてのことで、我が身のことのように心配であった。昨日はずっと自宅で動かず、テレビはつけっぱなし、ヤフーのリアルタイム検索で河川の状況等の写真を辿っていた。同じ氾濫でも、千曲川のように破堤の場合は続々と水が流れ込むので甚大な被害になり、心が痛む。今もスポーツの試合やテレビ番組が通常に戻っていることに違和感がある。
Twitterは情報収集によいが、その後の議論には党派的な偏見から決めつけるようなものが多くて向いていないと感じた。河川法によれば指定区間以外の一級河川は国交大臣、一級河川の指定区間と二級河川が都道府県知事が管理者で、多摩川や千曲川のような大河川は国交大臣である。河川整備基本方針を策定し、河川整備計画や河川維持管理計画を定めることとなっており、計画流量や整備の状況等がわかる。このような基本的な情報を読解してから物事を考えるのがよいだろう。