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順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

「順風ESSAYS」にようこそ

法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
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魔力

2007年04月24日 | 日記
ここ数日は予習で忙しいのだが、心配事があって集中できない。そんな中、ふと書店に足を運び、偶々みかけた新書に惹かれた。買ってしまった。絵画は一番疎い分野だが、読んでみて、魔力があると感じた。好きな人が多いのも頷ける。帰って少し調べてみた。

フェルメールの作品 - Wikipedia

こんなページがあったなんて。有名な「真珠の耳飾りの少女」は一番好きな絵だ。他には「天文学者」「地理学者」が気に入っている。各々の絵を画像ファイルとして入手できる。さっそく壁紙にした。画像で見ると本で見るときより明るさが違ったりしていて印象が違う。「真珠の首飾りの女」は「嬉しそう」という本の説明には当初首をひねったが、画像でみると納得した。

そういえば、小沢健二のアルバム「eclectic」の第1曲目に「ギターを弾く女」があるが、同名のフェルメールの作品をモチーフにしているのではないか。歌詞に「栗色の髪の毛をのばして」とあり、この絵に通じるものがある。

ああ、長々と世間話をしたい。やはり魔力を持つものとしてこれに勝るものはない。
 
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都知事選について

2007年04月18日 | 時事
今更だが、都知事選について書くことにする。今回の選挙権行使では、投票した候補者が当選しなかったという初めての経験をした。予想以上の大差がついて現職が勝ったので驚いている。私が投票する候補者を決めた経緯は、次の通りである。

現職の仕事ついて第一に指摘したいのは、新銀行東京の失敗である。日経BPのコラムを読む限りでは、都知事が政治的判断を優先させて「明らかに成功するはずもない」かたちで業務をスタートさせている。責任を問われて然るべきだろう。集団的意思決定ではベストな選択をもたらす可能性は小さいが、最悪の結果をもたらす可能性も小さくなる。リーダーシップが強すぎると、このような明らかな失敗を犯すリスクが上がる。現在は景気も上向いてきて、強いリーダーシップが必要な危機的状況ではない。

第二に、オリンピック招致決定がある。週刊誌で「国のお金で再開発を行うための口実」であって、もともと招致する気はない、との指摘があった。しかし、再開発自体必要かどうか、それもオリンピックを想定したかたちで行うことには疑問がある。お金の出所がどこであれ、不必要なことはしなくていいだろう。

第三には、教育現場の混乱である。私自身は国旗国歌については特にポリシーなど持たず、会社や家族といった中間団体の求心力がなくなって帰属意識を国に求めたい、中国・韓国の情報が入るようになり日本という意識が高まっている、といった風潮は理解できる。しかし事実上の強制が行われていることに対しては法学徒として憤りを感じるし、何より、かける労力がもったいない。

最後に、記者会見場まで歩いている都知事の姿がテレビに映ったとき、トボトボと歩いていて、年齢的な限界を感じさせられた。元気よく話している限りはわからないが、74歳という高齢はやはり問題だろう。

以上のような事情から現職には投票しないことにした。となると、現実的な候補者は一人だけである。他県の知事の経験があり、最低限の仕事はきっちりやってくれるだろうと期待した。彼は選挙後、新聞で「危機を感じているのは都民全体ではなかった」として戦略の失敗を悔やんでいた。しかし戦略が当ったとしても結果は覆せなかっただろう。

先に行われた宮崎県知事選の結果が「政党」が嫌われたからだと解釈されて、今回の選挙は政党と候補者の関係が終始中途半端であった。しかし、東京都は実際汚職事件が問題になったわけではなく、地方のどこかで知事がやめたなんて都民にとって完全な関心外であり、政党嫌いを過大視する必要はなかったように思う。私としては、民主党公認で海江田万里氏に立候補してほしかった。
 
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なんとなく感じたこと

2007年04月03日 | 時事
旅行で空けていたため世間の情勢に疎い最近ですが、もう見たくもないニュースに慰安婦問題があります。私が知る限りでは日本は欧米メディアから(あまり根拠のない)集中砲火を食らっているようです。一時のセンセーションに真実が覆い隠されている感じがします。また、「なぜ今さら慰安婦?」みたいな感じもします。

これには政治的な背景があるように思います。北朝鮮と関わりたくないアメリカは消極的な対北政策を採っています。しかし一方で日本と「拉致問題が解決しなければ和解しない」との約束を結んでいます。ここで慰安婦問題で騒がして、拉致問題にこだわる日本に否定的な世論を作ればアメリカは当初の思惑を実現しやすくなります。実際、拉致と慰安婦を結びつけて「日本は二枚舌」などと批判する記事も出ているようです。

ここでどうするべきか、拉致で譲歩する引き換えに慰安婦問題について米政府に一定の理解を得る(「安倍首相は慰安婦問題の全てを否定したわけではないし、軍による強制の証拠について客観的にみて疑問があることは確か」とのコメントを出してもらう)、真実を主張し続けるか、ただそのままにしておくか。
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