バレエなるものを観にいったので記憶が新しいうちに感想を書くことにする。
公演の基本的な情報は→ ttp://blog.livedoor.jp/masamifc/archives/1417699.html
1.コンチェルト
ショスタコービッチ作曲ピアノ協奏曲第2番に振付が加えられたもの。特に明確なストーリーはつけられていない、抽象的な作品である。この公演独自の美術だろうか、大きな部屋の中という場面が与えられている。部屋には大きな窓が配置してあり、青い海や空を思わせる印象派的な光景が奥に広がっている。説明では窓の外についてnaturalistic world(自然界)を意識しているとのことだ。このような示唆に加えて、ダンサーたちの衣装が色調を様々に変えた青で統一されているのを見ていて、各楽章について次のようなストーリーが思い浮かんできた。
第1楽章(楽曲を聴く→YouTube)
賑やかなお昼の海、魚たちが軽快に波と戯れている。
第2楽章(楽曲を聴く→YouTube)
静かな夜の海、月の光が水面に映り、揺れている。
第3楽章(楽曲を聴く→YouTube)
翌朝、気の早い魚が戯れ始める。他の魚も加わってくる。
しかし波が激しくなっていく。翻弄されていく魚たち。波と魚が見分けがつかなくなっていく。
最初ダンサーたちが手を大きく広げ羽ばたくような仕草をするので空に舞う鳥と風と見立てることができそうだったが、全体的な「動」と「静」の配分として風というイメージよりも海の動きに近く、群舞の手の動きも波を思わせるものだったので、魚と波(海面)というイメージと見立てた次第である。休憩時間に近くにいた人が波を想起したと話していて、同様の印象を受けたようだった。
第1楽章と第3楽章の前半はソリスト=魚、群舞=波と位置づけられる感じであったが、第2楽章は水面そのものという印象を受けた。夜の静かな海に生き物は似合わない。ソロと群舞の動きも同じものが多かったというのもある。月が海面に映り、水の動きにあわせて揺れる光景と重なった。ソロの男女がこの部分を表現し、衣装の青野濃淡が異なっているために、明るさの違う部分で恋模様が描かれているようにも感じた。
「月明かり 恋紡がれる 水面(みなも)かな」なんてね。
第3楽章は一足先に魚が遊び始めるようなソリストの踊りから始まるが、まもなく音の厚みが増し、多くのダンサーが登場してくる。息をつく間もなく次から次へとフレーズが現れ、踊りも間断なく続いていく。もうここでは、どれが波でどれが魚かなんて見立てる余裕もない。全体がひとつのまとまりとして、圧倒的な存在感を発したまま終わる。
ここで、作品のテーマとして「自然界の秩序」というものが浮かんできた。自然界は原理は物理法則であるが、あまりに複雑で幾何学のように整然としたものではない。波の色も高さもひとつとして同じものはない。また、自然の動きは豪快でそこにいる生物の死を厭うこともしない。生も死も愛も恨みも悲喜劇も全て飲み込んでくる。
プロのハイレベルな踊りであってもよくよく見れば個々人の差異がある。波を表現する手の動きも、高さやタイミングはほんの少し異なる。この違いこそが自然なのである。そして、そんな細かい「粗探し」もできなくなるような勢いで圧倒されて終わるのである。
また、窓には大きな間仕切りがあり、舞台が部屋の中という人間の空間であるとはっきりとしている。それでも、その人間の空間においても、同じものが繰り広げられている。人間も自然の一部になるときがある、ということを意識させられる。同化の感覚。これは、先日の屋久島旅行で同様のことを感じたから、だけかもしれないけれど。
2.チェックメイト
チェスを題材にした作品。作品が成立した1930年代後半のイギリスとドイツを想起すれば話の展開を整理できそうである。
「赤」はイギリス。キングは老齢・虚弱で判断の思い切りがない。クイーンは宥和をしようとするがあえなく失敗してご退場。ナイトは命令を受けたわけでもなく自発的に守りに奮闘。相手のクイーンを追い詰めるもキングが慈悲をかけようと止め、その間にやられる。ナイトの死にも悠長に荘厳な葬式をする。残ったのはキング一人。
「黒」はドイツ。キングがいない(君主が退いた時代)。ビショップもいない(ナチス下、キリスト教の影響力低下の時代)。統率はクイーンが行う。自ら剣を持ち、ナイトにビシビシ命令する。トップダウン。組織的で統率がとれている。相手の善意の行動には全て裏切る。圧倒的勝利を収める。
イギリスの作品でありながらイギリスが負ける結末になっている。このままではやばいよ!という時代の雰囲気だったのだろう。「赤」に救いはない。神様が見ていてバチが当たる、因果応報を主体とする日本人の宗教観からは納得がいかないかもしれない。
これに加え、個人的な視点として、日本の将棋と比較してどうかな、なんてことも思いながら鑑賞してみた。まず最初に指摘できることは、将棋にはクイーンのような女性がいないということだ。基本的に男性のみの編隊が想定されているだろう。愛の物語を描くのは難しそうである。脱線するが、将棋の駒を二次元美少女/美男子擬人化すれば当たると個人的に思っている。アイデアに著作権はないので誰か試してみてね。
次は、駒は自己判断ではなく王の命令で動くが、やられても相手に寝返ってまた登場することが指摘できる。駒のぶつかり合いは生死をかけた殺し合いというより、生け捕りに近いものがあるだろう。命をかけているのは王だけ、実に牧歌的だ。駒は命令に忠実に従うけれども、自分の意思というよりやらされている感で、相手側に身柄が渡ればそこでまた同じように振舞う、という感じだろうか。なんとなく坂口安吾「続堕落論」を思い出した。
こうしてチェスと将棋のルール等から文化の違いを見出そうとすると、他にも色々と考えられるだろう。日本的な話の筋として、善と悪の陣に分けることはなく、角や飛車といった大駒を歩の集団が打ち負かしたり、劣勢を覆して勝利とか、そういう感じになるだろう。文化の対照を意識した作品ができたら面白いな、なんて思った。
3.パキータ
パキータは古典作品で、これぞクラシックという感じの演目だ。20世紀の比較的新しい抽象的作品・ストーリー物の作品と続け、そして最後に古典を持ってくることで、バレエの様々な可能性を提示しているように見える。古典モノで特にストーリーや意味づけを詮索したりはしなかった。純粋に舞台を見るというのも大切だ。
幕が開いてまず目を引くのが衣装と舞台美術の豪華さである。"gorgeous"と"noble"は当然には両立しない。両方を感じさせるために色使いや形の工夫がたくさんなされたんだろうなあ、と思った。踊りは、ソリストの方たちの音との合わせ方が見事であったし、主役の二人は立ち姿のプロポーションからまず完成されていて、手も長く、技術的にも素晴らしいと感じた。特に男性が舞台を大きく回りながら一周するところで、ひとつのサイクルごとに途切れを感じさせることなく、流れるように回っていったところに思わず唸った。
ということで、自己流っぽいけれど、とてもよく楽しめました。
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公演の基本的な情報は→ ttp://blog.livedoor.jp/masamifc/archives/1417699.html
1.コンチェルト
ショスタコービッチ作曲ピアノ協奏曲第2番に振付が加えられたもの。特に明確なストーリーはつけられていない、抽象的な作品である。この公演独自の美術だろうか、大きな部屋の中という場面が与えられている。部屋には大きな窓が配置してあり、青い海や空を思わせる印象派的な光景が奥に広がっている。説明では窓の外についてnaturalistic world(自然界)を意識しているとのことだ。このような示唆に加えて、ダンサーたちの衣装が色調を様々に変えた青で統一されているのを見ていて、各楽章について次のようなストーリーが思い浮かんできた。
第1楽章(楽曲を聴く→YouTube)
賑やかなお昼の海、魚たちが軽快に波と戯れている。
第2楽章(楽曲を聴く→YouTube)
静かな夜の海、月の光が水面に映り、揺れている。
第3楽章(楽曲を聴く→YouTube)
翌朝、気の早い魚が戯れ始める。他の魚も加わってくる。
しかし波が激しくなっていく。翻弄されていく魚たち。波と魚が見分けがつかなくなっていく。
最初ダンサーたちが手を大きく広げ羽ばたくような仕草をするので空に舞う鳥と風と見立てることができそうだったが、全体的な「動」と「静」の配分として風というイメージよりも海の動きに近く、群舞の手の動きも波を思わせるものだったので、魚と波(海面)というイメージと見立てた次第である。休憩時間に近くにいた人が波を想起したと話していて、同様の印象を受けたようだった。
第1楽章と第3楽章の前半はソリスト=魚、群舞=波と位置づけられる感じであったが、第2楽章は水面そのものという印象を受けた。夜の静かな海に生き物は似合わない。ソロと群舞の動きも同じものが多かったというのもある。月が海面に映り、水の動きにあわせて揺れる光景と重なった。ソロの男女がこの部分を表現し、衣装の青野濃淡が異なっているために、明るさの違う部分で恋模様が描かれているようにも感じた。
「月明かり 恋紡がれる 水面(みなも)かな」なんてね。
第3楽章は一足先に魚が遊び始めるようなソリストの踊りから始まるが、まもなく音の厚みが増し、多くのダンサーが登場してくる。息をつく間もなく次から次へとフレーズが現れ、踊りも間断なく続いていく。もうここでは、どれが波でどれが魚かなんて見立てる余裕もない。全体がひとつのまとまりとして、圧倒的な存在感を発したまま終わる。
ここで、作品のテーマとして「自然界の秩序」というものが浮かんできた。自然界は原理は物理法則であるが、あまりに複雑で幾何学のように整然としたものではない。波の色も高さもひとつとして同じものはない。また、自然の動きは豪快でそこにいる生物の死を厭うこともしない。生も死も愛も恨みも悲喜劇も全て飲み込んでくる。
プロのハイレベルな踊りであってもよくよく見れば個々人の差異がある。波を表現する手の動きも、高さやタイミングはほんの少し異なる。この違いこそが自然なのである。そして、そんな細かい「粗探し」もできなくなるような勢いで圧倒されて終わるのである。
また、窓には大きな間仕切りがあり、舞台が部屋の中という人間の空間であるとはっきりとしている。それでも、その人間の空間においても、同じものが繰り広げられている。人間も自然の一部になるときがある、ということを意識させられる。同化の感覚。これは、先日の屋久島旅行で同様のことを感じたから、だけかもしれないけれど。
2.チェックメイト
チェスを題材にした作品。作品が成立した1930年代後半のイギリスとドイツを想起すれば話の展開を整理できそうである。
「赤」はイギリス。キングは老齢・虚弱で判断の思い切りがない。クイーンは宥和をしようとするがあえなく失敗してご退場。ナイトは命令を受けたわけでもなく自発的に守りに奮闘。相手のクイーンを追い詰めるもキングが慈悲をかけようと止め、その間にやられる。ナイトの死にも悠長に荘厳な葬式をする。残ったのはキング一人。
「黒」はドイツ。キングがいない(君主が退いた時代)。ビショップもいない(ナチス下、キリスト教の影響力低下の時代)。統率はクイーンが行う。自ら剣を持ち、ナイトにビシビシ命令する。トップダウン。組織的で統率がとれている。相手の善意の行動には全て裏切る。圧倒的勝利を収める。
イギリスの作品でありながらイギリスが負ける結末になっている。このままではやばいよ!という時代の雰囲気だったのだろう。「赤」に救いはない。神様が見ていてバチが当たる、因果応報を主体とする日本人の宗教観からは納得がいかないかもしれない。
これに加え、個人的な視点として、日本の将棋と比較してどうかな、なんてことも思いながら鑑賞してみた。まず最初に指摘できることは、将棋にはクイーンのような女性がいないということだ。基本的に男性のみの編隊が想定されているだろう。愛の物語を描くのは難しそうである。脱線するが、将棋の駒を二次元美少女/美男子擬人化すれば当たると個人的に思っている。アイデアに著作権はないので誰か試してみてね。
次は、駒は自己判断ではなく王の命令で動くが、やられても相手に寝返ってまた登場することが指摘できる。駒のぶつかり合いは生死をかけた殺し合いというより、生け捕りに近いものがあるだろう。命をかけているのは王だけ、実に牧歌的だ。駒は命令に忠実に従うけれども、自分の意思というよりやらされている感で、相手側に身柄が渡ればそこでまた同じように振舞う、という感じだろうか。なんとなく坂口安吾「続堕落論」を思い出した。
こうしてチェスと将棋のルール等から文化の違いを見出そうとすると、他にも色々と考えられるだろう。日本的な話の筋として、善と悪の陣に分けることはなく、角や飛車といった大駒を歩の集団が打ち負かしたり、劣勢を覆して勝利とか、そういう感じになるだろう。文化の対照を意識した作品ができたら面白いな、なんて思った。
3.パキータ
パキータは古典作品で、これぞクラシックという感じの演目だ。20世紀の比較的新しい抽象的作品・ストーリー物の作品と続け、そして最後に古典を持ってくることで、バレエの様々な可能性を提示しているように見える。古典モノで特にストーリーや意味づけを詮索したりはしなかった。純粋に舞台を見るというのも大切だ。
幕が開いてまず目を引くのが衣装と舞台美術の豪華さである。"gorgeous"と"noble"は当然には両立しない。両方を感じさせるために色使いや形の工夫がたくさんなされたんだろうなあ、と思った。踊りは、ソリストの方たちの音との合わせ方が見事であったし、主役の二人は立ち姿のプロポーションからまず完成されていて、手も長く、技術的にも素晴らしいと感じた。特に男性が舞台を大きく回りながら一周するところで、ひとつのサイクルごとに途切れを感じさせることなく、流れるように回っていったところに思わず唸った。
ということで、自己流っぽいけれど、とてもよく楽しめました。
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twitterを始めて2ヶ月半くらいが経った。最初はgooやmixiとの使い分けとか色々考えていたけれど、まあ好きなようにつぶやくことにした。ちょっとここにきてログを整理したくなったので、後で自分で参照したいものなどをピックアップしてまとめてみた。読みやすいようにひとつおきに青字にしている。こういうツイートを読みたいという方はフォローしてね(twitterのアカウントはこちら)!
A.生活・人生
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A.生活・人生
- 出し惜しみをするのは、今後よりよいものが沸いてくる自信がないから。まだ守りに入るときじゃない
- 「あきらめたらそこで試合終了だよ」と言うよりも、次の試合を用意してあげたほうが本人のためになる場合もあるだろう。
- 働いたら負けだって?負けなのは「働かされる」ことだ。君は本当の「働く」を見ていないんだ。
- 自分が努力をしたということが、他人をけなしたり見下したりする要素となってはいけない。/他者には努力から学んだことを伝え、自分は次のステップに行く。次のステップにいけなくなった人が努力をひけらかす。
- 個性とは花束だ。ひとつひとつ抜き出してイケてるか考えるからいけないのだ。ほどほどのものを集めたものでも花束は美しい。そして他に同じものはないのである。
- 自分を隠す方法を磨いて受け入れられようとするか、自分を見せる方法を磨いて受け入れられようとするか。前者は自分の心の叫びからの忍耐力、後者は相手の拒絶からの忍耐力を要する。成功する確率は前者のほうが高いが、成功したときの喜びは後者のほうが圧倒的に高い。
- 自分勝手に生きることと社会的成功・支配を同時に得るのは難しいこと、他人より上であるよう虚勢を張らなくても生きていけること、社会がどうとか言う前に目の前の個人に対して真摯に接すること。
- 4つの「じんざい」という話を知った。人財、人材、人在、人罪の4つ。順に、価値をもたらす、役に立つ、いるだけ、害をもたらすという感じ。/人在―自然体、ありのままで認められているという感覚があってこそ人財になれるんじゃないのかな。基本的人権もこういう考えだよね。/AC理論で親の条件付の愛情が機能不全をもたらすというように、いきなり「人財」になろう・させようとすると、かえって「人罪」になる危険があるかもしれないね。
- 自分の感情を大切にしないと、自分に合う学部を選べなかったり転向できなかったり、将来設計ができなかったりして、地に足つかない状態で言うことだけは日本が社会がどうと大仰になる。/レールに乗ってるうちは感情を殺すほうが適応できるかもしれないが、外れたときに試される。
- 真面目「すぎる」ってのは規範意識に覆われてその人の本心が見えないってことだろう。感情や欲求が育っておらず、「やりたいことがない」という悩みも同時に抱えていることが多いように見える。/チップ文化ってのは面倒だけど、感情労働に対価が支払われていることがはっきりする点では、自分を見失いにくいだろうなあ。
- ○○行ってよかったな、いっそ住みたいなと言うと、いやいや行くのと住むのは違うみたいなネガティブな反応のまま終わるときあるよね。/よし、住む際に出てくる問題点とそれを乗り越える方法について考えてみよう、みたいな流れになったらいいけど、そういうポジティブな空気にはならない。/いま本気なわけじゃないけどさ、考えたことを知識として残すことができば多くの人のためになるし、いざ自分が本気のとき役立つし、話すだけでも何だか視野が広がる感じにならないかな。
- 「お酒飲める?」「飲めますよ。でも飲むと蕁麻疹が出たり体調が悪くなります。」「いやそれって飲めないってことだから。」「今までそれで飲み会中に迷惑かけたことはないので大丈夫ですよ。」「そういう問題じゃないから。飲んじゃだめ!」/情報を与え意思決定を相手に委ねることで自分の立場に立って考えてもらう方法
- 子どもの教育のノウハウは蓄積・共有されているけれど、大人が生き辛いと感じている場合に自己・周囲が解決のためにできるノウハウはあまり蓄積・共有されていないように見える。/仮に大人の問題解決方法が広まれば、「幼少の家庭環境のせい・学校のせい」ではなく、現在そこから立ち直ることができてない点が問題と認識されるのではないか。このほうが生産的な気がする。/こういうのは犯罪者の更正の場面で多くの経験が生まれているのだろうけど、一部の公務員の献身にまかせっきりで社会全体で共有できてないように見える。
- プライドの高い人が使いにくいというのは、プライドの高い人とうまくやる手法が確立、共有されていないという面があるかもしれない。/一応法学系でプライドの高い人たちの中でグループワークした経験から何か言えないかな。/鉄則は口で言うより態度で示す。割り振った課題の出来が期待したほどでないとき、「別の」課題で自分のやり方を見せる。中で作成過程にもさりげなく触れる。それがいいものだと相手は自発的に認めて取り入れてくれる。こいつのやり方も取り入れていいもの作ってやったぜ、とプライドも傷つかない。/自分のやり方を見せるとき、相手を圧倒してはいけない。いいものだけど、それくらいすぐ自分もできそう、というくらいに。圧倒してしまうと、興味をなくしてしまうおそれがある。/まわりくどいようだけど、自分の成長が相手を触発して自分にも返ってくる、お互い高め合うよいスパイラル。/皆がいる前で口で言うと根にもたれる。仕事を取り上げて自分がかわりにやると拗ねてしまう。口で言うときは一対一で美味しいものを食べながら。
- 自然界は殺されることに文句を言わない世界だ。人間社会はこれを修正する。個人の自己防衛コストを下げることで、文明が発達したと言えないか。
- 憲法は国民が進んで自由を放棄する場合に有効に機能しない気がする。国家が「それは私の仕事じゃない」と突っぱねる体系があってもいいかもしれない。
- 個人的に感じている傾向なんだけれど、ネットで男性か女性かわからないキャラ作りをしているのは女性が多い。男性は男性のままかハッキリ女性を演じる。人生経験上「性別にとらわれたくない」という意識を女性のほうが持ちやすいのかもしれない。
- 女の本性が~というのは感情優位なのに表向きはよい顔してないといけないことの裏返しだよね、ストレスたまって辛いよね、と言うと、女性も驚く。
- 胸のうち 冬のあなたを 包み容れ 辛さ分かたば 夏は来たらむ/冬のソナタ、パク・ヨンハ=朴 容夏、もうすぐ夏の今の季節、を意識して作ってみた。
- 本の謝辞で、配偶者と並んで姉ケ崎寧々や高嶺愛花の名前が出るようになったら、ラブプラスがホンモノになったなと思う。
- 録画したテレビ番組のCMは最初は邪魔だが数年後には懐かしくなり、やがては本編より楽しくなることもある
- A「燃えるような恋がしたい!」B「萌えるような恋がしたい!」C「燃えるゴミに出すような恋がしたい!」/Aは交際1ヶ月で結婚したが成田離婚し、Bは二次元の世界へと飛び立っていった。Cは伴侶とともに手紙と写真を燃えるゴミに出していた。そう、昔を懐かしがる暇もなく次から次へと幸せな時間が舞い込むのだ。思い出なんて不要、常に今が幸せ。ああ素晴らしき燃えるゴミに出すような恋。
- 「少年よ、大志を抱け。」その言葉の瞬間、最年少の大志君は自らの貞操の危機を感じ取った。/「トンネルを抜けるとそこは雪国だった。」少年は反論した。日本国じゃないのか、一地域が国を名乗るな、と。/少年は父親の視力の良さと人脈の広さを誇りに思った。飛行機の中から指をさして「あそこが白神さん家だよ」などと言うのである。誇りに思わないはずがない。
- 険悪・殺伐とした空気を打ち破る効果が最も高いのは、「Gが出る」ではないか。言い争いがきこえる満員電車。ここへ大量のGが放たれたらと想像するだけで愉快な気分になれる。創作において「大量のG」が殺伐とした空気を破る記号的な存在になったら面白い。/「すべてがGになる」-人間から嫌われるGたちがせめても役に立とうと結集し、険悪・殺伐とした場所にどこからともなく現れ、終いには人間たちの問題を解決してしまうというギャグマンガ。クライマックスは戦場へ全世界のGが集まり人間の戦争を止める。
- oikazewindって「追い風風」だ。Hokkaido prefectureみたいな感じ。/beforethewindが先に取られてるとき使う。YouTubeもはてなも。最近登録したサービスではだいたい先取りされてる。/追い風を英語でbefore the windと言うのって素敵。風の前にいるってこと。時流の先を行くって感じにもなる。/自分は時流を見極めようとしていて取り残されてるタイプなんだけどね。
- 良くない事態になったときの心構えばかりできていて、良い状態を獲得するための熱意や情熱が高まらない。
- 「この日記(ブログ)を全部読んでよ、と。それが私だからと。ラベルではなくて。」(ちきりんの日記から引用)/私も自分を理解してほしいと思うとき自分のブログのURLを伝える。ブログの内容は一言では言い表せられないものだけど、次に会ったとき何故だかスムーズな関係を作れる。/ブログでは別に内面をありのまま書いているわけではない。ただ自分が普段貼られるラベル(大学名とか)から解放されているので、自らラベルを調節した上で外向きに書く。これだけでも自分を理解してもらうのに十分なほど。
- 学部のゼミでロー生と合同の課題をしたとき、最高裁の憲法判断への反対論をロー生側が却下した(結局展開するのが正解だった)。自分がロー生になってその感覚を知る。ローで判例の深さを知り、学ぼうとする反面で反対論に消極的になる。実のある反対論を出せるようになるのはその次の段階。/学部生はその高みに達した学者の考えを中心に学ぶから、怖いもの知らずで判例にどんどん反対する。でもロー生と議論して十分に説得できない。/こうしてステップアップしていくんだ、途中で諦めず頑張ろう。
- スキャットマン聴いて思い出したけど、自分どもり癖あったんだよな。中学の頃から。視力検査で「右」「左」が言えないとか、大学の最初もサークル入って自分の名前が言えないとか。今はペラペラ喋ってて、そんな癖があったことすら普段忘れてる。/大学1・2年の頃とかもっと色んな活動してたくさんコミュれてたらとか思うけど、そう踏み出せなかった事情もあったんだなあ、と振り返る。/まあそのぶん学校の成績と文章力がついてきたので悪いことばかりではなかったか。そのときの境遇で何を伸ばせるか考えるのが大事。
- 自分は多読が苦手なのかも。多読を強いられる状況に対してストレス、逃避的になる気がする。人の話をきいてまとめて自分で考えるのは得意。講義中心の生活が精神に潤いをもたらしていた。あと、書くのも好き。
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先週、2泊3日で屋久島に行ってきました。そのときの出来事を書き留めたいと思います。一言で言えば、「海も!山も!川も楽しめる!温泉もある!」とよりどりみどりの楽しみがある場所でした。また行きたいです。
1日目―移動日・鹿児島はいいところ
(左・鹿児島と屋久島をつなぐ高速船/右・船から見えた夕日)
旅行の申込みが遅かったためか行きも帰りも待ち時間が長い今回の行程。それが幸いして途中の街もゆったりと見ることができました。お昼に鹿児島空港着、バスで鹿児島市内へ移動。鹿児島駅に観覧車がついているのに驚きました。鹿児島空港と鹿児島市内は結構距離があるのに、自動車でのアクセスしかできないみたいで、鉄道も通ったらいいのにな、なんて思いました。
屋久島行の高速船の発着所を確認して、鹿児島市内を散策。港のそばにドルフィンポートというショップが集まった場所があり、水場あり、景色よし、食べ物ありでいいところでした。若い人はここで桜島を眺めながらデートをして、家庭をもった後は子どもを水場で遊ばせるのでしょう。いいですね。ここで遅めの昼食をとりました。
その後中心街へ。途中で氷屋さんのカキ氷に行列ができていて、見慣れない光景に驚きました。路面電車が走り、道は広く、アーケードあり、様々なお店があるなど、半日かけてもいいくらい見る場所がたくさんありました。行きの空港で帽子を忘れてしまったので帽子屋さんで帽子を買いました。キャップばかり持っているのでハットにしてみましたが、帰って写真を見せたらキャップのほうが格好よかったと評判悪し。ハットはだめみたいです。
夕方前に高速船に乗りました。乗り心地はとてもよく、高速バスに乗っているかのようです。天気がよく波が立ってもいないという条件にも恵まれたのでしょう。途中種子島にも寄港し、窓越しに種子島の風景も見ることができました。屋久島に到着したときは日が落ちかけていました。全体的に天気はよかったけれど、島に着いてからはきれいな夕日・夕焼けを見ることはできませんでした。船から撮ったものはナイスタイミングでした。遠くに小さな漁船が見えて綺麗な光景でした。
宿は港から歩いてすぐの場所で、食事も設備もとても充実していていいところでした。この日の夕食はトビウオの姿焼きとさつま揚げがとても美味しかったです。思わずビールも注文。夜は、おみやげ屋さんが22時まで開いていて、利用しやすかったです。ここでなんとなく買ったSOYJOYが翌日非常に役に立ちました。近くにパチンコもあり、島の人たちの生活も感じることができました。
翌日は4時にガイドさんが迎えに来るということで早めに寝ることにしたのですが、何故か眠れません。大事なときに眠れないというのは私の人生上失敗の種として幾たびも降りかかっていて、思い出して携帯からネガティブなツイートをしたりもしていました。結局ほとんど眠れないまま時間になり、支度をすることになりました。
2日目―縄文杉登山・疲れた~
(左・縄文杉/右・トロッコ道に出てきたシカ)
さて、眠れず不安のうちに始まったメインイベント、縄文杉登山です。ガイドさんの車に乗り込み、他の宿から同行者を拾っていきます。今回のグループは催行上最大人数の7人で、男性は自分たちだけ、みんな登山経験は少ないという感じでした。車内では助手席に乗っていたのですが、夜が明けておらず暗いということもあり、車のスピードが怖いという感覚の中、バス停までたどり着きました。
バス停で宿から出された朝食用の弁当をたべます。待ってる中で太陽が昇ってきました(ついぴく)。バスには30分程度乗っているのですが、このうちに太陽はすっかり上がり、窓から海と種子島が綺麗に見えました。バスは背もたれにビニールが被せてあり、行きはこの理由がわからなかったのですが(早朝で準備が間に合わなかった!?なんて話していました)、帰りにわかりました。汗だくのシャツで乗り込むことになるからです!
さて、荒川登山口からスタートです。縄文杉までの道は、大別して3つに分かれます。(1)木道のないトロッコ道、(2)木道のあるトロッコ道、(3)山道です。このうち最も歩きやすいのは(2)で、シカがいる右の写真に写っている部分がそうです。ここは傾斜も厳しくなく、ハイキングのように歩くことができます。最初の(1)木道のないトロッコ道は、枕木が一定の間隔でない、砂利と枕木の段差がけっこうある、といった点で歩きにくいです。また、片側が崖だったり、手すりのない橋がかかっていたりと高いところが苦手な方にはちょっと辛い感じです。ここで早くもトレッキングシューズの有難さを実感。少々変な場所を歩いてもガシッと進むことができます。
途中で見た安房川の上流部分では、大きな岩がゴロゴロ転がっており、自然の大きさを感じさせられます。また、(1)と(2)の境目のところで「小学校跡」というものがあり、ここに昔集落があったことが解説されています。こんな山奥に定住している人が!と驚きました。しかし帰りでは、ああやっと小学校跡に着いたーこんな麓に近いところにあったのね!なんて逆の感想になります。道中はシカが何度も出てきます。シカは人間を全く警戒せず、黙々と食べ物を探しています。
トロッコ道が奥深くまで通っていることからもわかりますが、屋久島は「手付かずの自然」というより、人間の営みも自然の一部として育まれてきたところだと認識させられます。もっとも、話によると昔は共生というよりバシバシ切り開いていた感じらしいです。現在残っている有名な杉は、形が木材向きでないということで伐られるのを免れたものだそうです。実際、縄文杉の近くまで行っても、むかし人間が切った後の切り株を見ることができます。
ガイドさんからは、植物や動物についての知識、屋久島の成り立ちや歴史、もののけ姫の題材となった木、山歩きのコツなどたくさんのためになる話を道すがらきくことができました。また、途中でグループの一人のシューズのソールが外れてしまったときも適切な対処をされていました。ガイドさんをペースメーカーにして歩くと疲れにくいし頑張れる、というのもあります。特に初めての方はガイドさんをつけることをお勧めします。旅行会社で申込むときのオプションで12000円前後でつけることができます。
ガイドさんの話で怖かったのは、ところどころ幹に打ってあるクギのことです。これは海外の環境保護団体の人が打ち込んでいくものらしく、仮にこの木を伐ることになったとき、チェーンソーがクギを跳ね飛ばして人に刺さる恐れがあり、それを怖がらせて木を伐らせないようにする、ということでした。木を伐る必要性というのは風雨で倒れかけになって登山者に危ないとか、色々な事情があるもので、それで人に危害をもたらしかねないことをするのはどうなんだろうと疑問に思いました。
さて、(1)(2)で距離でみると大部分を消化することができるのですが、最後の(3)山道は大変です。岩と木の根の組み合わせ、木の根は滑るので注意しながら、慎重に歩を進めていきます。それでもところどころ木の階段など歩きやすくする設備が用意されています。登山経験が豊富な人にとってはラクなコースなのでしょう。ガイドさんからは中高年のペース、それで汗だくというのはおかしい、みたいなことを言われてしまいました。
幹が冷たいヒメシャラの木を触ったりしながら歩を進めます。途中にウィルソン株(中が空洞になっており入ることができる)、大王杉、夫婦杉(ふたつの杉がつながっている)などの名所を巡ります。ちょうど正午に縄文杉に到着!ここではなんと携帯電話の電波が入ります。せっかくなので写メールをしたりしました。縄文杉は展望台から眺めるというかたちで鑑賞します。昔は直接触ることもできたそうですが、根が踏み荒らされてしまうので禁止になったそうです。
帰りはここまで来た道をそのまま戻ります。行っている途中これを引き返すのか…と気が重くなっていましたが、その通り大変でした。帰りは基本的に下りなので、ヒザに負担がかかります。途中からヒザが笑う状態となりました。足の裏もけっこう疲れてきている、ここでまだ頑張れる、腕を使っていくことにしました。木の幹や岩に手をかけ支点をつくり、体重を分散させて降りていきます。そうして何とかトロッコ道へと戻ってきました。
ここから先は木道でなだらかな下り、腕の振りを使って歩いていきました。登山用のリュックで姿勢がまっすぐとなり、足以外の部分は疲れなかったのがよかったです。それでも足の裏が限界となり、辛い思いをしながら下って行きました。最後(1)木道のないトロッコ道は大丈夫かと思っていたところ、道の質がかわったことで足の負担のかかる部分が変わり、かえって楽に歩くことができました。このように道の様子が変わるコースでは、それぞれに合う歩き方をすることで負担のかかる部分を分散させ疲れを軽減することができるのだと感じました。
そんなこんなで無事登山口に戻り、バスに乗って帰って行きました。登山成功の証明書をもらうことができます。一番ダメージが来るのがヒザで、宿の階段の上り下りもつらい感じになりました。今回は持参したものがどれも役に立ち、おおよいチョイスをした!と思うことが何度かありました。飲み物としてスポーツドリンクとは別にコーヒーを持っていったこと(胃腸の調子がよくなる・気分がダレてきたとき気付けになる)、SOYJOY(空腹を適度に満たす)、トレッキング用のリュック・シューズ・ソックス(普通のものとは機能的に全然違います)、ウエストポーチ(カメラの出し入れに最適)といった感じです。
この日は昨晩寝ていなかったこともあり、疲れもあり、スッと眠ることができました。翌日は7時おき、これは大丈夫でしょう。
3日目―リバーカヤック・帰路
湿布をたくさん貼って寝たためか(実に7枚!)、筋肉痛等はひどくなく、快調です。この日は安房川でリバーカヤックをしました。カヤックというのはカヌーとはちょっと違いボートの上に全身出して座る感じで漕ぐもので、全身が濡れます。濡れるためカメラが持参できず1枚も写真がありません。残念です。ともあれ、水着とライフジャケットをつけて、漕ぎ出します。漕ぎ方はすぐわかりましたが、なぜか右側に曲がりがちで、調整しながら進みました。
安房川は水が透き通っていて、底の方まで見通すことができます。「川は途中からいきなり深くなる」とよく言われることが、ボートの上から十分に観察することができました。途中でボートを停め、水の中に入るなど休憩したときは、ハゼなどの魚がいるのを見ることができました。このときは干潮時のようで、水位がどんどん低くなるのを感じました。注意するのは岩の上に座礁してしまうことです。大人ならば足で岩を蹴って自力で脱出できますが、一緒のグループだった小学生の子は周りから助けられていました。
途中の松峰大橋を臨むところは絶景です。川を上りボートが進めなくなるところで降り、しばらく休みます。別のグループでシュノーケリングをしていた方がウナギがいると言っていました。ガイドさんにコーヒーとお菓子を振舞われ、いい時間を過ごした後に戻ります。この頃は潮が戻ってくる感じがして、ボートに波が当たる感覚がありました。途中岸壁のそばまで漕いで行ったところ、フナムシがぶわわわわああああっといて面白かったです。
カヤックも終わり、あとは帰るだけです。余裕をもって予定を組んだ中、スムーズに行ったため、屋久島空港で長い待ちができました。空港の向かいに温泉があるということで昼食と温泉をそこで楽しみました。ここで困ったことに、カヤックで日焼けをしていることに気がつきます。ずっと同じ姿勢で、足に日焼け止めを塗るのを忘れたため、足の一部分だけヒリヒリすることになりました。この日焼けは今では落ち着いて、気にならなくなりました。
飛行機の時間が来て鹿児島まで飛びます。30分ほどで着きました。種子島や鹿児島の滝が見えたりして景色を楽しみました。さて、鹿児島空港で3時間以上の待ちがあります。市内に出るほどでもない、どうしようと空港の観光案内に尋ねると、徒歩で行ける場所を教えてくれました。ひとつは焼酎の製造を公開しているところ(リンク)、もうひとつは西郷さんの大きな銅像が建っている公園です。ここで焼酎の試飲をし、お土産をいくつか買いました。残りの時間は鹿児島空港にある足湯で休憩しました。足湯は「10分もすれば飽きるよ」なんて言ってたのですが、漬かってみるとああもっといたいという感じになり、結局30分以上漬かっていました。その後空港内で夕食をたべ、飛行機で帰ってきました。飛行機ではJALのCAの方がとても行き届いた気遣いをしてくれました。ありがとうございます。
そんなこんなで2泊3日の短い旅行は終わりました。
おわりに
今回は天気もよく予定が狂うことは一切ありませんでした。国内の旅はきっちりしていますね。それが実現されるための先人達の努力には感服・感謝しきりです。誰も威張ったりはしないけれど、確実に生きた証は残っています。自分もこうした人間社会の営みに加わりたいと思いました。
屋久島はまた行って見たいところがあるな、と思わせる場所です。まずは最低限、海中温泉、レンタカーで島を一周はやりたいです。トレッキングは白谷雲水峡から入って縄文杉に行くコースをとりたいです。他にも海を使ったこともやってみたいです。何年後か、必ず行きたいと思います。そうできるように、公私ともに充実できるよう頑張りたい、と思いを強くしました。
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1日目―移動日・鹿児島はいいところ
(左・鹿児島と屋久島をつなぐ高速船/右・船から見えた夕日)
旅行の申込みが遅かったためか行きも帰りも待ち時間が長い今回の行程。それが幸いして途中の街もゆったりと見ることができました。お昼に鹿児島空港着、バスで鹿児島市内へ移動。鹿児島駅に観覧車がついているのに驚きました。鹿児島空港と鹿児島市内は結構距離があるのに、自動車でのアクセスしかできないみたいで、鉄道も通ったらいいのにな、なんて思いました。
屋久島行の高速船の発着所を確認して、鹿児島市内を散策。港のそばにドルフィンポートというショップが集まった場所があり、水場あり、景色よし、食べ物ありでいいところでした。若い人はここで桜島を眺めながらデートをして、家庭をもった後は子どもを水場で遊ばせるのでしょう。いいですね。ここで遅めの昼食をとりました。
その後中心街へ。途中で氷屋さんのカキ氷に行列ができていて、見慣れない光景に驚きました。路面電車が走り、道は広く、アーケードあり、様々なお店があるなど、半日かけてもいいくらい見る場所がたくさんありました。行きの空港で帽子を忘れてしまったので帽子屋さんで帽子を買いました。キャップばかり持っているのでハットにしてみましたが、帰って写真を見せたらキャップのほうが格好よかったと評判悪し。ハットはだめみたいです。
夕方前に高速船に乗りました。乗り心地はとてもよく、高速バスに乗っているかのようです。天気がよく波が立ってもいないという条件にも恵まれたのでしょう。途中種子島にも寄港し、窓越しに種子島の風景も見ることができました。屋久島に到着したときは日が落ちかけていました。全体的に天気はよかったけれど、島に着いてからはきれいな夕日・夕焼けを見ることはできませんでした。船から撮ったものはナイスタイミングでした。遠くに小さな漁船が見えて綺麗な光景でした。
宿は港から歩いてすぐの場所で、食事も設備もとても充実していていいところでした。この日の夕食はトビウオの姿焼きとさつま揚げがとても美味しかったです。思わずビールも注文。夜は、おみやげ屋さんが22時まで開いていて、利用しやすかったです。ここでなんとなく買ったSOYJOYが翌日非常に役に立ちました。近くにパチンコもあり、島の人たちの生活も感じることができました。
翌日は4時にガイドさんが迎えに来るということで早めに寝ることにしたのですが、何故か眠れません。大事なときに眠れないというのは私の人生上失敗の種として幾たびも降りかかっていて、思い出して携帯からネガティブなツイートをしたりもしていました。結局ほとんど眠れないまま時間になり、支度をすることになりました。
2日目―縄文杉登山・疲れた~
(左・縄文杉/右・トロッコ道に出てきたシカ)
さて、眠れず不安のうちに始まったメインイベント、縄文杉登山です。ガイドさんの車に乗り込み、他の宿から同行者を拾っていきます。今回のグループは催行上最大人数の7人で、男性は自分たちだけ、みんな登山経験は少ないという感じでした。車内では助手席に乗っていたのですが、夜が明けておらず暗いということもあり、車のスピードが怖いという感覚の中、バス停までたどり着きました。
バス停で宿から出された朝食用の弁当をたべます。待ってる中で太陽が昇ってきました(ついぴく)。バスには30分程度乗っているのですが、このうちに太陽はすっかり上がり、窓から海と種子島が綺麗に見えました。バスは背もたれにビニールが被せてあり、行きはこの理由がわからなかったのですが(早朝で準備が間に合わなかった!?なんて話していました)、帰りにわかりました。汗だくのシャツで乗り込むことになるからです!
さて、荒川登山口からスタートです。縄文杉までの道は、大別して3つに分かれます。(1)木道のないトロッコ道、(2)木道のあるトロッコ道、(3)山道です。このうち最も歩きやすいのは(2)で、シカがいる右の写真に写っている部分がそうです。ここは傾斜も厳しくなく、ハイキングのように歩くことができます。最初の(1)木道のないトロッコ道は、枕木が一定の間隔でない、砂利と枕木の段差がけっこうある、といった点で歩きにくいです。また、片側が崖だったり、手すりのない橋がかかっていたりと高いところが苦手な方にはちょっと辛い感じです。ここで早くもトレッキングシューズの有難さを実感。少々変な場所を歩いてもガシッと進むことができます。
途中で見た安房川の上流部分では、大きな岩がゴロゴロ転がっており、自然の大きさを感じさせられます。また、(1)と(2)の境目のところで「小学校跡」というものがあり、ここに昔集落があったことが解説されています。こんな山奥に定住している人が!と驚きました。しかし帰りでは、ああやっと小学校跡に着いたーこんな麓に近いところにあったのね!なんて逆の感想になります。道中はシカが何度も出てきます。シカは人間を全く警戒せず、黙々と食べ物を探しています。
トロッコ道が奥深くまで通っていることからもわかりますが、屋久島は「手付かずの自然」というより、人間の営みも自然の一部として育まれてきたところだと認識させられます。もっとも、話によると昔は共生というよりバシバシ切り開いていた感じらしいです。現在残っている有名な杉は、形が木材向きでないということで伐られるのを免れたものだそうです。実際、縄文杉の近くまで行っても、むかし人間が切った後の切り株を見ることができます。
ガイドさんからは、植物や動物についての知識、屋久島の成り立ちや歴史、もののけ姫の題材となった木、山歩きのコツなどたくさんのためになる話を道すがらきくことができました。また、途中でグループの一人のシューズのソールが外れてしまったときも適切な対処をされていました。ガイドさんをペースメーカーにして歩くと疲れにくいし頑張れる、というのもあります。特に初めての方はガイドさんをつけることをお勧めします。旅行会社で申込むときのオプションで12000円前後でつけることができます。
ガイドさんの話で怖かったのは、ところどころ幹に打ってあるクギのことです。これは海外の環境保護団体の人が打ち込んでいくものらしく、仮にこの木を伐ることになったとき、チェーンソーがクギを跳ね飛ばして人に刺さる恐れがあり、それを怖がらせて木を伐らせないようにする、ということでした。木を伐る必要性というのは風雨で倒れかけになって登山者に危ないとか、色々な事情があるもので、それで人に危害をもたらしかねないことをするのはどうなんだろうと疑問に思いました。
さて、(1)(2)で距離でみると大部分を消化することができるのですが、最後の(3)山道は大変です。岩と木の根の組み合わせ、木の根は滑るので注意しながら、慎重に歩を進めていきます。それでもところどころ木の階段など歩きやすくする設備が用意されています。登山経験が豊富な人にとってはラクなコースなのでしょう。ガイドさんからは中高年のペース、それで汗だくというのはおかしい、みたいなことを言われてしまいました。
幹が冷たいヒメシャラの木を触ったりしながら歩を進めます。途中にウィルソン株(中が空洞になっており入ることができる)、大王杉、夫婦杉(ふたつの杉がつながっている)などの名所を巡ります。ちょうど正午に縄文杉に到着!ここではなんと携帯電話の電波が入ります。せっかくなので写メールをしたりしました。縄文杉は展望台から眺めるというかたちで鑑賞します。昔は直接触ることもできたそうですが、根が踏み荒らされてしまうので禁止になったそうです。
帰りはここまで来た道をそのまま戻ります。行っている途中これを引き返すのか…と気が重くなっていましたが、その通り大変でした。帰りは基本的に下りなので、ヒザに負担がかかります。途中からヒザが笑う状態となりました。足の裏もけっこう疲れてきている、ここでまだ頑張れる、腕を使っていくことにしました。木の幹や岩に手をかけ支点をつくり、体重を分散させて降りていきます。そうして何とかトロッコ道へと戻ってきました。
ここから先は木道でなだらかな下り、腕の振りを使って歩いていきました。登山用のリュックで姿勢がまっすぐとなり、足以外の部分は疲れなかったのがよかったです。それでも足の裏が限界となり、辛い思いをしながら下って行きました。最後(1)木道のないトロッコ道は大丈夫かと思っていたところ、道の質がかわったことで足の負担のかかる部分が変わり、かえって楽に歩くことができました。このように道の様子が変わるコースでは、それぞれに合う歩き方をすることで負担のかかる部分を分散させ疲れを軽減することができるのだと感じました。
そんなこんなで無事登山口に戻り、バスに乗って帰って行きました。登山成功の証明書をもらうことができます。一番ダメージが来るのがヒザで、宿の階段の上り下りもつらい感じになりました。今回は持参したものがどれも役に立ち、おおよいチョイスをした!と思うことが何度かありました。飲み物としてスポーツドリンクとは別にコーヒーを持っていったこと(胃腸の調子がよくなる・気分がダレてきたとき気付けになる)、SOYJOY(空腹を適度に満たす)、トレッキング用のリュック・シューズ・ソックス(普通のものとは機能的に全然違います)、ウエストポーチ(カメラの出し入れに最適)といった感じです。
この日は昨晩寝ていなかったこともあり、疲れもあり、スッと眠ることができました。翌日は7時おき、これは大丈夫でしょう。
3日目―リバーカヤック・帰路
湿布をたくさん貼って寝たためか(実に7枚!)、筋肉痛等はひどくなく、快調です。この日は安房川でリバーカヤックをしました。カヤックというのはカヌーとはちょっと違いボートの上に全身出して座る感じで漕ぐもので、全身が濡れます。濡れるためカメラが持参できず1枚も写真がありません。残念です。ともあれ、水着とライフジャケットをつけて、漕ぎ出します。漕ぎ方はすぐわかりましたが、なぜか右側に曲がりがちで、調整しながら進みました。
安房川は水が透き通っていて、底の方まで見通すことができます。「川は途中からいきなり深くなる」とよく言われることが、ボートの上から十分に観察することができました。途中でボートを停め、水の中に入るなど休憩したときは、ハゼなどの魚がいるのを見ることができました。このときは干潮時のようで、水位がどんどん低くなるのを感じました。注意するのは岩の上に座礁してしまうことです。大人ならば足で岩を蹴って自力で脱出できますが、一緒のグループだった小学生の子は周りから助けられていました。
途中の松峰大橋を臨むところは絶景です。川を上りボートが進めなくなるところで降り、しばらく休みます。別のグループでシュノーケリングをしていた方がウナギがいると言っていました。ガイドさんにコーヒーとお菓子を振舞われ、いい時間を過ごした後に戻ります。この頃は潮が戻ってくる感じがして、ボートに波が当たる感覚がありました。途中岸壁のそばまで漕いで行ったところ、フナムシがぶわわわわああああっといて面白かったです。
カヤックも終わり、あとは帰るだけです。余裕をもって予定を組んだ中、スムーズに行ったため、屋久島空港で長い待ちができました。空港の向かいに温泉があるということで昼食と温泉をそこで楽しみました。ここで困ったことに、カヤックで日焼けをしていることに気がつきます。ずっと同じ姿勢で、足に日焼け止めを塗るのを忘れたため、足の一部分だけヒリヒリすることになりました。この日焼けは今では落ち着いて、気にならなくなりました。
飛行機の時間が来て鹿児島まで飛びます。30分ほどで着きました。種子島や鹿児島の滝が見えたりして景色を楽しみました。さて、鹿児島空港で3時間以上の待ちがあります。市内に出るほどでもない、どうしようと空港の観光案内に尋ねると、徒歩で行ける場所を教えてくれました。ひとつは焼酎の製造を公開しているところ(リンク)、もうひとつは西郷さんの大きな銅像が建っている公園です。ここで焼酎の試飲をし、お土産をいくつか買いました。残りの時間は鹿児島空港にある足湯で休憩しました。足湯は「10分もすれば飽きるよ」なんて言ってたのですが、漬かってみるとああもっといたいという感じになり、結局30分以上漬かっていました。その後空港内で夕食をたべ、飛行機で帰ってきました。飛行機ではJALのCAの方がとても行き届いた気遣いをしてくれました。ありがとうございます。
そんなこんなで2泊3日の短い旅行は終わりました。
おわりに
今回は天気もよく予定が狂うことは一切ありませんでした。国内の旅はきっちりしていますね。それが実現されるための先人達の努力には感服・感謝しきりです。誰も威張ったりはしないけれど、確実に生きた証は残っています。自分もこうした人間社会の営みに加わりたいと思いました。
屋久島はまた行って見たいところがあるな、と思わせる場所です。まずは最低限、海中温泉、レンタカーで島を一周はやりたいです。トレッキングは白谷雲水峡から入って縄文杉に行くコースをとりたいです。他にも海を使ったこともやってみたいです。何年後か、必ず行きたいと思います。そうできるように、公私ともに充実できるよう頑張りたい、と思いを強くしました。
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