最近「空気を読む」という言葉が流行している。その時々において周囲から期待されている言動をするかしないかという問題で、表現はともかくそのような配慮は誰もが常に行っている。突飛な行動をとってみるのもひとつの面白さで、まあ、その肯否は場合によるという曖昧な答えに落ち着くだろう。
私は大学に入るまで一度しかカラオケに行ったことがなかったのだが、大学で仲のよくなった友人がカラオケ好きでよく連れて行ってもらった結果、今では結構なカラオケ好きになっている。今でもこの友人と一対一でひたすら曲を入れあって歌いつくすというやり方は一番の楽しいやり方だ。
当然、他の集団でカラオケに行くときもあるが、そのときに強く感じるのは「みんなが知ってる曲を歌え」という「空気」である。しかし、どんな曲でも一メロと一サビをきけばその後それなりに一緒に歌えるし、知らない曲を新しく紹介してくれるのも楽しみのひとつだと思うので、個人的にはあまり好きではない。知らない曲だと楽しめないというのは、結局のところ歌うのがすごい好きかそれほどでもないかという違いによるのだろう。
この「空気」を優先するか、自分の考えを優先するかは、先にも述べたように場面ごとに考えることになる。結果的に判断を誤ったと思うときもある。一方で、誰かが知らない曲を入れても歓迎して一緒に歌おうとすれば、少なからず「空気」は変わる。「空気」は勝手に出来ていて各人が粛々と守るだけではなく、作っていくものでもある。法律もそうだ。
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私は大学に入るまで一度しかカラオケに行ったことがなかったのだが、大学で仲のよくなった友人がカラオケ好きでよく連れて行ってもらった結果、今では結構なカラオケ好きになっている。今でもこの友人と一対一でひたすら曲を入れあって歌いつくすというやり方は一番の楽しいやり方だ。
当然、他の集団でカラオケに行くときもあるが、そのときに強く感じるのは「みんなが知ってる曲を歌え」という「空気」である。しかし、どんな曲でも一メロと一サビをきけばその後それなりに一緒に歌えるし、知らない曲を新しく紹介してくれるのも楽しみのひとつだと思うので、個人的にはあまり好きではない。知らない曲だと楽しめないというのは、結局のところ歌うのがすごい好きかそれほどでもないかという違いによるのだろう。
この「空気」を優先するか、自分の考えを優先するかは、先にも述べたように場面ごとに考えることになる。結果的に判断を誤ったと思うときもある。一方で、誰かが知らない曲を入れても歓迎して一緒に歌おうとすれば、少なからず「空気」は変わる。「空気」は勝手に出来ていて各人が粛々と守るだけではなく、作っていくものでもある。法律もそうだ。
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学部時代に開設したgeocitiesのホームページがあったのだが、長らく更新していなかった。放置しておくのは個人的に好ましく思わないので、今日思い切って削除した。クリック一つで全ファイル削除というのは簡単であっけない感じもした。ふと初めてタグを打って作ったときの楽しさが思い出された。