goo blog サービス終了のお知らせ 

順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

「順風ESSAYS」にようこそ

法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
長文記事は「順風Essays Sequel」に移行し、こちらは短文の投稿をします。
最近の記事一覧はこちら 管理人へのメッセージ・お問合せはこちら
 
過去記事からのおすすめ
エッセイ→ぼくはタイガー鶏口症候群成功のための競争背水の陣//小説→切符がくれたもの鉛筆削り未来ニュース//鑑賞録・感想→報道写真について美術鑑賞2009No_Logic天使たちのシーン//その他創作モノ→回文まとめ雪が降る
 

魏志倭人伝と邪馬台国

2019年01月05日 | 日記
これまで日本史にはあまり興味がなかったが、インターネットでふと邪馬台国の所在などの話を見つけて色々と読み耽ってしまった。個人的には九州説が妥当だと感じた。また、その後の歴史についても九州王朝説の説得力があるように感じた。魏志倭人伝では邪馬台国までの行程に「水行十日、陸行一月」とあることの解釈が色々と問題となっているようだ。これは素直に読んで「船で行けば10日、歩いて行けば1か月(水路でも陸路でも行ける)」ということなのではないか。唐津(末廬國)の項で前を行く人が見えないほど草木が生い茂っていると当時の九州の陸路が困難な様子が窺われる。また、伊都国とそこから肉眼でも見えるであろう100里(7キロメートル)先の国々までは「里」と正確な単位で記載され、戸数も断言しているのに対し、投馬国と邪馬台国は日数で記載され戸数も「可」と推測の言葉が入っていることからすると、伊都国周辺までは直接体験し、そこから先は現地の人からの伝聞で書かれたのではないかと思われる。壱岐と唐津の距離の倍くらいだとすると「帯方から1万2000余里」の記載との関係も無理はない。那珂川や宝満川、筑後川あたりを移動した先に邪馬台国があったのかもしれない。古代日本への浪漫を感じに国内を旅したい気持ちに駆られる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする