PURPLE DOT(別館)

超個人的備忘ログです。
不定期更新、記憶曖昧、自分にしかわからない記述多々。
ただの参考記録です、ご寛恕ください。

2004-2005の記憶 with The Gospellers

2024-10-30 23:06:02 | 雑記とか
11/5分?いや10/30があったじゃん……


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで。
と思っていたけど30日もあったねと思ったけどいろいろあってズレてるから目安ってことで(?)

ただの自分語り、しかも既にここで出ている話ばかりになる可能性が大きいですがそれでもよければどぞ。



2004年

とうとう完全に5人にのめりこんでしまったわたし。

ちょうどFeel'n soulで「初の全都道府県ツアーやるよ〜!」と言っていたので、これはわたしが行くしかないと思ってファンクラブにも入会した。

そういえば当時の会員証、いつだか忘れたけど何かの雑誌に『個性的なファンクラブ会員証』みたいなページがあってそれで見たんだ。運転免許証をモチーフに作られていて「合わせ技一本!」とか書いてあるのが確かに面白かった。何年前に見たのか忘れたけれど。
それが手元にきて「これがそうなんだ」と嬉しくもあり、「顔写真を貼ってください」の記述に「ずっと同じ顔写真を貼っておくの?」とちょっと戸惑いもあり。

とにかく当時の自分としては【一つのツアーにつき1回の"讃歌"】をモットーにしよう、と思っていた。
そう、ライヴに参加することを『"讃歌"する』と"ゴスマニ"の皆さんが呼んでいることは既に知っていた。ファンサイトを巡ってどこからか身に付いた知識だった。
【一度もライヴに"讃歌"したことのない自分はまだ『ゴスペラーズのファン』だなんて自称してはいけない】
と思い込んでいた。

ゴスペラーズ坂ツアー2004 "号泣"。
全59本の全国ツアーのうち1/59。
無事チケットを手にして赴いた会場で、わたしはやっと彼等に『出会った』。
一対一で対面したわけではないが、ここは『出会った』と言わせてほしい。
埼玉スタジアムで目にしてはいたものの、遠目だったし聴いたのも君が代だけだったので尚更そう思った。

正直な話、始まってすぐは目の前にいる人達が本当に本物のゴスペラーズなんだということに対する実感が湧かなかった。
緊張していたこともあり、実は先にセットリストを調べていたが、それでも舞い上がりまくっていた。

この日個人的に特筆すべき曲のひとつだと思ったのが、『讃歌』。


ゴスペラーズ
讃歌(Live)
https://www.shazam.com/track/114015689?referrer=share
(諸事情により貼るのはこちら)


度肝を抜かれるとはまさにあのことだった。
『アカペラ街』は未見だった。CD音源しか知らなかった。
だからこの曲の冒頭の「まるで祈るように」のくだりを初めて聴いた瞬間、心の底から驚いた。

そのとき、不思議な感覚に襲われた。
客席側は誰も声を発していないはずなのに「すごい」と思っているのが伝わってきたから。
わたしの感覚が変と言われればそれまでだし、実際にこんな感覚になったのは今のところこの時だけなので説得力も何もないが、この時の不思議な感覚が何なのか知りたくて、また彼等のライヴに行きたい、と思った。

ともかく、『わたしが初めて生で聴いた"ゴスペラーズの持ち歌"としてのアカペラ』は『讃歌』になった。

なったからこそ、実際に本物の讃歌を耳にしたときの物凄い体験が途轍もなく気高く思えて、その言葉を動詞として使うのは失礼だと思った。
なので今後も使うつもりはない。
使わないことを強いるつもりもないけど。

もうひとつ特筆すべきなのは、永遠に。
これも事前に知ってしまっていたが、マイクオフで歌うのだ、とのこと。
そしてその瞬間がやってきた。


ゴスペラーズ
永遠に -unplugged live version-
https://www.shazam.com/track/40735322?referrer=share


目の前で繰り広げられることは紛れもなく本物で、5人の声が空気だけを介して自分自身に届くという体験。
それを目の前の一人一人に届けようとする彼等の気概。
自分にとって初めての彼等のライヴの、最後の最後にこんなことをやられてしまったからには、それまで以上に好きにならずにはいられなかった。



2005年

メジャーデビュー10周年記念。
本当の記念日は2004年だが、記念ツアーをやるので来てね、その中には日本武道館公演もあるよ、というお知らせがあったので、やはりそれも行きたいな、と思ってチケットを応募したら運良く取れたので日本武道館へ赴いた。

武道館へ行くのは初めてだった。
この時は360°、バックスタンドも客席になっていたので、自分の反対側からも飛んでくる拍手、手拍子、そして歓声に自分も奮い立たされ、両手が痛くなるほど夢中で拍手や手拍子を続けた。
特に驚いたのがこの2曲。


ゴスペラーズ
LOVE MACHINE
https://www.shazam.com/track/113140837?referrer=share


ゴスペラーズ
FIVE KEYS
https://www.shazam.com/track/114015687?referrer=share


その日は興奮して全く寝付けなかった。
そんなことも、自分の中では生まれて初めてだった。
副産物?として、ラブマ様にも惚れてしまった。
正体を隠して暗躍するヒーローって必殺仕事人みたいでかっこいいって思ってしまったから、かもしれない。

そこから彼等は数ヶ月にわたるお休み期間に入る……
とはいえ全員完全オフということではなく、ソロ活動を始めた人、インプットに勤しんだ人、本当に完全オフにした人などそれぞれのようだった。
その中で安岡氏が結婚を発表したのはびっくりしたけれど。

酒井氏か誰かが「この機会にみんなもいろいろ世界を広げてみるといいよ」という意味合いの事を何かで言っていたような気がするのは記憶違いだろうか。
レギュラーラジオは引き続きやっていたので(ただメンバー1人1ヶ月ずつ交代だったかな)そちらがあったからか寂しくなかったし、むしろそれまでを取り戻す勢いで関連書籍を読んだりファンサイトを巡ったりした。

5人が再結集して、年末の会津若松公演。
橋ツアーの今のスタイルに近いコンセプトだったんだと思う。
坂ツアーでは行かないような街へ赴く、という方針だったから。

またまた緊張していた自分だったけれど、ある曲でその緊張から解き放たれた。


久保田利伸
Dance If You Want It
https://www.shazam.com/track/112281559?referrer=share
(諸事情により御本家のもの)


みんなが手拍子してるから、とかじゃなくて、自分の心の赴くままに体動かせばいいじゃん、と言われているようで、それならその通りにさせてもらおうと思って、それ以降好き勝手にさせてもらった。
勿論、周りの人達が嫌な気持ちになっては元も子もないので、その辺りは気遣っていたつもりだったが至っていなかったらごめんなさい……

終演後、放心状態になっていたので全く気付かなかったが、このときなぜかお見送りしていいよ的なアナウンスが流れていたのか、その時の同行者が「早く行こうよ」とわたしを外へ連れ出した。
するとかなりの人集り。

わたしはライヴ中のことだけで胸がいっぱいになっていたので、舞台を降りて私服になった彼等のことはむしろ見てはいけないと思っていた。
季節は12月である。わたしは寒空の下で立っていたら具合が悪くなった、ということにして隠れた。

他人から見たら「なんて勿体無い」と思われるのかもしれない。
でも素晴らしいステージだと思ったらそれはその場で"返す"べきで(でも感想のお手紙を後から出す等はいいと思うよ)、そのために来たのであって、そのことに自分なりの全力を尽くしたからそれで充分だと思ったし、こういったことをメンバー全員が喜ぶのか、喜ばない人が1人でもいたらそれはその人にとって嫌な思い出になるのではないか、と思ったから。
アナウンスしていたくらいだから全員よかったのかもしれないけれど、個人的にはそんな感じ。
周りに流されることなく、自分がちゃんとこうだと思ったことを貫こう、と。

……で、これからもそういうスタンスでいようと密かに心に誓っていた。



次回へつづく。はず。
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2002-2003の記憶 with The Gospellers

2024-10-25 23:12:06 | 雑記とか
10/25分(?)


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで。(予定は未定)

ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。



2002年


ラジオから、それは突然聴こえてきた。


ゴスペラーズ
Get me on
https://www.shazam.com/track/40253564?referrer=share


もう最初の「♪Baby, get me on」だけで「ゴスペラーズだ!」と思った。
ちょっと聴いただけでゴスペラーズとわかるなんて、本当にすごい人達だなあ、売れて然るべきなんだよな、と思っていた。

そういえば、ファンになった人がよく言う「ゴスペラーズって踊るんだ!」という意見。
なぜかわたしはそういう意識になったことがない。
ちなみにいつの間にか北山氏が「メガネ君」じゃなくなったのも高音域で歌っているのも全然驚かなかった、と思う。そんな風になったのをいつ認識したのか、あんまり覚えていないから。
それと同様に酒井氏がドレッドになっていてもさほどびっくりしなかった。
そういえば村上氏がずっとサングラスつけてるなあとか。
熱帯夜のときの衝撃があまりにも大きすぎたので、それに比べれば。
5人がいい歌を歌ってくれるならそれでよかった。

しかし。
わたしは突如沸いた【アカペラブーム】ってやつには乗れなかった。

「流行りものだから乗っかる」みたいなものが苦手だった。

だから正直に言うとハモネプも全然観ていなかったし、RAG FAIRやINSPiなどもしばらく聴かなかった。
何が納得いかなかったかって、番組に5人を呼ばないことだった。
「ブームのきっかけになったのは5人なのに!失礼じゃん!!!」
と思っていた。
5人が断っていた可能性もあるが……
でも後々友人からラグやスピの良さも教えてもらって、そちらのライブに行ったこともある。
そちらに関してはあまり語れないけれど、彼等のあったかみのあるハーモニーも良い。今ではラグスピも好きだ。
でもこの時はまだ、その良さを知ろうとしていなかった。申し訳ない。


あれは11月20日のこと。
同年の日韓合同開催だったサッカーW杯の余韻が残る中、友人からキリンチャレンジカップのチケットが手に入ったから行こう、と誘われた。友人は対戦相手となるアルゼンチンのユニフォームを着ていたのだが………
個人的にスポーツの国際試合そのものが生まれて初めて(W杯そのものは行けなかった、というよりチケットが当たらなかった)。

超満員の埼玉スタジアム。(あのときは2002って付いてなかったような)
選手達の事前練習などを目の当たりにして、試合前すでに客席のボルテージは高まっていた。
わたしの席は最後列にほど近いところではあったけれど、みんなわくわくしてその時を待っていた。

選手が入場してきて……このあたりは緊張もあったからか、あんまり覚えていない。

国歌斉唱、日本の番。
なんだかスーツっぽいものを着た男の人"たち"が、ピッチへ向かうのが見えた。
え?
もしかしてゴスペラーズだったりして、なんてね?

そこへ流れるアナウンス。

「独唱は、ゴスペラーズです!」
(複数なのに独唱、という言い方も不思議ではあるが)

こんなことがあるのか。

ゴスーーーーー!!!ゴス大好きーーーーー!!!!!

おお、とどよめく客席の中で、思わず叫んでいた。

後ろから数えた方が早い席だったので本人達に聴こえているわけでもないし、大体において「ゴス大好き」って……と思わないでもないが。
いつの間に大好きだったんだろう。

そして勿論歌われるのは君が代。
なんの因果かわからないが、わたしの『初めてのゴスペラーズの生歌』は国歌になったのだった。

試合そのものは日本の完敗だったけれど。
アルゼンチン相手だもの、それはもう仕方がない。


その数日後に5人が『MUSIC STATION』に出演していた。
当然ながらキリンチャレンジカップの話もしていた。
確か5人の観戦スタイルの違いの話をしていたはず。

そのときに披露していたのは勿論『星屑の街』。


ゴスペラーズ
星屑の街
https://www.shazam.com/track/40169990?referrer=share


それと前後して、『FUN』だったか『FAN』だったか。
いろはを披露していたのがとっても良かった。

(郷ひろみさんにジャケットプレイ教わってたのは前の年?)


ゴスペラーズ
いろは
https://www.shazam.com/track/40169988?referrer=share


その前後に、初のアカペラアルバムをリリースすることがわかった。
何かの雑誌に【アカペラブームに対する彼等なりの答えだ】みたいなことが書かれていて、「まさにその通り!」と思ったけれど、あのライターさんは誰だったんだろう。

でもCDは買わなかった……
せめて買おうよ。

「大好き」と言ったのに、この時点ではまだはまっていないつもりだった。

むしろJAZZの方に興味があった。
とはいえそんなに聴いていないが何枚かCDを手に入れ気に入った曲をリピートして聴いていたのだった。
(何の曲だったか失念)



2003年

遂にこの年。

なんの歌番組だったかも忘れてしまったが、確か新聞のラテ欄に彼等が出て、新曲を披露するというので聴いていたら、黒沢氏がカメラ目線で

(海へ) 向かうといい

その一撃にやられてしまった。


ゴスペラーズ
Right on,Babe
https://www.shazam.com/track/40404722?referrer=share


黒沢さんかっこいい……
と思ったけどそのあとすぐ既婚だと知って失恋(?)……って、ゴシップ系の話やプライベートについては全く把握していなかったのだった。別に知ろうとも思わないが。
基本、良い歌を歌ってくれれば(あと罪を犯したとかでなければ)それでいい派。
ラブソング歌ってるんだから、それもこんなに素敵な歌を歌ってるんだから、そりゃ本人達だって素敵な恋愛してたって何もおかしくないから。

そんなことより、疑似恋愛感情みたいなものをきっかけ……というとなんだか情けなくもあるが、とうとうゴスペラーズに本格的にどはまりしてしまったわたし。
そこからは我ながらものすごい勢いで彼等の曲を聴きまくっていた。特にアルバム『FRENZY』はテープだったら擦り切れてるんじゃないかと思うくらい毎日毎日聴きまくった。
この情熱を勉強に傾けられていたら早稲田にだって行けたんじゃないかと思うほど……

レギュラーラジオ、この頃は『Feel'n soul』だったはず。
前回の記事で言及したV6のラジオ『NEXT GENERATION』のすぐ後に放送されるので、続けて流していた。正直に言うと、聴き始めの頃は全く内容が理解できなくて本当にただただ「流して」いた。
たまに黒沢氏の一人歌いとか二人歌いとかがあって、それはちゃんと聴いたはずなのだがほとんど記憶がない。
黒沢氏と北山氏の2人でBeginningを歌ったのと、村上氏と黒沢氏が寸劇交えて新大阪を歌っていたことくらい?
(それもいつやったか覚えていないが)


そんなとき、わたしの耳を捉えたイントロがあった。

アリシア・キーズ
If I Ain't Got You
https://www.shazam.com/track/20151991?referrer=share
(この翌年だったかもしれないけど)


完全に不真面目だったが、ピアノを習っていたこともあってピアノの音色は好きだった。
そんなピアノのイントロで始まるこの曲に惹きつけられて、CDも買った。
そこからsoul musicってやつに興味が出てきてちょこちょこ聴いていた。
いま思えば音楽の本当の楽しさを理解しはじめた頃、なのかもしれない。



次回へつづく、かもしれないけど次回からはライヴ参加し始めたし書くことが減っていきそう。
まいっか。目的は明確にあるから。
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「あれ」からさんじゅうねん(新曲の話は別途するつもり)

2024-10-23 00:45:05 | 雑記とか
94年の「あれ」が本当であるならば、今日が「あれ」から30年。
おめでとさんだよ。
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2000-2001の記憶 with The Gospellers

2024-10-20 23:45:12 | 雑記とか
10/20up(?)


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで。

ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。



2000年

前回の記事に続いて本題の前に脱線だが、JAZZというものの存在を知った、いや、無意識に聴いていた可能性があるので、その存在をはっきりと認識したと言える(もしかしたら前の年だったかもしれない、ちょっとうろ覚え)。
ピアノはかなり前に辞めてしまったし、真面目な生徒じゃなかったからもうまともに弾けないというのに、ある時ふとしたきっかけでとある人からいきなりピアノの前に連れてこられ、JAZZはいいぞ!自由に弾いていいんだ!と言われて半強制的に弾かされた。
その時のわたしは今よりももっともっと遥かに引っ込み思案で、なんでもいいから弾けと言われてもまともに弾けなかった。
その人は見かねてワンフレーズ弾いてくれた。もうどんな風に弾いていたか覚えていないけれど、音楽理論も何もわかっていない自分でも「なんかいいな」と心の奥底で思っていた、けれどどう反応したらいいかはわかっていなかった。
あのときは申し訳なかったなと思う。
いま、どうしているだろうな。

それと個人的に特筆すべきはV6のMIRROR(残念ながらデジタルで聴ける音源がない)。
安岡氏が作詩、北山氏が作曲を手掛けたもの。
その二つのグループが関わり合っていたのがなんだか嬉しくて、当時CDを買ったはずだがいろいろあってもう手元にないのが悔やまれる。


そこからしばらく経ったある時、気付いたらゴスペラーズがものすごい人気になっていた。

なんでも『永遠に』という曲が良いんだという。
『永遠に』を歌っているゴスペラーズがかっこいいんだ、という。

ゴスペラーズ
永遠に
https://www.shazam.com/track/266236777?referrer=share

は?
何言ってんの?
ゴスペラーズは昔からかっこよかったんだから!!!
いいとも観てなかったの?
その頃からちゃんとかっこいいんだよ!!!(歌そのものの話ね)

周りの女子たちからゴスペラーズの名前が挙がるたび、心の中でそう思っていた。

当時はマウントのつもりだったのかもしれないが、マウントでもなんでもなかった。負け惜しみだった。

だからなのか捻くれて、敢えてゴスペラーズを『追わない』日々が続いた。


追記。
確かこの年の暮れだったと思う。
なぜだかは忘れてしまったが、わたしは自宅でBS(確かNHK)を観ていた。
誰が出演してどんな番組だったのかも忘れてしまったが、そこで誰かが
「ちゃんと歌唱力のあるアーティストの時代がくる。平井堅とか、ゴスペラーズとか」
と話していた。
その話の流れで、この曲の“プロモーションビデオ”が流れた。

ゴスペラーズ
告白
https://www.shazam.com/track/40253568?referrer=share

熱帯夜のときは「不良」呼ばわりしたのに、このときは「かっこいい!朝焼けかっこいい!!!」と思っていた。
もう充分好きだったはずなのに、まだはまるつもりはなかった。


2001年

遂にゴスペラーズが本当に売れた、らしい。

しかしわたしは『巨人の星』で星飛雄馬を電柱の陰から見守る明子姉ちゃんのスタンスでいることを引き続き己に課そうとしていた。
(お兄さんって思ったり姉のスタンスになったりっていう時点でめちゃくちゃではある)
それまでもそういうつもりだったので、このタイミングで「ハマりました!」とかいうのが一番ダサいと思ったのだ。

なのでさほど追いかけすぎず、テレビに出てるな〜ということに気付いたら観る、程度だった。
ある時は友人宅に遊びに行った際に置いてあった何かの雑誌に彼等が載っていて、インタビューを読んだら冒頭でインタビュアーの方(お名前も失念)が「皆さんかっこいいですね」と言っていたので「いや今に始まったことじゃないもん!!!昔からかっこよかったんだから!!!(歌は)」と思ったのを覚えている。
いま思い返すと惨めでしかない。本人達に全く伝わっていないし何の自慢にもならない。


またしても脱線だが、この年に放送された『反乱のボヤージュ』という単発(確か前後編)ドラマがあった。
いろいろ事情があって円盤化どころか再放送すらかなわない幻のような作品だが、放送前に原作を読んで気に入っていて、ドラマそのものも夢中になって観ていた。
その出演者達の中で、わたしが気になったのが「麦太くん」。
彼の何が気になったか、というと、その声だった。
その人の声は涼やかでありながらどこまでも響き渡るようで、全出演者の中でも特に際立っていたように思う。
スタッフロールが流れる中、わたしは麦太くん役の人の役者名を探した。
誰あろう、その人こそ堺雅人さんだった。
後日、母から「笑っていいともにあの人が出てたよ」と教えてもらった。サボテンに話しかける不思議な人だよと……
しかしこの時はまだ、堺さんがゴスペラーズと繋がっているなんて全く知らなかった。


NHKで放送していた『トップランナー』に5人が出たのはこの年だったか。
わたしはこの番組で『なりきりゴスペラーズ』に出会った。
そう、彼等の存在を知っていたのになりきりのことを知らなかったのだ。
もうこの時点で彼等のことをほぼ知らないも同然である。
ほんの少しだけ合唱をやっていた自負があった(一応言っておくけれど今はそんな自負なんて皆無だ)わたしはなりきりに"混ざった"。
確か村上氏が「テレビの前の皆さんもご一緒に」みたいなことを言っていたはずなので。そうでなくても勝手に混ざったと思うが。
そこで歌われていたのが

ゴスペラーズ
真赤な太陽
https://www.shazam.com/track/157375283?referrer=share


どのパートだったか?欲張りだったので3つ全部。
そもそもわたしは合唱をやっていた時も自分のパート以外も歌いたくて、練習で先生が他のパートを指導するときは小声で歌っていたのだった。
このときもそんな感じだった。

それにしても初めて聴くアカペラアレンジがかっこよすぎて、歌い終わった直後「かっこいい!」と思わず口から出ていた。

この番組で他にも印象的だったのが『ゴスペラーズにとって歌とは何ですか』との質問に『求愛』だと答えていたのが酒井氏だったのが、失礼ながら意外だった。酒井氏はそういうことあんまり言わなさそうだと思っていたから。
この時わたしはまだSoul Serenadeを聴いていなかったから尚のこと、だったのかもしれない。

そして何より、敢えて避けていたのに真正面からがっつり聴いてしまった『永遠に』。
このとき黒沢氏は「そばにいるよ」の「そば」の部分を、CD音源と違って
囁くように歌っていた。
そこにドキッとしたものの、以前からのスタンスを崩したくないわたしは
『トップランナーなんていうそのものズバリな番組に出られるくらい大きくなったのね、よかったね』
程度で留めておこうとした。
結果的には全くもって留められなかったわけだが。


それと、この年で覚えているのはとある歌番組ふたつなのだが……御本人様達の名誉に関わるかもしれないからここでの言及は避けておこう。誰かが言うかもしれないし。


これだけははっきり覚えている。
大晦日。
わたしの家族の話になるが、父は流行りのものをとにかく嫌悪している節があったし、繁華街も嫌いだし、自分がいないところでみんなが和気藹々と盛り上がっていると、面白くない顔をするどころかその場を台無しにしてヘラヘラ笑うような人間で。
そんな性格もあって、J-POPなんてほとんど聴かない。
歌番組などもってのほか。
なので、この時も別な番組を観ていた。

しかし当時祖父母が健在で、隣の部屋では紅白歌合戦を観ていた。そこそこ大音量で。

そんな状況で、それは突然聴こえてきた。

「♪愛してるって最近〜」

ゴスペラーズ
ひとり
https://www.shazam.com/track/40263565?referrer=share

そのときわたしは

『ああ……とうとう紅白で歌えるくらいになったのね、よかったねゴスペラーズ……わたしは引き続き電柱の陰からこっそり応援していくよ』

と思っていた。

率直に言って莫迦としか言いようがない、いま思えば。



次回へつづく。(といいな)

(ちょっとここで計画を間違えていたことに気付いたのでどこかで帳尻合わせしなくては)
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1998-1999の記憶 with The Gospellers

2024-10-15 23:15:41 | 雑記とか
10/15up


ーー説明定期ーー

ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。

思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日に上げていくかんじで。

ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。



1998年

5人が『ニュースステーション』のジングルを担当していたのはこの年くらいのはず。
「♪シャララ ララララララ〜」
というスキャットで「ゴスペラーズだ!」と気付き、「やっぱりゴスペラーズは人気なんだなあ」と思っていたわたし。

ゴスペラーズ
靴は履いたまま
https://www.shazam.com/track/40626068?referrer=share
(これシングルになってなかったのが今でも不思議)

だけど、折角の彼等の生出演回を見逃してしまった……
当時インターネットの存在もぼんやりとしか知らず、TVerみたいなものがあるわけもなく、見逃したら仕方ないものと思って諦めるしかなかった。ビデオもあったけどたぶんそれも忘れてた。
そのことが後の衝撃度を高めることになることは、この時のわたしは知る由もなかった。

それとこれはうろ覚えだが、とある用事があって母親と関東に泊まりがけで出かけた時だと思う。
ホテルにチェックインしてなんとなくテレビを点けた瞬間、なんとそこに5人の姿があった。
確かどこかのローカルテレビ局かなにかで、アルバムVol.4が出たのでその宣伝をしていたんだと思う。

「もうアルバム4枚も出てるの?!
……じゃあ今からハマっても追いつけないな、それなら遠くからそっと見守ろう、『巨人の星』で星飛雄馬を電柱の陰から見守る星明子姉ちゃんみたいに」

と思った。(例えが古い)
ないとは思うが御本人様達がもしこんな話を知ってしまったら、たぶん鼻で笑うかめちゃくちゃ怒るだろうな……

それからこれもいつだか覚えていないけれど、CMの話をここで。

ひとつは
「♪とーつぜんですが いつもラジオを楽しんでくれてどうもありがとう〜
ありがーと! ありがーと!」
というラジオCM。

もう一つは
「♪おーいおーい北海道
ほっかいどおおーお〜
ほっかいどおおーお〜」
というテレビCM。

なんとなく耳に残るなぁ、と思っていながらも、いずれもゴスペラーズが歌っていたことを知ったのは、何年も後になってからだった。
どっちもアカペラだったのに。



1999年

この年のことは忘れられない。
なにしろ……

いや、本題に入る前に脱線。
音楽の授業そのものは好きだったけれどなぜか先生とことごとく折りが合わないことが続いたわたし。
ピアノも合唱も辞めてしまってしばらく経ったが、なにか音楽に触れたいなと思ってある人に教えてもらったのは……
童謡。
教えてもらったといっても『こんな歌があるよ』程度ではあったけれど、こども相手のものでも当時の作家さん達がちゃんと力を入れて作ったものであり、童謡と今日の日本の音楽は地続きなのだと知ることができたのは大きかった。
それに関連して、半強制的にクラシックのコンサートや能の舞台などを観せられる機会があった。
当時は本当に何とも思っていなかったが、この時の経験が今の自分の土台の一部になっていたのかなと思う。少なくとも『コンサートに行く』ということに対するハードルは下がった、ような気がする。


本題に入ろう。

石橋貴明さんと中居正広さんが司会を務めていた、その名も『うたばん』。
オープニング映像も凝っていていいなと思ったし、番組自体が面白くて毎週のように観ていた。
その番組の中で「まだ知られていないけどこのアーティストがくるかも」みたいなコーナーがあって。
ある日、そこにゴスペラーズが出ると新聞のラテ欄に書いてあったのを見つけたので、わくわくしてテレビの前に陣取った。
すると出てきたのは、なんだかちょっと悪そうな格好をした5人組……

衝撃だった。
わたしが知っているゴスペラーズといえば、歌がうまいかっこいいアカペラのお兄さん達。
でもこんな見た目じゃなかった。
勉強教えてって言ったらみんな優しく教えてくれそう、だった。
もっと大学生〜って感じだったじゃん!!!
もっと親しみやすそうなお兄さんって感じだったじゃん!!!
もしかしてビジュアル系とかに感化されちゃったの?!(いや、でもちょっと系統違うかな)
……と、当時のわたしは思った。

実は見逃してしまった前述のニュースステーション出演時、既にそういう系の格好だったらしいと、これも後から知った。

でもその格好、タカさんから「無理してるんじゃないの〜?」と見抜かれてはいた……

確かアカペラの説明もしたような。
例えばこんな歌も歌えます、と歌ったのが夜空ノムコウだったと思う。わたしはこの時ちょっとだけしか聴いていないけれど、もっと聴きたい!と思ったのを覚えている。
今となってはじゃあチケット取れよと思うが当時はどうやってライヴに行くか、そもそもいつどこでライヴをやるのかも把握していなかった。そんな状態でいきなりファンクラブに入ることも躊躇われたし。

で、せっかくSMAPの曲なんだから中居くんも一緒に歌おうよ、と促された中居さんはアカペラではなく輪唱で歌っていた……
もう!中居くんふざけないでよ〜!
と当時のわたしは思ったが、あれは中居さんなりのバラエティのこなし方だったのだと思う。

そして披露された曲が……

ゴスペラーズ
熱帯夜
https://www.shazam.com/track/40626073?referrer=share

頭が真っ白になった。

「こ、こんなの放送して大丈夫なのーーーーー?!?!!?!」

……夜なので我慢したけれど、心の中で絶叫していた。
当時のわたしは、もっと深夜帯で放送するべき内容なのではないかと狼狽えた。

偉大な漫画『ドラゴンボール』の主人公・孫悟空の妻であるチチが、長男である悟飯が超サイヤ人姿になったのを見て「不良になっちまっただ」(金髪になっただけ)と嘆いていたように、わたしも「ゴスペラーズが不良になっちまっただ。゚(゚´ω`゚)゚。」と怯えていた。

でも、強烈なインパクトは残っていて、歌詩もメロディーも曖昧だが曲の雰囲気というかなんというか……いま思えば『曲の熱』みたいなものが、しばらく頭の中から離れなかった。



次回へつづく。(恐らく)
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