PURPLE DOT(別館)

超個人的備忘ログです。
不定期更新、記憶曖昧、自分にしかわからない記述多々。
ただの参考記録です、ご寛恕ください。

映画の感想:スオミの話をしよう

2024-09-15 22:30:47 | movie
ネタバレあります!
ネタバレのない感想とか書けないのです……



まずあらすじ
役者さんのお名前は敬称略ね。

大富豪の有名人・寒川(演・坂東彌十郎)の妻であるスオミ(演・長澤まさみ)が突然行方不明に。失踪?誘拐?顔見知りの刑事・草野(演・西島秀俊)が密かに呼ばれ、部下の小磯(演・瀬戸康史)と共に寒川の邸宅へ訪れる。しかし実はこの草野、スオミの元結婚相手。複雑な心境を抱えつつ寒川の話を聞くと、草野が知っているスオミとはまるで真逆の人物像。そこへさらに「自分もスオミの元結婚相手だ」と名乗り出る人物が次から次へと現れて…?


あとは感想。


もうねえ……

最後のヘールーシンキヘルシンキ〜♪が頭から離れないwww
馬鹿馬鹿しくて(褒め言葉のつもり)最高に笑った。

小磯がセスナから落ちてしまっ……と思いきや謎の上昇気流で助かった〜の流れあたりで「あっこれもう『こんなん現実にあるわけないから楽しんだもん勝ちよ』ってことか」と思った。ツッコんだら負け的な?

観ている人も含めてスオミの手玉に取られてたってことでいいんじゃないかな!(?)

いやしかしほんと長澤嬢すごいなって。

セーラー服着てる長澤嬢を見て、何年か前の「涙そうそう」って映画を思い出しちゃったよ……
あの映画、ほんっっっっっとに長澤嬢がかわいくて健気で、この子の気持ちが報われてほしいって思いながら観てて……
だからなのか最後、周りが引くくらい泣いてしまったのだった()
滅多にあのスイッチ入らないんだけど一旦スイッチ入ったら涙と鼻水が止まらなくなってまじであのあとやばかった。
でもあのときの長澤嬢はほんとかわいかった(過去形にするのも失礼だけど!でも今はかわいいより綺麗ってかんじだな)のでそれだけでも必見ですぜとか言ってみたりして。

なので途中から「あっこれは『三谷幸喜が観たい長澤まさみ詰め合わせwith宮澤エマ』なんだな」と思った。
そう思ったら楽しめました。

ラストシーンのダメ押しみたいなヘルシンキ〜♪
後から他の人の感想見たら「西島さんの不器用なダンスが見どころ」みたいなことが書いてあって……
「長澤嬢まじ歌うめ〜」って思ってそこ全然見てなかったわ〜!!!
西島さんて素はなんかいろいろ不器用なとこあるみたいで……なのにお芝居では完璧男みたいな役が多いこのギャップ萌え(※「ギャップ」って入力したら候補に「萌え」が出てきた、最近あんまり萌えとか聞かないような)

だけど「誰にも頼らないで生きていく」って言ってたのに、そのあと離婚届の提出を草野に頼んでしまうスオミ。「ほかに誰にも頼れないから」と。

え?あれ?アザミちゃんは?

そう、スオミの行くところに必ず現れる『アザミちゃん』(演・宮澤エマ)が一番の謎だった。
ある時は弁護士、ある時はママ友、ある時はスオミ同様に中国語?を話す謎の女性……
彼女もまた、彼女自身の芯がどこにあるのかわからないほど変幻自在。
いやたぶん弁護士は嘘だろ。バッジ見当たらなかったし。
しかも彼女が本当に弁護士なら、それこそ離婚の手続きやらなんやらやってもらえるんじゃないの?離婚したことないからわかんないけど。
でもそしたら録音するとかなんとか言ってんのはなんなんだろね……
でね、『薊』が読めなくて合ってんのかこれ?ってなって検索かけたらこんなサイトがあって。
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1259
あれ?スコットランドが出てきたね
ともかく出自も謎、なんでスオミに付き合ってんのかも謎、目的とかも一切謎。彼女の存在がもうある意味ホラーだった。
(演じてる方としてはめっちゃいろいろ演じられて楽しそうなのかな、それともいっこいっこ役作りしなきゃだから大変なのかな)

ただ、スオミほどじゃないけど、自分も人に合わせて態度を変えるじゃないけど印象違ってるんじゃないかなって思って……例えば親の前の自分と上司の前の自分じゃ全然違うんだよなたぶん、半分くらい無意識なんだけど……
っていうあたりのところも描きたかったのかもしれないなって。スオミみたいに極端ではないけど。

なのでただ『長澤まさみ最高だろ!な!俺の見せたい長澤まさみ全部載せ!!!with エマ!』ってだけではないと思うんだよね。
まあまあな誇張表現がありつつなので「映画より舞台向けなんじゃ」って言ってる人たちを某サイトのレビューで見かけたけどそれはそうかもとも思うw

にしても草野は情けなかったなー、てかスオミとの初対面からだいぶ失礼(初対面でネックレスの長さ云々言うとかシンプル失礼じゃんしかも上司の妻ってわかってたのに)だし、結婚してもなんかモラ夫みすごいしだから逃げられるんじゃん感がやばいし
なにげにあの中で一番やばいかもしれん。見た目が西島さんだから何とか映画になってるけどそうじゃなかったら別な事件が起きるかもしれん(?)
最後も「俺だけ頼られてる」ってドヤってるしさ。
もっと自分のこと客観視してほしい、寒川もそうだけど、ってかスオミにやられた男たちみんなそっか……

とりあえず「スオミにしてやられた」ってことでよろしいでしょうかね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画の感想:ラストマイル

2024-09-08 22:18:02 | movie
ネタバレあります!
ネタバレなしの感想って書けない人間なので。



野木亜紀子さんの脚本というだけでもう観たいって思って馳せ参じました、とはいえ公開から少し経って……いつだか忘れたけど(最近の記憶がない疑惑)
これもざっくりとした感想というか思いついたことでしかないので悪しからず〜〜〜!



あらすじ

11月の最終金曜日、アメリカの小売業界においては1年で最も売り上げが見込まれる日、ブラックフライデー。その日を目前に控え、街はどことなく浮かれている。
アメリカが本社の大手通販会社「デイリーファスト」の広告が流れる。「What do you want?」の売り文句と共に。
デイリーファスト、通称『デリファス』の物流拠点のとあるセンターには、ブラックフライデーに向けて雇われた何百人もの派遣社員が詰め掛ける。
そこのセンター長として赴任してきたエレナ(演・満島ひかり)。直属の部下として孔(演・岡田将生)がエレナにセンターの中を案内する。
初対面でいきなりファーストネームで呼び合うよう孔に求めるなど、どことなく軽薄で風変わりなエレナ。孔はそんなエレナにかなり心の距離を置いているよう。
そのセンターから出荷した荷物が、顧客の家で爆発したという一報が飛び込んでくる。
爆発したとみられるのは、デリファスの目玉商品としてブラックフライデーに合わせ販売する予定だった『デリフォン』。
デリファスのセキュリティは厳しく、ブルーパスと呼ばれる大量の派遣職員に爆発物を持ち込ませることは不可能。
一旦解決したかと思いきや更に爆発事件は続き、現場は混乱。どこかで見たことのあるあの人たちやあの人たちをも巻き込んでいく……

といった感じでしょうか。

はい感想。
ほんとに好き勝手なことしか言ってません。

満島嬢ほんとすごいですわ……
自分の本当の出自を話すときにぽろぽろ涙をこぼしながら喋るところ、ほんっとすごかった。
筆者、何かは伏せるけどとある別な映像作品で満島嬢のお芝居みたのね。筆者的にはすごくツッコミどころが満載の脚本だなぁって思ったんだけど、そこでも彼女がぽろぽろ涙をこぼしていて「こんな脚本でもこんなに泣けるのすごい、ってこんなすごい人に応える脚本書いてくれよぉ」って思ったんだった……野木脚本に出会えてよかった(インタビューとかだとすごく悩んでいたようだったけれど)。
マサキオカダも良かった、というか彼は虎に翼で既にやばい(褒め言葉)のにどういうことですか?(?)

あとねー………………
久しぶりに志摩見たけどかっこよ……ってなってしまった()
中の人は変態の総本山だというのに(ex.深夜ラジオ)
なぜか志摩が刺さる……_| ̄|○
筆者そのへんまっっっじでちょろいんですよ。ちょろ助。だから気を付けていたつもりだったんだけどなあ_| ̄|○(どこが)
いやオンエア当時はそこまで熱心にリアタイしてたわけじゃないけど。
とにかく伊吹とのコンビが良すぎて……復習しよかな……筆者に諸々の余裕があれば_| ̄|○
(とか思っていたところにゴが過去の周年ライヴ配信とかやっちゃうんだもんw円盤観ればいいんだけどなんか、ね?w)
桔梗さんかっこよすぎる。惚れる。
そういえば中の人の話になるけど綾野剛氏と橋本じゅん氏は映画「カラオケ行こ!」でむしろ警察のお世話になりかねない役柄なんだけど橋本氏が特にめちゃめちゃおもろかった。ので陣場さんが出てくるけどその都度あのときの印象を引きずってしまった。あの役ずるいって。

あとヤギさん🐐じゃなかった八木になんわかんないけど泣けてしまって。
割とずっとおもしろい(やかましいw)(ほめてるつもり)感じでいくんだけど、なんというか「心の支えみたいにしてきたものが突然ポッキリと折れてしまった」みたいな時の演技がものすごく引き込まれる。
大河ドラマのいだてんも観てたので、サダヲ氏そのへんめっちゃうまいな〜って。

アンナチュラルチームの登場も!!!
と言いつつこちらもリアタイ時は途中から観たのであり_| ̄|○
でもそこにちゃんとUDIラボがあって。
ミコトも中堂さんも東海林も所長もちゃんといて。
引き続きずっとみんなでわいわいやってたんだな感があのシーンだけで伝わってきたのよかった。
大河ドラマの光る君へも観てるので木林が前にも増して胡散臭く見える〜w(髪の毛ちゃんと伸ばしてるのね)とか。
毛利さんと刈谷さん、これはこれでなかなか良さげなバディ……あと横文字がうまく言えない刈谷さんに愛おしさを感じてしまったw
こちらも余裕があれば、、、復習、、、(いつできるねん感すごいけど)

しかしながら本当の主役は『ショウヘイ』親子なんじゃないかくらいの。
終盤(ネタバレありって言ったけどここは伏せるか)はまっじでドキドキした。うっかり「うわぁ」とか言っちゃってたんじゃないかってくらい没入してた。

とにかくもう野木脚本ほんとすごい。
こういうドラマや映画が作られているっていう事実、そしてちゃんと支持されているという事実がこの国にとってある種の希望なんじゃないかと思う。

まあ、もっといろいろ良くなってほしいですけども!!!

少なくとも、休憩は1時間ちゃんと取りたいじゃんかよ。(なにげに身につまされ問題だった)


てなところでしょうかね。


あ。忘れてた。
主題歌の「がらくた」がとても筆者に響く歌詞だなぁと。
流石の米津さん。
もういろんなところで言及されているだろうから詳しくは言いませんけど、ちょっと泣きそうだった。
よかったら聴いてみて(と言われなくてもここ覗いちゃった人なら聴いてるか)
https://youtu.be/2mUC91bXt60?si=UArqHl92rzRV8jtl
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画の感想:風が吹くとき

2024-08-26 20:15:51 | movie
いつだったか忘れたけど観ました。
8月中だったはず。(日付はたぶんこのくらいの日って日)

絵本かなんかがあるんですよねこれ。
大雑把な話しか知らなかったけれど、あるとき映画館でやっているのを見つけて、じゃ観てみるか〜と思って赴きましたわ。



観てない人へ向けてのあらすじ。
イギリスのとある片田舎に2人で暮らす老夫婦。
隠居暮らしを謳歌している夫のジムは、街へ出かけるのが日課。
ある日街で見かけた新聞に「戦争が始まる」「核爆弾が落とされるかも知れない」との記事を見つけ、家の中にシェルターを作る。シェルターができたら食糧や水の用意など、政府が発行したパンフレットを手にあれこれ画策する。
妻のヒルダは半ば呆れながらもそれを許容する。なぜなら彼女の中で戦争は「楽しい思い出」だったからだ。
ジムはロンドンに住む息子のサムに電話を掛け、自分達もシェルターを作るよう呼び掛けるが取り合わない様子。
そしてラジオが緊急放送を始めるーー

といったところで。



では感想。
好き勝手に書いてるのでご了承のほどなにとぞ。



いろんな意味で、ひどく『哀しい』お話だった。

あんまり予備知識なしで行ったけど(ストーリーざっくりとしか知らなかった)時代設定的には1980〜90年代とかなんだね……

広島(長崎もだけど)に原爆が落ちた世界線ではあるのに、戦勝国っていうのかな、なんかそこからの目線が思ってた以上に冷たくて悲しかった。
「あいつらは自分達より劣っているから負けたんだ」
「あいつらの判断が間違いだったんだから原爆落とされても仕方がないんだ」
「極東の国の黄色人種なんだから酷く傷付いて当然なんだ」
みたいな。
そりゃ大日本帝国はめちゃくちゃ判断間違えまくってたと思う。特攻隊ひとつとってもそう。インパールひとつとってもそう。一億総玉砕だなんて、実際やったら国民がいなくなって国が存続できなくなるじゃんって思わなかったのかな。
ほかにもいろいろ間違えてきたんだろう。
なんだけど、だからといって「無差別にそこにいる生き物を全て殲滅してもいい」なんて理屈は違うと思う。
少なくとも赤ん坊は「戦争してくれ」なんて頼んだりしない。
少なくとも動物達は、自分達が住む予定のない遠く離れた土地のことを攻撃したいだなんて考えたりしない。
戦争はそれらを、いやそれら以上のものを踏み躙る行為だと思う。

なのに、ヒルダが「戦争してる時は楽しかった」みたいなことを平気で言っていて恐ろしかった。
その人達にとって戦争は、ただの『非日常の娯楽』でしかなかったのだ。
同じように考える人が世界中に沢山いるのかもしれないと思うと、心の中に真っ暗な穴が空いて、その穴がどんどん広がっていくような心地がした。

ジムが繰り返し告げる「お上の言うことさえ聞いていれば大丈夫さ」という言葉。
実際に『その場の』命は助かったけれど。
むしろ「生き残ってしまった」人ほどそのあと苦しむ事になってしまったという皮肉。
しかし、一瞬であんなに世界が一変してしまったのに「お掃除しなくちゃ」とか「牛乳配達が来ない」とか呑気に言ってるのもぞっとした。水が出なくても、ラジオが一切聴けなくなっていても。
これがバイアスというやつなのだろうか。
とはいえ【お上の言うことを信じない人】なら助かったのかっていったらそんなことないと思うけど、「じゃあどうしたらよかったのか」「どこでどうやり直せばこんな事にならなかったのか」って考えても考えても何も思い浮かばなくて。

落とした側が誰かは明確にされないけれど、誰かが後から調査に来たとしたら『勝った』奴等はそれを見て嘲笑うんだろうか。
日本に原爆を落とした側の人間も、日本人を嘲笑っていたんだろうか。
日本に住んでいる限り一度は見たことがあるであろう、巨大なキノコ雲の写真だったり映像だったり。
わたしはそれを見るたびに「この雲の下でどれほどの命が苦しい想いを、つらい想いをしただろう」と考えてしまうのに、同じ生き物なのに、生まれた環境が違うだけでまるで正反対のことを考える人間がいるというのか。
そんな人間が目の前にいたら心底軽蔑する。
だからといって、その人達が同じ目に、またはそれよりも酷い目に遭ってもいいのか。

しかし作中でどれくらいの規模のものが落とされたか明確にはわからないままだけど、あれくらいの規模だと下手したら地球そのものが危険に晒されてしまうのでは?などと思ってしまった。
そうしたら人類どころか地球そのものが滅亡しかねないが、お互い追い詰められたら何するかわからないギリギリを保ちながら冷戦をやっていたのか。
と書くと良く聞こえてしまうが、そこにも犠牲はあったので冷戦といえど負の歴史だとしか思えない。
ともかく今も「何するかわからない」人達がいるし、というかもう世界のあちこちで……と考えると、心の底から暗い気持ちになる。



なにを勘違いしてこの世の全ては自分のものみたいに思ってるんだろう、人間ってやつは。
思い上がるのもいい加減にしろよ。
『たかが人間』だよ。
じゃなかったら気候問題やらスペースデブリやら廃炉やら、どれもこれもとっくの昔に解決できてたはずなんじゃないの?
現実そうじゃないなら、人間が出来ることなんてたかが知れてるんだよ。

怒りに任せて叫びたくなる。

人間は他の生き物よりも知能が発達しているから優れた生き物、なんていうけど、住んでいるところをまるごとめちゃくちゃにしながら殺し合いする生き物のどこが優れているんだろう。
そんなことに使う知能があるなら、もっとお互いを讃えあうために、より良い未来のために使ってほしいよ。
暴力に訴えるなんて、知能の発達した生き物のやることじゃなくない?
手を取り合って、お互いが笑顔になれる未来を一緒に築くためにお互い知恵を絞ろうよってならない?
そうならない世界に、未来なんてあると思わないで。
じゃなかったら、『たかが人間』なんて滅びの道を辿っていく一方なんだよ。

ああ、この作者はそんな風に考えてこの作品を作ったのかもな。
というのはわたしの想像でしかないけれど。


ところで終盤、ネズミが1匹生き残っていたのだった。
そういえば恐竜が絶滅した後も、ネズミのような小さい哺乳類は生き残っていたのではなかったか。
それが進化して、やがて人間が生まれたのではなかったか。

もしもこの話が現実になったとして、やはり小さな哺乳類が生き残るのだとしても、そこから人間のような生き物は生まれないでほしいと願ってしまう。
こんなことを、嬉々として繰り返そうとしてしまうのなら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「BLUE GIANT」のことでも

2023-05-30 22:23:05 | movie
なんか最近微妙な話題のことばっかり言ってるので、このまま5月終わるのもなんだかなって思いまして…
割と最近観た映画の話でも、手短に。
とはいえ観たのはだいぶ前でして…上映中ではあるんですけど、近くでやってくれなくてなー

映画ってネタバレとかの線引きが難しいけど、観てない人にざっくり説明すると…

主人公・宮本大は故郷である仙台でジャズに魅せられ、「世界一のサックスプレーヤーになる」という強い信念を抱いて上京。
東京で初めて観たジャズライブで出会った凄腕ピアニストの沢辺雪祈、高校時代の親友・玉田俊二と、ふとしたきっかけでジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成する。
しかしながらそれぞれの音楽の経歴も実力もバラバラ、それでも大は3人でライブをやると言い出して…


…この辺でやめとこうかな(人によってはそこまで言うなよってなる人もいるかもだけど)


もーーーーーーーーーー
個人的にはめっちゃ良かった。
まぁ…CG?映像技術的に言いたいことがある人の気持ちもわかんなくはないんですけど。
それはちょっと置いといて、まず音楽が素晴らしすぎた。
なにせ世界の上原ひろみ様だぞ頭が高い!!!控え控えええええい!!!(お前が何様だ)
ていうかこれほんと映画館で観て…もとい『体験』してほしい作品なんすよ(もっと早く言え)。
彼等の音は映画館の音響で聴いたからあの登場人物たちとその気持ちを共有できたというか。

あ、これ書いてなかった。
大、雪祈、玉田を演じた3人、上手だった。
特に岡山くんめちゃくちゃうまかった…

そしてストーリーが素晴らしい。
わたしは玉田に感情移入しちゃってもう…。・゚゚ ''゜(*/□\*) ''゜゚゚・。
(関係ないけど「号泣」ってSimejiで入力したらどういう顔文字が出てくるかなって入力したら
「ゴウキュウ。゚(゚´Д`゚)゜。ツアー」
って出てきた…なぜ…)
音楽経験者じゃなくても玉田に共感できる人結構いるんじゃないかな…

それだけじゃなく他にも涙腺を刺激されるシーンがたくさんあった。
詳しく言えないけど…


ほんとにほんとにチャンスが目の前にある人は絶対映画館でやってるうちに観てほしい…!!!


とはいえわたしは大声でBLUE GIANTの大ファンです!!!とか言えないっす。
なにせ原作と小説「ピアノマン」、実はまだ読んでないので…いやなんか気持ちに余裕なくて…(っていつも言ってるけど)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「この世界の片隅に」感想のようなもの

2017-11-12 21:21:48 | movie
(注・映画のネタバレあります!内容をまだ知りたくない人はブラウザバックでお戻りください)


2016年11月12日の封切りから1年経ったこのタイミングで、やっと「この世界の片隅に」の感想をここに記そうと思う。

最初に見たのが12月初旬だったのだが、見た当初は、うまく言葉が紡げなかった。
「悲しい映画だった」「面白かった」
など、一言で表すことができなかった。
でもなぜか、観終わった後、自分の愛する存在に、今すぐ自分の愛を伝えたくなった。どうしてそう思うのかよくわからずに、ぼんやりしながら帰り支度を整えた。
ただただ、「これはすごいものを観てしまったぞ…」という感覚のまま帰宅し、翌日、Twitterでそれとなく感想やネタバレを検索してみると、出るわ出るわ、この映画に関する絶賛の声。
それを観ているうちに、うっかり目に涙が。人前だったのに。

わたしは去年の1月、久慈に行った。
決して大きい街ではないけれど、あちこち歩いてみて(もちろん「あまちゃんハウス」にも行った)、いろいろ食べて、現地の人とも少しばかり触れ合って、好きな街のひとつになった。だから8月の台風被害は本当に胸が張り裂けそうだった。
それもあって、久慈に関する情報をいろいろと入手していた。
久慈といえばあまちゃん、あまちゃんといえば主人公天野アキを演じた、本名能年玲奈こと女優ののんちゃん。
彼女が声で主演を務める映画がもうすぐ公開されますよ、というツイートを目にした。
それが「この世界の片隅に」だった。

確か、本当に薄れかけた記憶なのだが、いつだったかも忘れてしまっていたが、この映画のクラウドファンディングが早々に達成された、という話題を誰かがツイートしていたのを見かけた気がする。
「普通の戦争映画とは違う」
「ぜひ観に行ってもらいたい」
そういう意見も、封切りの頃によく見かけた。
映画史に残る傑作だ、とあの手この手を使って観客を増やそうと尽力する人が後を絶たなかった。
だけど、全国で63館じゃあ、この辺でやってる所なんかないんだろうな…と思いきや、割と近くで公開していた所があったので、思い切って行ってみた。


度肝を抜かれた。
戦時中の話なのに、現代の自分と繋がるところがあったから。

幾度もの空襲警報を耳にした晴美が思わず呟く
「警報もう飽きた」。
この一言が、わたしの記憶を揺さぶるように呼び覚ました。
それは他でもない、東日本大震災の頃。
あの日震災が起きて以降、携帯に緊急地震速報のエリアメールが届いた。それこそ数え切れないくらい。当日の夜は5分だか10分置きくらいに来ていたような気がする。
それはもう、飽きるほど携帯が鳴っていた。
停電したおかげで星が綺麗だったらしいが、生き抜くのに必死だった我が家は、少なくとも誰一人、そんな余裕はなかった。

そして、円太郎さんのお見舞いの帰りに遭遇してしまう空襲。
これは地震が起きた時のこと。
いつ収まるとも知れない、それまで経験した事のなかった揺れ。
初めてあのシーンを観た時には、あの時と同じ恐怖が頭の中にへばりつき、実際は数十秒くらいだったにも関わらず、凄まじく長く感じた。
「何これ!?こんなシーンがあるなんて聞いてない!逃げられない!」
と思うほどに。
二回目に観た時も恐怖はあったが「あれ?こんなに短かったんだっけ?」
と思ってしまった。

終盤「復興」と書いてある旗が出てくるが、そこは
「そうだった、広島東洋カープは、広島の復興のために作られたチームだったんだ、わたしはこのチームのそういうところが好きなんだ」
と思ってぐっときた。
同じ場面で、最も自分と繋がるシーンがあるのだが…
これは4月に片渕監督の舞台挨拶があった際、監督に直接話すことができたので、監督とわたしの秘密ということで。

そういえば、わたしが初めて広島に行った時。
雨の夜、広電で降り立った先にあったとある建物が、わたしを呼んでいた気がして。
その時のことを思い出した。


繰り返し見るにつれ驚くのがやはり時代考証だろう。
なにせ、作中に出てくる新聞紙の内容ひとつひとつまで当時のものを再現しようと資料を探していたというから驚きだ。
片渕監督のやっていることは、漫画のアニメ化、ではなく、むしろ「ドキュメンタリー映像の製作」ではないだろうか。
一日一日ずつ、この日は何があったか、どんな気象だったか、戦争が激化していく中で何が変化していくか、その上ですずさんは何をしたか…
その考証が実に細やかで、考証をまとめたものを本にでもしてくれたら歴史的にも価値があるのではないだろうかと思うほどだ。
ともかく監督の細やかな考証のお陰で、戦争を生き抜いた方がご覧になって「懐かしい」と言っていた、というような報告を何度も何度もTwitterで目にした。
また、映画の中に実在の人物を登場させたと聞いた。
それも山本五十六とか東條英機とかの著名な軍人ではなくて、本当にそこに住んでいた人達。
当時の写真から、その人が住んでいたであろう場所のあたりに立たせ、その人がしていたであろう行動をさせる…
たとえば、「中島本町」に住んでいた方を、どんな人だったかなるべく忠実に再現して。
因みに「中島本町」とは、今の平和記念公園である。
世界で初めて落とされた原子爆弾によって消されてしまった街を、そこに住んでいた人たちを、監督は忠実に再現した。
戦争を描いた映画で、こんなことが今まであっただろうか。そしてこれは、アニメでなければ成し得ないこと。
だから、この映画は何度観ても見飽きない。
わたしはそれほど多くの映画を観ている訳ではないが、この映画だけはこれまでに二桁回数鑑賞している。自慢にもならないが、わたしの中でぶっちぎり1位の劇場鑑賞回数だ。この映画は「劇場で観る」ことに意味があると思っているから。
この映画の繋がりでお友達もできた。
いずれも、この映画をより多くの人に観てもらいたいと思っている仲間だ。
好きすぎて広島や呉、ついでに片渕監督の前作品「マイマイ新子と千年の魔法」の舞台である山口県防府市まで巡る弾丸ツアーを敢行するほどの豪傑揃い。


もしここを見ている人で、あの映画を一度しか見ていない、なおかつ原作も未読という人がいるとしたら、原作も読んでほしい。そして二回目も観て欲しい。きっと新しい発見があるから。

たとえば哲さんのこと。
初めて観た時は、哲さんが北條家に来てすずさんのことを笑っている理由がわからなかった。
でも原作を読んで、彼が言葉では表しきれないほどの過酷な状況下に置かれ、すずさんの毎日に溢れる「普通」が一番の幸せだと感じ、笑えたのだとしたら、そしてまた、「普通」から遠ざかり、彼はどんな気持ちでその後を過ごすのだろう…と思ったら、泣けて泣けて仕方なかった。

たとえば妊娠?のこと。
実は最初に観た時、すずさん妊娠してたんじゃ?おなか大きくならないなぁ?と思って結構気にしてしまっていて…
その辺は原作を読めばすぐにわかる。


映画の中で印象的な台詞は幾つもあるが、わたしが特にどきりとしたのはこれ。

「過ぎた事 選ばんかった道
みな 覚めた夢と変わりやせんな」

「あっけのう人はおらんようになる
姿が見えんくなったら 言葉は届かん」

そして原作ではリンさんが。
…ここでは原作未読の方もいるかもしれないから伏せておく。


人は忘れる。
下手をすると、いま話そうと思ったことすら忘れてしまう。
そしてこういう言葉をよく耳にする。【人は二度死ぬ。一度は心臓が止まった時で、本当に死ぬのは皆に忘れられた時】

すずさんが鬼いちゃんの代わりに海苔を届けに行ったのは、「平和記念公園」ではなく「中島本町」だ。
すずさんが望遠鏡で見たあの建物は、「原爆ドーム」ではなく「産業奨励館」だ。
歴史の教科書にその辺は載っていないだろうが、そこには確実に、人の営みがあった。
巨大な戦艦大和にも洗濯する人がいて、料理を作る人がいて。
配給が減る一方の中で、主婦達はどうやって食べていくか知恵を絞って考えて。
終戦したからといって、すぐに暮らしが良くなるわけでもなくて、それでも生きていかないといけなくて。
そういうことを、忘れてはいけないのだった。
特に、2011年3月11日を経験した人間にとっては。
わたし自身は忘れたいことではあるけれど、そこから得た教訓と、ぎりぎりの生活でも生き抜く努力をしたことくらいは下の世代に伝えなくては、と思う。

昭和という時代に「暗い影を落とした」から、「戦争に負けた」から、まるごと「なかったことにしよう」と、「間違った人達が起こした過ちは時代ごと闇に葬ろう」としていなかったか。
その時代に懸命に生きていた人達を、存在ごと消し去ろうとしてはいなかったか。
事実、この国では、第二次世界大戦の記憶を、狭い島国に二つも落とされた原子爆弾のことを伝えられる人が減っているのを言い訳にして、それらがまるでなかったかのように振る舞う人が増えたような気がする。
覚えている人がいなくなれば、テストのために数字とセットで覚えさせられるだけの「歴史」に成り下がってしまう。
覚えていなければ、それは存在しなかったこととおそらく同義なのだから。
だからこそ、こうの史代さんが、片渕監督が、ともすると忘れ去られてしまいそうな、なかったことにされてしまいそうなことを、この作品に、すずさんに託したのではないか。



随分長々と書いたが、まだ言いたいことの的を射ていないようにも思える。
音楽について全然触れていないし。
ともかくこの映画に出会えて良かった。
100年後も、それよりずっと先も、この映画が愛され続けることを願う。
ありがとう、この世界で、この映画に出逢わせてくれて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする