今回は、福井県にある戦国大名 朝倉氏の「一乗谷城」です。
まずは、朝倉氏。
元々兵庫県養父市の豪族でしたが、南北朝時代に越前へ来てから、主家を追放し越前を平定。
その後5代103年間に渡り繁栄し、京都や奈良と並ぶほどの文化的な城下町で小京都と呼ばれました。
足利義昭を迎え、貴族的な生活をしていましたが、天下統一の波と共に浅井・朝倉対織田信長の戦いで敗れ、城下町も焼き打ちに合い、消滅しました。
それにしても、こんな山の中と言うか、狭い土地で、なぜそこまで繁栄していたのか?
不思議です。
それでは、一乗谷に入ります。
まずは、入り口に下城戸。
この日(4/17)は、半袖がイイくらいのお天気。
団体の方もガイドさんの話に聞き入っておられます。
余談ですが、ここは白い犬の携帯電話のCMで有名。
この道も、犬やウルトラマンが走ったところです。
遺跡の反対側には、復原町並み。
中はこんな感じ。
武家屋敷跡。
厠。
街並みを歩いていると、おばさんに声をかけられ、抹茶で一服。
ここから眺めた山の上に山城があったそうです。
それでは、館跡へ。
まずは、唐門。
義景の菩提寺の門ですが、豊臣秀吉が寄進したとのことです。
とても立派。
前には、濠。
周りは土塁。私が好きな石垣はありません。
唐門をくぐると、義景館跡。
ここに足利義昭が来ていたのか。
家来には、明智光秀もいたのか。
そんなことを感慨深げに考えています。
お墓もあります。
上から見ると、こんな感じ。
館があった当時はこんな感じ。
さて、義景館から上に登ります。
そこには、湯殿跡庭園があります。
実に荒々しく置かれた石の庭園です。
そこから、川を渡ると中の御殿跡。
義景の母の館。
全体はこんな感じ。
こんな礎石が観られます。
南門。
そして、階段。
登れば土塁。
道路跡です。
上がると見晴らしがとても良いところになります。
それからまだ上がります。
祠が見えてきました。
こちらは、初代孝景のお墓です。
義景館の方から上がると、こんな坂道。
そして、石段。
そして、下りてきてから、諏訪館跡へ。
義景夫人の館です。
こちらもごつごつとした大きな石の庭園があります。
と言うことで、これで大まかに一周しました。
なかなか広くて登り降りも多くありますが、お天気も景色も良く、イイところです。
今回は、館跡と言うことなので、お城と言う印象は薄い感じ。
それでも、戦国時代、越前の朝倉と言えばとても有名。
その地に立てたと言うだけでも、感動大でした。
帰りにスタンプを押印。
次は、どこのお城へ・・・。