H30.6.21
真田幸村公の戦死の地「安居神社」から、谷町筋方面へ。
すぐに「一心寺」というお寺があります。
ここの仁王像に興味がありました。
まずは、お詣り。
そして、仁王門。
こんな仁王様です。
ギリシャ神話に出てきそうな感じ。
それにしても、今まで見てきた仁王さんに負けず劣らずの迫力でした。
それでは、四天王寺さんにやってきました。
とても賑わっています。
四天王寺さんと言えば、あの聖徳太子が創建されました。
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
極楽門
推古元年創建。昭和37年、松下幸之助氏の寄贈により再建された西大門は、極楽に通ずる門の意味から、通称 極楽門とよばれている。
門の内部には番浦省吾作の釈迦如来十大弟子、武(ぶ)庫(こ)山(さん)出現の山越阿弥陀如来、観音製紙菩薩の画像が描かれています。
門柱に転法輪があり、参詣者はこれを回転させ、直接法門に触れることにより、洗心の功徳を積むことができる。
また、転法輪とは、釈迦如来の説法が過去現在未来と無限に続くことを表しており、仏足石・菩提樹と並んで、
仏陀(悟れるもの)の象徴とされている。
私も、門柱にある「転法輪」をクルクルと回転させてきました。
境内には、いっぱいお店が出てました。
続いて、五重塔です。
五重塔
聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」といいます。塔の入口は南北にありますが、通常開放しているのは北側のみで、南正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像をお祀りしています。なお、この中心壁と外壁の各面に描かれた仏画は山下摩起画伯の筆によるものです。
それでは、金堂でお詣り。
金堂
聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、四方を四天王が守護しています。毎日11時より舎利出しの法儀が厳修されます。南無仏のお舎利を以て、ご先祖のお戒名(霊名)が書かれたお経木にあてられ、又参詣者の頭にあててもらおうと多くの信者さんが参詣されます。
基壇下の青竜池より、白石玉出の清水が湧いており、この水を亀井堂に引いていると云われます。内壁には中村岳陵画伯筆の仏伝図が描かれています。
四天王寺さんは、広大な敷地でたくさんの建造物があります。
今回、時間的に余裕がないので、ここまでとなりました。
そして、もちろん御朱印です。
納経所で頂戴しました。