もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

御朱印巡り ~ いくたまさん 生国魂神社 大阪市天王寺区生玉町

2018年06月24日 | 御朱印巡り

H30.6.21

谷町筋を進んで、時間的にもギリギリとなりましたので、最後に「いくたまさん」です。

この鳥居ですが、鳥井さんが寄贈されてます。

この鳥井さんは、あのサントリーの創業者です。

それでは、参拝。

いくたまさんの詳しくはこちら。

石山崎(現在の大阪城付近)に生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀ったのが始まりとされる延喜式名神大社です。天正8年(1580)の石山合戦の時に焼失しましたが、天正11年(1583)豊臣秀吉が大阪城を築く際、現在の地に移転されました。本殿は移転の2年後に造営され、本殿と幣殿をひとつの流造で葺きおろし、正面に千鳥破風、すがり唐破風、千鳥破風の3つの破風を据えたという、神社建築史上ほかに例のない「生國魂造」様式を用いています。

それでは、「御朱印お願いします。」

こちらの御朱印は、初詣期間に来ると「干支朱印」がいただけるようです。

60年かけると、一巡するとのこと、こりゃ、無理だ。

 

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御朱印巡り ~ 愛染さん 愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん) 大阪市天王寺区夕陽丘

2018年06月24日 | 御朱印巡り

H30.6.21

四天王寺さんを出て、谷町筋を歩いていると、「愛染さん」の幟を見かけました。

そこで、立ち寄ることに。

愛染さんについては、こちら。(愛染さんのHPから)

愛染堂(勝鬘院)  あいぜんどう (しょうまんいん)

摂津名所図絵・勝鬘院摂津名所図絵・勝鬘院
『摂津名所図絵・勝鬘院…』  太子この道場に於いて勝鬘経講讃あり。故に名とす

日本最初の社会福祉施設、施薬院として建立

西暦593年(推古天皇元年)、聖徳太子は、敬田院、
施薬院、療病院、悲田院からなる四天王寺を建立されました。 その中の施薬院は、あらゆる薬草を植え、病に応じてあまねく人々に与えられるようにと現在の愛染堂の場所に建立されたのです。
当時の面積は現在より一層広大であり、また、建立の意味あいからいうと、我が国の社会福祉事業発祥の地とも言えます。


施薬院から勝鬘院へ

施薬院が
勝鬘院と呼ばれるようになったのは、このお寺で聖徳太子が勝鬘経というお経を人々に講ぜられていたため、そして勝鬘経に登場するお姫様・シュリーマーラー夫人(勝鬘夫人)の仏像が本堂に祀られているため、後にこう呼ばれるようになりました。主な堂塔として、金堂(府の指定文化財)と多宝塔(国の重要文化財・旧国宝)があります。
勝鬘夫人坐像
勝鬘夫人坐像

それでは、縁結び・夫婦和合・商売繁盛のご利益があるとのことで、しっかりとお詣りします。

金堂(こんどう) 府の指定文化財
金堂

境内の中央に構える朱塗りの金堂は、推古天皇元年
(593)聖徳太子によって創建されました。その後、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失しましたが、徳川幕府二代目将軍・徳川秀忠の手によって再建された歴史ある建物です。

内部の構造は、江戸時代の様式を伝えるもので、大阪府の指定文化財に選ばれています。

金堂の壁に掛けられた献灯(けんとう)は、江戸時代の近松門左衛門『冥途の飛脚』や、井原西鶴『男色大鑑』にも描かれている由緒ある風物です。



 

金堂の内部には、人々に愛敬開運を授ける愛染明王が本尊として奉安されており、その左右には、薬師如来、勝鬘夫人(弁財天)、歓喜天、十一面観音などが祀られています。

このお堂で、住職が護摩を焚いて加持祈祷や先祖供養を行います。
また仏式結婚の際には式場にもなります

ここで、「御朱印お願いします。」

それから、聖徳太子が建立された重要文化財である多宝塔です。

そして、なんと言っても縁結び。

愛染かつらの木がありました。

この木のいわれがこちら。

愛染かつら(あいぜんかつら)


愛染かつら

愛染堂の藥医門をくぐった右奥に「愛染かつらの木」があります。樹齢数百年といわれる巨大な桂の木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き、桂とカズラが一体となったその姿は、まるで仲の良い男女が寄り添っているように見えることから、カップルの縁を取り持ってくれる「恋愛成就・夫婦和合の霊木」として何百年もの間、この地で親しまれています。

毎年、夏になると木の幹に絡みついたカズラの葉っぱが生い茂り、オレンジ色の花も優雅に咲き誇る光景に出会えます。

年輩の方々なら「愛染かつら」という名前を聞くと、昭和10年代に田中絹代と上原謙が、昭和20年代には京マチ子と鶴田浩二が、また昭和30年代には岡田茉莉子と吉田輝男といった美男美女の役者がそれぞれ主演を務めて一世を風靡した同タイトルの恋愛映画を思い出されるのではないでしょうか。

向かって右側には、映画の好評を祈って主演の吉田輝男さんが愛染堂に植樹された若い桂の木が植えられています。



縁結びの愛染さん

金堂に祀られる愛染明王は、主に良縁成就・夫婦和合の本尊として有名で、境内にある「愛染めの霊水」は飲むと愛が叶うといわれ、女性参詣者が毎年たくさん訪れます。

また、小説家の川口松太郎さんが、この近くに住んでいたこともあり、彼の代表作であり映画化もされた『愛染かつら』のモデルとなった縁結びの霊木「愛染かつら」があることでも有名です。

この霊木の前で愛を語り合った男女には、何があっても幸せな結末が訪れるという伝説が残っています。
愛染かつら

ということで、私も愛を語らう男女のご縁はともかく、いいご縁に恵まれますようにと・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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御朱印巡り ~ 四天王寺 大阪市天王寺区四天王寺

2018年06月24日 | 御朱印巡り

H30.6.21

真田幸村公の戦死の地「安居神社」から、谷町筋方面へ。

すぐに「一心寺」というお寺があります。

ここの仁王像に興味がありました。

まずは、お詣り。

そして、仁王門。

こんな仁王様です。

ギリシャ神話に出てきそうな感じ。

それにしても、今まで見てきた仁王さんに負けず劣らずの迫力でした。

それでは、四天王寺さんにやってきました。

とても賑わっています。

四天王寺さんと言えば、あの聖徳太子が創建されました。

四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

絵堂第四面の聖徳太子絵 

極楽門

外観

推古元年創建。昭和37年、松下幸之助氏の寄贈により再建された西大門は、極楽に通ずる門の意味から、通称 極楽門とよばれている。
門の内部には番浦省吾作の釈迦如来十大弟子、武(ぶ)庫(こ)山(さん)出現の山越阿弥陀如来、観音製紙菩薩の画像が描かれています。
門柱に転法輪があり、参詣者はこれを回転させ、直接法門に触れることにより、洗心の功徳を積むことができる。
また、転法輪とは、釈迦如来の説法が過去現在未来と無限に続くことを表しており、仏足石・菩提樹と並んで、
仏陀(悟れるもの)の象徴とされている。

私も、門柱にある「転法輪」をクルクルと回転させてきました。

境内には、いっぱいお店が出てました。

続いて、五重塔です。

五重塔

外観

聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」といいます。塔の入口は南北にありますが、通常開放しているのは北側のみで、南正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像をお祀りしています。なお、この中心壁と外壁の各面に描かれた仏画は山下摩起画伯の筆によるものです。

それでは、金堂でお詣り。

金堂

外観

聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、四方を四天王が守護しています。毎日11時より舎利出しの法儀が厳修されます。南無仏のお舎利を以て、ご先祖のお戒名(霊名)が書かれたお経木にあてられ、又参詣者の頭にあててもらおうと多くの信者さんが参詣されます。

基壇下の青竜池より、白石玉出の清水が湧いており、この水を亀井堂に引いていると云われます。内壁には中村岳陵画伯筆の仏伝図が描かれています。

四天王寺さんは、広大な敷地でたくさんの建造物があります。

今回、時間的に余裕がないので、ここまでとなりました。

そして、もちろん御朱印です。

納経所で頂戴しました。

外観

 

 

コメント (2)
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